『マー君鬼のかくれんぼ』Ⅵ
スギサキさんは、俺の最初の担当看護士さんだった人だ。
今さらだけど各患者には担当看護士さんというものが割り振られている。個人ごとの悩みや傾向といった相談・面談などを踏まえて経過を見、意見なども交えて担当医師に上げたりしてくれる。
当時は意識していなかったけれど、担当看護士さんとの関係は院内生活や退院に少なくなく関わると思う。
スギサキさんは茶染めに白髪が混じった人当たりのいい中年女性。
イシイさんは高身長やせ型でやや掘りの深い顔立ちの二十台中盤。ちょっといかつい。
イシイさんは俺の現担当看護士さんだ。
ダブル担当である。
俺を見つけておっという顔をしながら手を挙げてくるふたりに、まさか俺に関する集まりかと覚えもない嫌な予感を感じつつも合流。久しぶり元気にしてる? とか聞いたわよぉ~とかハハハいろいろ助けてくれてますよだとか、なんだか親戚と親の集まりに囲まれたような挨拶を「いやぁ~、あはは。すいません」って感じでしのぎ切る。
ここで例のことを聞いてみようと思ったのは、本当に気まぐれだ。
俺が『マー君鬼のかくれんぼ』についてなにか知りませんかと訊ねると、スギサキさんとイシイさんの表情が少し硬くなっていた。
ほんの少しの間のあとにスギサキさんが「ちょっと、こっちに」と言ってジェスチャーで俺たちを廊下脇からはみ出した土の上に誘導。イシイさんも彼女を見ながら同じ領域に逸れて入った。
この時点でマイヅカ君が恐れるような顔つきになっていた。
「イッソ君(苗字)なら大丈夫だと思うから話しておく。本当は言っちゃいけないんだけど。でもあんまり真に受けすぎないで」
こういう切り出し方の時の信頼はうれしいというより重い。
それはともかく。
スギサキさんが話し始める。
「そのお話にある死んだ子、いるかもしれないの」
と。
横でマイヅカ君が俺を見ていた。
「それが『マー君』ですか」
「分からない。名前は違う」
本当の名前はなんて言うんですか。には「それは教えられない。亡くなった子のプライバシーだから」
それはそうか。
俺は『マー君鬼のかくれんぼ』のバックエピソードを思い出しながら一応大事なことを聞いていた。
「行方不明になって遺体で見つかったっていう子がいた、っていうコトですよね」
「うん、そう。ずっと昔の話でね。わたしがここに勤めるよりももっと前。わたしは先輩から聞いたの。ここ、古いから」
この病院が古いというのは当時の俺も院内生活の又聞きで知っていた。具体的にどれぐらい古いかはこの時は知らなかったけど。
この話を書くに当たりネットで調べたところ、本当に古かった。
これだけ歴史があれば患者の数もパターンも数え切れず、そういう亡くなり方をした子供もそりゃあいたんだろうなと、今こうして書きながらあらためて思っている。もちろん、ほかの死に方をした子も。完全な無事故・無事件はあり得ない。
病院は、そうした話が集まる場所なのだ。
しかしスギサキさんの話は単にそれだけではなかった。
「でもね。聞いた話っていうのはそうじゃないのね。だからえーと、なんて言おうかなぁ……その、お話にあるね? 『かくれんぼ』……これがやられていた、ていう話なの」
「……」
俺は一度、マイヅカ君を見たと思う。
マイヅカ君も俺を見ていたはずだ。
「スギサキさんがここで働くよりも前の、先輩さんの時代に『かくれんぼ』がやっていたっていうことですか」
「うん、そう。そうなの」
「つまりスギサキさんが聞いた話は、その子が亡くなった事件の記録の話じゃなく、すでに『かくれんぼ』の話だったってことですか」
「そう」
「……」
当時の俺よりも強く、執筆段階の俺は思う。
『マー君』は、いつの時代の子だったんだ?
「でもね、ここからは大事なお話だからちゃんと聞いてほしいの。まず、その『マー君』じゃないんだけど亡くなってしまった子はいるの。本物のカルテや記録はもう残っていないんだけど、そのかくれんぼの話があった時にはまだその記録が残っていて、その時に作った書類にその子の記録が少し書き写されていたという話なの」
少しややこしいが、理解はできた。その子自体のカルテは遺失してしまったが、遺失する前に別の書類に間接的に存在が残ることになった。
では、そんな風に記録が残るような『なにか』があったと……それはなんなのか?
それをスギサキさんは語ろうとしてくれているんだろう。
俺はすでに心の中に芽生えていた疑問は置いておき、話を聞いていた。
「えっと、その、『昔の』かくれんぼの時に……なにがあったんですか?」
「死人が出たの」
思わず沈黙していた。
わー……
わーーお……。
そんな感じの心境、というか、空白だったろうか。
ガチモンの怪談じゃん、と。
「……ヤバいな。」
とは地面ともつかない場所を見てのマイヅカ君。
厨二モードと素の中間の感じだろうか。
「そう、ヤバいの」
即応するスギサキさんの反応もこうして書いてみるとやや「フフッ」ってなる感じだが、この時は本当に真面目だった。
「かくれんぼでどうやって死ぬんですか?」
「行方不明になっちゃったの」
首を横に振りながら、また即答。
「え……行方不明で……遺体になった?」
「うん、そう」
「ええとだから、『マー君』じゃないけど『マー君』みたいな死に方で?」
「そうね」
「じゃあ……そのかくれんぼで死んでしまった子は『マー君』ですか?」
この時、俺が本当になんとなくした質問が、ヘンにクリティカルな部分をついてしまったみたいだった。
一瞬、スギサキさんとそのうしろのイシイさんは怪訝な顔をしていた。
こいつはなにを言っているんだ? という顔かと思い、言われてみれば意味不明な質問だったかもしれないから言い直そうと考えていたのを覚えている。
聞きたかったのは、二番目に死んだ子の名前は『マー君』ではないのか? ということだ。
そう言い直し方を考えていたところ「あっ」という顔にふたりが、なった。
同時ではなくてうしろのイシイさんの方が早かったのが、俺からはよく見えた。
この瞬間の俺は「理解してもらえたかよかった」ぐらいに思っていたが。
「それも教えられない。プライバシーだから」
スギサキさんは今までよりも重い声と硬い顔で、はっきりと首も振っていた。
「いや、スギサキさん。これ、ちょっと、本当に……よくないんじゃないですか……?」
とうしろからうかがうよう覗き込んでくる大きなイシイさんが、小さなスギサキさんに「とんでもないです。患者さんの安全のためです」と叱るように言われて首をすくめていた。
この時のイシイさんの意図は分からなかったが、退院後の訪問看護の時に教えてもらえた。
訪問看護というのは退院後のケアの一環で、一定期間に一度自宅を訪れて本人から近況などをうかがうというもの。俺は月一のその時にアパートでイシイさんから「ちゃんと教えた方がいいんじゃないかと思った」旨を聞くことができた。ありがとうイシイさん……。
こちらに向き直ったスギサキさんに俺は両肩をつかまれた。
考えてみてほしい。
物語ではなく現実で、友達同士のふざけあいとかでなく両肩をつかんで諭されるということは滅多にない。
なのでこの時のスギサキさんの雰囲気は本当に迫真だった。
「いいイッソー君、よぉっく聞いてね。その『かくれんぼ』の時にひとり亡くなってしまったんだけれど。それだけじゃなくて、当時は本当に大変な騒ぎになったの。病棟のたくさんの子が泣いたり不調になってしまって、移動も行なわれたのね。怪談とかお化けとかそういうのが本当にあるのかわたしは分からないし言えない。けれど問題が起こったことだけは本当なの。問題が起こったり、起こりそうだったら、わたしたちは対処しなくちゃならない。確率は低いけど、万が一だけれど、放置したらもしかしたらまた大変なことが起こるかもしれないの」
これを書いている俺は病院勤務なども経ているので、今なら分かる。
病院というのは本当に怪談や不思議な話が集まる。みんなで「こわーい」と言うためのコテコテなエンターテインメント類の怪談から、かつて実際にいた人の話、直近で亡くなってしまった人の話まで……
〝病院〟単位ではなく〝病棟〟単位で様々な逸話が発生し、語り継がれているものなのだ。
それらは単純な心霊現象という話ではなく、その人が歩んできた人生や、今関わっている家族の人生、思い、そのものについての話だ。その帰結にあるのは『もの悲しさ』であったり『祝福』であったりする。
そういったものに触れ続けていると霊というものもあるかもしれないなという気分にもなるし、そうでなくても、そういった人々の軌跡というものの〝代弁〟を、簡単には否定できるものじゃないと思わされる。
心霊現象というものが人々のためのエンターテインメントという箱を被らない時、それはきっと実際に在った人の人生の代弁なのだ。
M病院に長年勤務したスギサキさんもそうであったろうと思う。
スギサキさんはこの時、解釈や考えの公私はしっかり分けていただろう。立派だ。だからこそ〝心霊現象〟と〝問題〟を切り分けておきつつ、そのすぐ隣にあるかもしれない化外の気配を『察しろ』と言外に言ってくれていたのかもしれない。
いや気のせいかもしれない。
だとするとこの時の俺がそれを理解できると思われていたことになるし、それはさすがに買いかぶりがすぎるだろう。
スギサキさんは引き続き肩を持ったまま締めくくる。
「だから、その『かくれんぼ』はやっちゃダメということにすることになったの。会議でね? だからイッソー君も危ないことはしちゃダメ。危ないことをしそうな子がいたら止めてあげてほしいの。それとこの話はほかにしちゃダメ。これは本当にお願い」
「表向きは病棟内での盗難につながるかもしれないからっていう形でね。表向きはね」
とこの時には普段に近い調子に戻って補助するイシイさん。雑談の調子で、ちょっと困った現状を濁す笑顔だ。
「そう、盗難ね。盗難ダメだから。盛り上がりすぎると他室訪問も起こしてしまうかもしれないから。盗難嫌でしょ。ね? 他室訪問とかしてないでしょうねぇ~、ダメだからねぇ~?」
と、俺たちは必死にコクコクうなづいていた。
やるけどな。他室訪問チャレンジとかいう遊び。
部屋の奥までダッシュでいって出るとか、職員さんの前で足だけ出るよう反復横跳びしたり足だけ入れた気をつけで床に寝て職員さんがくるのを待ったり。上半身はアウト判定になりやすいから注意点だ。小グループの子が隠れて笑って見ていて、あとでマネすると職員さんに本気で怒られてしょぼくれてるんだよな。かわいそうに。
流れ的にこれ以上話を聞くわけにはいかないなと思った俺はあとで病棟でイシイさんに聞こっとと決めた。まだ気になることがあったからだ。
そうしてお説教から逃れる子供モードでその場をやりすごし、お世話になってる二名と別れを告げた。
しかし話の内容だけは、どうやら、ガチだ。
俺とマイヅカ君は少しの間そこに佇んでいた。
蒸し暑いのにやけに乾いて聞こえるセミの声は、かえって無音よりも無音らしい寒々しさを俺たちに与えていた。
俺たちは歩き回るのを切り上げて公園にいくことにした。