『マー君鬼のかくれんぼ』Ⅲ
M病院はまず正面玄関の外来棟があり、小さな連絡通路から内部に入ると各病棟施設につながる内廊下に出るという形になっている。
内廊下の形は丸く、円の内側がグラウンドになっている。
病棟の位置関係はこう。
. E棟
S棟〇W棟
[外来]
なので図で言う左側の連絡通路側に俺たちはきていた。
内廊下はすでに昼食を収めた重そうなワゴン車を運ぶ職員さんの姿が行き交っていて、メシの匂いが漂っていた。
「あのさ鬼ごっこやって『マー君』コッチに飛ばしたってホント? やったヤツ知ってんの?」
シバ君の問いに、窓越しに対応した子は完全に怯えていた。
一階にあるからこうして廊下から直で話しかけられるのだが、用事があることは滅多にない。
最初はそこの窓に向かってリュウさんが「おいテメちょっとこいや」と言ったがちらりと見るだけでスルー……というかキョドりながらホールの奥に逃げられていた。
それでちょっとキレかけていたが、今度は俺がもっと窓前までいって適当な子を呼び出し、話を聞かせてくれと言った運びだ。
まぁ『S-3』も閉鎖病棟で窓には花形の鉄格子がはまっているのでこれなら大事にはならない。
大きな窓でもないので、前にいるのはリュウさん、シバ君、イデ君、俺の四人だ。
「……」
うしろではマイヅカ君が緊張の面持ちで様子を見守っている。実はそんなに興味がないオトッチは昼食が入ったワゴンをチラチラしていた。
『S-3』病棟はいつ見ても薄暗い。
隣接する建物や樹に挟まれた一階な上に電気をつけていないからなおさら暗く見えるのだけど、なぜ電気をつけないのかは知らない。
その中を行き交う患者たちの姿は慣れたはずのこの異世界で、さらにほんのりと異世界を思わせた。歩き方や他人との距離の取り方が『自然でない』と感じさせる、わずかな違和感が可視化されていた気がした。
各病棟には年齢性別病状傾向といった〝割り振り〟がある。
ここは平均年齢が低めで『やや重い』病状の子供たちが集められていた。
しかし絶対ではない。ここにもグループはあって『普通寄り』が何人かいる。『E-6』で問題を起こして『E-3』に移ったヤツもいる。
要するに『E-3』は鬼ごっこの件がなくても仮想敵の色が濃いのである。
ほとんどの子は院内では弱グループに属するので無関係だけど。
「あのさ、大丈夫。知ってること聞かせてくれればいいから。もし脅されたり巻き込まれたりしたら、俺たちがソイツに話すから」
と念押しすると、対応者はギョロついた印象の目を上目遣いにコクリとうなづく。
「んだべ。お前、頼れよ? ざけたやつがいたら俺がブッ飛ばすから」
などとノッてくるリュウさんの横でシバ君もうなづいている。シバ君は安請け合いはしないし知人でもない人間を助ける気もないが、敵対者が明確に牙を剥いて今回シメることになるなら結果は同じだ、ぐらいに考えていたんだと思う。
そういうことで話を聞くことに成功した。
「ミキ君が……」
はい、当たり。
ミキというのは年齢を考えて一度『E-3』から『E-6』に移ってきたが、俺たちとトラブルを起こして『E-3』に戻っていったいわくつきのヤツである。当時は俺も嫌っているヤツだった。
ヤツが逃げるように『E-3』に戻っていってからしばらくは、有志で外出時にわざわざ遠回りをしてまでこの棟の前の廊下を通ってミキの名を呼んだり歌を叫んだりしてプレッシャー(笑)をかけていたものだ。
結論から言うとソイツが『マー君』を『E-6』に飛ばした張本人らしい。
笑いながら楽しそうに『飛ばした』ことを自慢していたらしい。
「ミキかよ」とイデ君が半笑いで言った。
「おいミキィ! こいやぁ! 出てこい! ブキミィ!」
リュウさんが窓の奥に向かって叫ぶ。
ブキミというのはミキにブ男の〝ブ〟をつけてさらに〝ブキミ〟に組み替えた感じ。
リュウさん発案で最初以外はもはやリュウさんしか使うことのないアダ名だが。
ブキミとブミキがこんがらがって呼びづらかったんだ。
「おいミキお前、『W-1』でもいろいろやってくれたよな。コッチも全員覚えてっからなー!」
とイデ君も笑いつつ内心は不愉快そうだ。
「ねぇ君ちょっとアイツ呼んできてくれない? お願い!」
ギョロ目の子にシバ君が優し怖い口調でリクエストするが逆効果だと思う。
「じゃあ午後の外出時間で出てくるように伝えてくれるだけでいいからっ」
だから逆効果だって。
「ブゥーキーミッ! なに調子くれてんだコラ! 隠れてんじゃねーぞおいこらブーキーミー! 出てこなかったら待ち伏せっからなテメー!」
「ミキィイ! 出てこォい!!」
いつの間にかマイヅカ君も出てきて叫んでいた。リュウさんとは比較にならない音量で、横にいた俺の耳が痛くなるぐらいだった。
ミキの名前が出てからマイヅカ君もキレていた。
ただでさえリュウさんの呼びかけでホール内の注目が集まっていたところにマイヅカ君がトドメとなり、職員さんが飛び出してきた。
「ちょっとちょっとうるさいよぉ。お昼時だよ? なにやってるのよ。どうしちゃったのよリュウちゃん、んー?」
と、出てきたのは以前『E-6』にいたことのあるユウジさん。
セリフだけだと勘違いされそうだが熊みたいにゴツい男性だ。
他棟の職員さんは異動のローテーションによって顔見知りである場合もある。
「マイヅカちゃんまでぇ。午前の門限すぎちゃうよ? それでなんなの?」
ユウジさんが出てきたことでマイヅカ君も「すいません」と普段の真面目少年に戻る……が、拳を握ってまだホール奥を探すように睨んでいた。
普通であるならここで「ミキ君が肝試しの鬼ごっこで幽霊をこっちに飛ばしました」なんて説明はしない……というかできないと考えて踏みとどまることだろう。
しかしここはいろんな意味で異世界である。
俺たちはかいつまんで鬼ごっこの話とミキが『マー君』を飛ばしてきた話、つまるところケンカを売られたんですという説明をユウジさんにした。
うーん……? とユウジさんは腕を組んで困っていた。そりゃそうだろう。
というより、迷惑行為をされたら困るよキミィ、というポーズだったと思う。
「でもそれで怒鳴り込んだらほかの子が怖がっちゃうでしょ……?」
「でもユウジさん。アイツめっちゃチョづいてるっしょ。アイツがなにしたかユウジさんも知ってるでしょ」
「でもねぇリュウちゃん、その問題はもう解決したわけでしょ? それでミキ君も痛い目みたんだし。『E-6』にもいられなくなっちゃって。かわいそうじゃない」
「ハイ! 自業自得だと思います!」
手を挙げてシバ君が模範解答を出した。
言葉の内容というよりピンと伸ばしたポーズのせいだろうがユウジさんもちょっと笑ってしまっていた。
「ヤッベ時間やっべ俺もう戻るわ! じゃあな!」
ここでイデ君が離脱。『W-1』にワゴンが入ったのでも見たのだろう。
「午後また話聞かせてねーー!」とグラウンドを突っ切って走り去りながらのイデ君に「おう! あとでな!」とリュウさんが応じた。
それを機にというわけではないだろうが、ユウジさんが組んでいた腕を腰に当て直した。
「うん。それは分かったけど。鬼ごっこ? とかいうのもよく分かんないんだけど。とにかくミキ君が君たちになんかしようとしてケンカ売られたって思っちゃったワケね? じゃあそれはよくないことだから俺から言っておくから、リュウちゃんたちもやめてあげてよ。とにかくほかの子とかは巻き込まないであげて?」
「いやぁ……ミキ次第でしょ。それは……」
「あー、イッソちゃんまでぇ。なんでだろな~」
「そうっすよミキ次第じゃないすかユウジさん」
「そうだ。ミキ次第だ」
「ミッキしっだい、ミッキシダイ!」
リュウさん、マイヅカ君、シバ君の順に乗ってくる。
「ミッキシッダイ! ミッキシッダイ!」
「ミッキシッダイ、ミッキシアイ、ミキシアイ!」
「ミキシアイ!」
「ミ〇プルーン!」
「なに言ってんのよもぉ~」
俺たちはヘンなテンションになっていたと言わざるを得ない。
「はいはい! とにかくケンカはだめだから。ミキ君には俺たちから言っておくから戻りなさい。外出禁止になっても知らないよ?」
腕時計を叩きながら見せられて本当にヤバい時間だということが分かった俺たちはウィースとでも言いながら立ち去ろうと背中を見せる。
その時、振り返った先にいたオトッチが俺たち――ではなくホールに向かってすごい煽り顔で中指を立てた。
瞬間――『ギャアアアアアアアアアアアアアア、ウェアアアアアアアアアアアアアア、ギャアアアアアアアアアアアアアロッシテヤルウウウウウワアアアアアアアアアアアア!』という叫び声がかなり遠くから響いてきて俺たちはもう一度振り向き直した。
そこには水をこぼしながらマイコップを振り回して叫んでいるミキの姿があった。
俺たちが立ち去るまで隠れて見ていて、ホール奥から出てこようとしたところを目ざとく見つけたオトッチの挑発が捕まえたようだった。
オトッチ、興味なさそうだったのに急にやる気出すなよ。
「あーはいはい! 君たちも早く戻って! じゃあね!」
ミキは顔を本当に真っ赤にして泣きながら叫んでいた。
でも職員が取り押さえにいくまでもなくミキ自身はこっちに寄ってこようとはしてきていない。
その時その性根の卑怯さに俺たちは心底イライラしていた。
「ミキプ〇ーン! プルンプルンしてやるからなァ……!」
オトッチ、ミキプルー〇がなにをした?
というか〇キプルーンになにをする気だ?
「安心して外出できると思うなァッ!!」
マイヅカ君が背中を見せたまま叫ぶ。こういう時の彼はちょっと芝居がかってるのでキメゼリフのつもりだったんだろう。でもそれだと声量のすごさはミキにはあんまり届いてなかったと思う。俺らにうるさかっただけだ。
そんなこんなで本当に時間がやばい俺たちは全力で走って『E-6』病棟に帰還した。
たどり着いた玄関先でアクリル板をゴールのようにバンと手をつく。待ち構えていて笑顔で首を振って立ち去ろうとする職員のユサさんに必死に媚びてことなきを得た。
昼食は食堂で摂る。
食堂の給湯室兼配給室は原則患者の入れない場所。『E-6』は二階なのでワゴンを運ぶエレベーターがあり給仕の職員さん(看護士ではない)はここから一緒に上がってくる。
給湯室には鍵つきの小窓があって、食事時にはここに並び、自分の名前を言う。職員さんが名札のついたプレートを取り出して渡してくれる。
食事内容は共通の献立だが、おかずや白米の量などが患者によって違うことがある。基本は同じだけど以上の理由からプレートは個人ごとに決められているものが配られるわけだ。
本人の申請式で、問題がなければ白米は大盛にしてもらえる・ふりかけが追加できるという裏技もあり当然ながら自分は大盛ふりかけつきだ。
なぜだか知らないけど職員さんはこのことを自分からは教えてくれない。真偽を問いただして初めて分かる。
たぶん手間を増やしたくない調理側の問題だろう。知られさえしなければ名札を置くだけでいいから。
特別まずくもないが決してうまくもない病院食を食う。
今日のメンバーは先ほどと同じで固まった。食事は好きな席と好きなメンバーで食べてよい。
スバルが帰りを待っていて一緒に食べようそして食べ終わったら決闘しようと誘ってくれたが今日はこの案件のためにパスした。ただ席も一緒じゃダメということはないので一緒にはいたが、俺たちの話題を聞くにさっさと食べ終わってどっかにいってしまった。それでいい。マイヅカ君は惜しそうにしていたが俺たちを選んだ。別によかったんだぞ。
さてだ。リュウさん。マイヅカ君。オトッチ。シバ君。俺。
それに加えてタケちゃん、オミズ、セキっち、シミズも興味を持って座ってきていたと思う。
このころのグループほぼ総勢だ。
簡単に言うとタケちゃんはLUN〇 SEAファンでコピバンボーカル。オミズはモー娘追っかけ。セキっちはジャニーズ系イケメン。
俺たちは昼飯を食べながら話を知らないメンバーにも昼前のできごとを話す。
ミキの名前が出た時点で全員の意見はほぼ一致していた。
この時の俺たちは『マー君』と鬼ごっこのことなどまーーるでどうでもよかった。
ほんっとうにどうでもよかった。
ミキが外出するところを捕まえて公園まで連れてゆく。つるんでいるヤツがいるならソイツも一緒でいい。
その具体的な算段だけを話し合おうとしていた。
実際、話し合っていたんだけど……すぐに釘を刺されることになる。
食堂で固まっている俺たちのところにナースステーションから出てきた職員のユサさんが歩み寄ってきて、わざとらしくテーブルに腰を預けた。
「なになになんの相談ー?」
「なんでもないっすよ」
「なんの相談かなー?」
「ちょ、なんでもないですってば!」
「えー? 本当にー?」
めちゃめちゃ嫌な予感がしていた俺たちは懸命に躱そうとしたがユサさんの笑顔の中にある確信はそれを上回っていた。
「今ユウジさんから連絡があったけどさー。ダメだからねー? もし暴力事件が起きたら全員ペナルティでーす!」
あーあ。
終わったな。
ただ、俺はなかば最初からこんな感じになるだろうなとは思っていたのでブーイングには参加しつつもそんなに追いすがる気は起こらなかった。
その分ユウジさんの「言っておくから」も言葉だけでなく現実味を帯びていた。俺たちを敵に回した件ではミキに罪があることは認知されているからだ。だから俺たちもほぼペナルティなしでいられている。
「でも、もし外出とかでスバル狙われたらどうするんです。許さないっすよ。さすがに」
そういう危険性があるだろ、ということは言っておく。実際こちらが我慢するだけじゃ解決にならないぞということをだ。
「うんだからそれは分かるからわたしたちが言っておくから」
早口のユサさんの言葉には断ち切るような強さがあって、俺たちはひとまずの納得を得た。
一応言っておくと、俺たちがケンカに明け暮れる危険な生活を送っていると思われているかもしれないがそんなことはない。
むしろケンカなんて年に何度遭遇するかぐらいだ。
それも病棟内でのケンカの話。
病棟同士の争いなどは今回のようにお互いが玄関先でオラついて終わることがほとんどだ。鍵がかかってるから入れないし職員さんもすぐ出てくる。
外出を狙うレベルの敵対もそんなにないし、違う病棟同士の外出は捕まえるのもむずかしい。
前述の『こんな感じになるだろうな』っていうのは、そういうこと。
実際に遭遇したガチでやばい場面は……三回か四回ぐらいだったと思う。
ゼロではないというのも今思うとすごい話だが。
「はい散った散った! 掃除の人が掃除できない。ヘンな会議は散った散った!」
と強制解散させられた。
別に数ある長テーブルの一角に固まっていたところで掃除のおっちゃんが困ることはそんなにないが、ユサさんが可愛かったので俺的にはヨシ!
だった。
予定が潰れた俺は『6号室』に戻り「スバルぅ!! 決闘ラァア!!」と扉を開けながら突撃し「デュエラアってなんだよ!」と非常に良い反応をもらいながらも決闘に挑んでいった。『神の使用アリ』のルールで。
スバルと俺の位置関係は廊下側の壁からスバル、俺という形で隣同士だ。だからそれぞれ自分のベッドの上にデッキを展開して決闘ができる。ちなみにさらに隣の窓際がリュウさんだ。
その決闘中などの間に昼食時あるていど話を聞いていたスバルと「『マー君』ってさ、どんな子なんだろうね!」「っていうかそんな鬼ごっこ聞いたことないし! だれが考えたんだろ!」「外出許可出てないんだったらさ、他室訪問しまくるよね!」などなどの話もしていた――
この日はこれで特に変わったこともなく、夕食時に『ボクの背中には羽根がある』が流れる歌番組などを見て終わる。
しいて言うなら『1号室』のタカシナ君がウドー君に対して「あの、ウチの部屋の前でなにをつぶやいているんですか? なんでつぶやいてるんですか? 怖いんですけど」「あの、いえ、ウ~~~、って言われてても分からないんですけど、あの」と真面目に絡んでいて通りすがった子たちのエンターテインメントになってくれていたぐらいだ。
始まりと言うべき事件は、次の日の夜に起こる。
この病棟の消灯時間は九時になる。
金曜ロードショーとか木曜洋画劇場とかもロクに見られない時間だ。どうしてもほしい番組は録画予約をしてもらう。
照明が消えたからといって九時ぴったりに眠るやつもそうそうおらず、しばらくは廊下やホールに残ったり相手の部屋の扉を開けてすぐの廊下に座り込んで雑談したりとするが……
なんだかんだで順次寝静まってゆく。そういうものだ。
しかし十一時、十二時付近となると事情が違う。もうほぼ全員寝静まっている。
俺が起こされたのはそのあたりの時間帯だった。
「イッソー、イッソ……?」
「……」
俺は無言で上半身を起こし、スライド開閉のドアを少しだけ開けた中央から、廊下の夜用照明の灯りでボンヤリ浮かび上げられたシルエットを見た。