凡才なるカンブリア
きょうもたくさんの人が、行き来するこの通路。それほど狭くはないのだが、人と、行き交うものが多数すぎて、ぶつからずに歩くのが奇跡に思える。ふりだけでも忙しくしてないと、罰せられそうだとため息を吐きたくなると、見慣れた二人連れが、肩を落としてやってきた。同士よ! 心の中で叫んで、片手をあげた。
「よぅ、サンライズかみがかり」
サンライズ神係は若手芸人。30にほど近い年齢は、世間じゃおっさん扱いされるが、この世界じゃ若手の域。オレの12期下で、同じ養成所の出だ。疲れた笑顔で同時に頭を下げ、背の高いほうのボケ役が言う。
「3時から朝番のナマで、眠いっす。移動で仮眠するっす。サエズリ虫さんは、これからっすか?」
仕事かい。よかった。同士だなんて言わなくて。
「ああ。まぁ」
あいまいに頷いておく。
「お互い、忙しくてなによりっすね。また食事に誘ってください」
「しつれいしまっす」
同時に礼をし、つつきあいながら通路の波に消えていく。その背中にたくましさを感じる。現在上昇中の自信にあふれた背中だ。若手が台頭すれば、古いヤツは消える。延びるやつは伸びて人気を勝ち取るが、いつまで続くなんて保証はない。そういう世界に俺たちは魅了され生きている。
サエズリ虫。それがオレの芸名。よく口が回るという業界アピールだが、口下手な自分を鼓舞する意味あいのほうが強かった。
開けっぱなしの防災扉をくぐる。収録準備の人と物でごったがすスタジオに足を踏み入れた。オレは、忙しく立ち働く大勢のスタッフの前を、わざとゆったり横切った。壁際に、サンライズ神係より、ずっと若い芸人たちがわんさといる。見学かオレと同じ目的か。目ざわりだと、言わんばかりの注目を浴びたところで、うさんくさそうな目でみる若手らの端に、どんと背をもたらせた。
オレの仕事は、ここにない。呼ばれたわけじゃないから当然だ。なぜ来ているのか。そんなに暇か。その通り。数年前から、オレのスケジュールは真っ新状態。マネージャーもいなくなった。所属プロかから言われた。仕事は自分で、さもなきゃ辞めろ。
テレビ番組は、時間に厳しい。コンテは秒単位で組み立てられていて、無駄な隙間は1秒もない。スポンサーの意志を尊重するので、なおさらゆとりはなくなる。いっぽう、番組は生き物だ。面白味がないガチガチ展開は、視聴者に飽きられる。腕のいいディレクターはそこのバランスが絶妙で、時間一杯、視聴者を釘付けにする。
そこにオレの出る幕が、出番の可能性がある。スポット的にお声がかかることが、稀にあるのだ。運がよければだが、顔馴染みのディレクターが呼んでくれることに、期待をかけ、ここにいるのだ。オレのような、枯れた芸人が食い扶持を稼ぐには、もうそれしかないのだ。目から生暖かい水が……。
ディレクターの一人が、大げさに両手を広げ、この場にいる全員の注意を集める。忙しかった人の動きと声と、音が停止する。本番だ。
「みなさん本日もよろしくです! 本番いきまーす! 5秒前!4、3、……」
指の数字がカウントダウン。2、1、0。8時ジャスト。男女のMCがおはようございますと、カメラに向かって元気に頭を下げる。スタッフキャストが費やした準備が集約、価値が問われる、朝のニュースバラエティが始まった。
わはははと、楽屋ウケの笑いが飛ぶなか、オレは、天井の証明をぼんやり見上げる。
二十六年か。
これといった評判も、注目も受けないまま、ずるずるきた。
「いつかは」の思いだけで、引退もできないまま、44という年齢に。
人生には浮き沈みがある。そんな一般論があたかも数学の公式のように、定説化、標語となってる。なら、沈みっぱなしの人間にはなにがある。どのような、お似合いの標語があるというのだろう。一回でいい、人気を博したかった。一度でも浮くことがあったなら、良い思い出を抱えて引退。というか辞める決心もついたかもしれない。
沈みっぱなしの人間には、やめるチャンスも与えられない。
努力し続けるのも才能という。だが、芽が出ない芸人にはどんな才能が?
才能のないことに気づかないことも、才能のうち?
MCがスゲーを連発。笑いとろうと、つまらないニュースを大げさに評したのだが、ハズした。冷めた空気を回復させようとした、ツッコミ役の相方もすべる。オレの隣で若手目を輝かせる「やっぱ本物はすごいね」と。あれが演出だと観てるお前ら、オレより先は短いぞ。LEDのスポットライトが無情に明るく感じた。
「やぁ、サエズリ虫」
体型のがっちりした男がやってきた。男は、部下だろうか、5人ほどの男女を引き連れ、本番中にもかかわらず、冗談をとばしてる。一声いうたび、追従の笑いが男女らからこぼれる。
「おはようございます、山城さん」
オレは、良く知った男に頭を下げた。小柄でグラマラスな女性が、長いウェーブを書き上げて半歩、男を守る壁のように間に入る。
「どなたですか馴れ馴れしい。山城プロデューサーに、無礼でしょう」
「……無礼は君だ。下がってろ」
山城が叱る。「……申し訳ございません」オレをにらんで、女性が引き下がる。
この山城とは付き合いが長い。彼がこのTV局新入社員として採用されたのは、ちょうどオレがこの世界にはいった年のこと。すぐに頭角を現し、いまや、プロデューサーとして3つの番組を抱えるのみならず、コメンテーターとしても売れっ子だ。ネットその他のお手軽娯楽に押され、TV視聴率が低迷するなか、群を抜く出世と遂げてる。
「無礼でしたか、ね。今後は気を付けます」
オレが言うと、ふーっと、困り顔でため息を吐いた。
「よしてくれよ。昔っからの長い付き合いなんだからさ。タメ口でやってくれ」
「ないでしょう。お偉いプロデューサーにそれは」
「今度、じっくり話そうか。それはそうと」
番組は進行していく。メイン・サブ二人のMCが、身振りをまじえてコーナートークをこなしてる。横目に見据えながら、山城の右手がウェイターがトレイを持つような仕草をとると、後ろで控えた若い男が電子タバコを渡した。
「どう見る?」
ふぅー。大きく吸い込んだエセタバコが赤く輝く。エコを意識した水煙が立ち上がってあたりにはフレーバーな香りが拡散していく。
どうって何が。オンエアだぞ。喫煙はダメだろ電子タバコも。いやそれより、お前はハレムの王かよ。
「すばらしいトークですわね。旬の芸能人を抜擢した神崎プロデューサーの目利きはさすがです」
ああそっち。この番組のプロは、後輩の神崎だったのか。構成がよくない。実力あるMCの良さを殺してる。こいつらは、しゃべりよりも、リアクションのほうが生きる。
「お前には聞いてない。サエズリ虫。どうだ?」
女の視線がさらに冷えた。ほかの追従も敵対の目線。居並ぶ若手たちが、息をのんで目を見張る。オレせいかよ。
どう答えたものか。こいつは昔からへそ曲がりだった。右といえば左を選ぶクセがある。自分の中で答えができており、忖度な回答をしたとする。だが回答が一致しても、だよなーといいつつ否定してくる。そんなつまんねーことは誰でも考える、と翻すような奴なのだ。
つまり、考えるだけムダ。策を練ってバカにされるくらいなら、思ったままぶちかましたほうが、否定されてもスッキリする。そうやって付き合ってきたのだ。山城が背後の連中に、どう思うかふってるが、みながオレを凝視する。視線があって、言われされるのが怖いのだ。
「ソースが弱いです。先週の大臣ゴシップの反動ですね。泣き落としなんていうつまんない結末に視聴者感情の浮いたままです。逆鱗の飛び火が怖いから、ネタが穏便なんでしょね。任されたって感じでMC的には腕のみせどころでしょうが。引っ張りきれてないでしょ、あれ」
「だよなー。地力はあるんだよ。でも経験がな。平穏時の数字こそ実力で、そこを稼げってパッパかけてんだが、神崎、わかってないようだ。人気上昇なのにもったいない。こんなんじゃよくて降板で……」
「最悪、番組打ち切りも……ですか」
うなずく山城に、とり巻き連中がざわつく。山城の番組評価は、常に的確で外したことがない。発信するSNSは、他局も気に掛けていて、新番組が方針を変更したのは有名な話だ。
遠巻きに聞かないふりをしていたディレクターたちの額に汗が噴き出し、でっぷりした男性の一人は白目を剥く。いまにも倒れこみそうだ。
「いけるかい。5分と32秒後だが」
こいつは時々こうして、仕事にあぶれるオレを使ってくれる。足を向けては寝られない。マジで。指を二本立てた。Vサインじゃない。2分でイケるの意味。
「進行修正だ。ディレクター!」
「そんな勝手……山城さん、責任者はぼくなんですよ」
「黙っとけ。広田、いいか?」
「3カメ変更。準備。スイッチャーもヨロ?」
「いいよ広田。わかってるねぇ」
オレは動いた。慣れきった手際で準備しながら、カメラ斜線を目視。そこから大きく距離を取る。最大パフォーマンスが発揮できるギリまで、スタジオの壁限界まで、移動し待機。すーはー呼吸を整え気持ちをスタンバイ。いつでも跳びこめるよう、手足をぶらぶら体をほぐす。
「理解してるんですか。朝の番組の、しかもナマなんですよ山城さん!時代が違います。スポンサー激怒ですよ。考え直してください!」
側近だか部下だかの女が食い下がる。追従だけじゃなかったんだな。意見には同意だが、山城命令が優先だ。受けた仕事は、きっちりやる。
「よっしー。CM戻ったな……サエズリ虫!」
ぴょんとひと跳ねで勢いをつけ、駆けだした。
一歩、二歩、3歩。カメラ斜線を抜けた。いまだ。
「ぴっひょろ、ぴっぴ~~カンブリアぁ~」
祝地球生誕46億年と描いた全身タイツ。からだのいたるところに張り付けた、46個の紙笛が、走る風を受けて、ぴろろろ~という音で鳴らして伸びる。英語じゃ”blowouts”、日本語だと、ピロピロ笛とか吹き戻し笛とか呼ばれる。夜店や駄菓子屋に並ぶ、あの笛だ。
「ぴっぴぴ、オルドビスゥ~ 元気かデボン~」
両手を広げてスタジオを、所狭しと。マジに狭いが、とにかく駆け巡る。
しんと静まる、ナマ本番のスタジオ。青くなってるのはこの番組のプロデューサー。山城ではない。何が起こってるか理解不能、機能不全の模様だ。担当営業課長は卒倒、スポンサーが、手のスマホをたたきつけた。なにもかも、オレの知ったことじゃない。
硬直するMCに、笛をなげつける。
「元気たりないMCぴっぴ!! 吹いて元気で、三畳白亜ぁ!」
「さ、さえずり虫っさん? 吹けってか? いや」
「スタジオ、雲ひとつないんすけど? 吹くけど」
「吹くのかよっ!」
静まったスタジオに、笑いが起こった。小さいが確かな変化だ。冷めた空気より心地いい。オレはショッピングモールを模したセットを横ぎって、その後ろをぐるりと一周。照明とカメラのある正面まで戻り、そこの左右を行ったり来たり走る続ける。ディレクターが両手の平で、止めろのジェスチャー。まだだ。まだ30秒にもなってない。もっと引っ張る。いま停まっては、山城の推した意味がなくなる。
ピロピロ笛をつけて走る。始めたきっかけは、台風中継だった。
温暖化で、毎年アップしていく風速を、笑い飛ばせないかと模索、たどりついた。
はじめは吹き流しを背負ったのだが、強風で煽られてロープが絡まりぐるぐる転倒。シャレにならない怪我を負った。別の方法として、子供がやってた、ピロピロ笛を思いついた。
「いいぞー。さえずり虫ぃ!」
「元気かデボン、ぴっぴら、オルドビス!」
山城へ、片目をつぶる。
野外向けのネタだ。笛はラッパ状に細工し、空気を取り込みやすくなってるが、走って空気を送らないと鳴らない。広いスペースが必要なのだ。風があればもっといい。オレの芸人ライフで、唯一のヒット。大きなウケはないが、暴風時期がくるといまでも声がかかるテッパンネタとなった。
プロデューサーが、山城にくってかかる。
「山城さん。いや、山城! あんた、人の番組、ぶちこわす気か」
「神崎ちゃん。ウケてるからいいじゃない。SNSみてみなよ」
「おお増えてる。って、そういう問題じゃない深夜バラじゃねーんだぞ」
「わたしもそう思います。あの人、なんなんですか。それにあの呪文みたいなの」
オレが走り回ったのは、2分15秒。この手の飛び入りとしては異例の長さだ。一時的に大混乱したものの、現場にはわりと歓迎ムード。リラックスできたMCは、持ち味を取り戻し、ゲストのコメントへのリアクション連発に、笑いが止まらなくなった。
「……うそ。流れが変わった」
「だろ?スゲーんだよ、さえずり虫は。この爆破力は誰にもだせない」
「こんなタレントが、いたんですね」
「知らないのも無理はない。お前が子供のころに活躍した芸人だからな。だがずっと、いたんだよ。地方局や、深夜の天気番組なんかで食いつなぎながら。本物だよ。よかったろ神崎?」
「……ふん。おいそこのカメラ!終わったんなら次だ。目張り違ってんぞ!!」
「こんなに面白いんだから。ずっと使っていきましょうよ」
「色が濃ゆくて使いづらいんだ。それにもう……」
大うけにウケたのは視聴者。低迷がウソのような神回となり、視聴率も回復。オレには渋顔だった制作側も動かないわけにはいかず、スポンサーを説き伏せる。こうして番組は、存続どころか、ギネスレベルの長寿番組へと突き進んでいった。
「ふぅ。今日も客が少ないなぁ」
「そりゃそうでしょうよ。ジオパークなんて、ウィークデーに混む施設ではありません」
「あんたも、パークの学芸員でしょうが」
「私は好きでやってるんです。お客さんが少なくても関係ありません」
「ほいほい。でもそれなりにいるんだよなー。3人か」
「がんばですよ、御子柴さん」
あのときオレは、山城に軽くハイタッチだけして、逃げるようにスタジオから退散した。空気を読む芸人としては、糾弾はごめん被る。そしてそれがオレの、最後の出番となった。やっと辞める決心がついたのだ。
いまは、地元でも人気のない、ジオパークの学芸員だ。当時のオレは、通信過程で大学を卒業できるほどヒマだった。趣味の地質で学芸員の資格を取れるほど。成りてのいない博物館に入り込めたのは幸運だった。
毎日が忙しい。充実してるかと聞かれれば、してるんだろう。花道をくれた山崎には、感謝しかない。
芸人を目指す人は多い。そのうち、名が売れる人間は、1%もいるだろうか。身を置いた人間としては、大絶滅よりもよほど過酷な世界だと、思ったものだ。一発芸人という言葉があるが、一発でもあたりがある芸人は、成功者なのだ。
オレは、誰かの心に、爪痕を残せただろうか。
「あんた、芸人さんだったんだろ? えーと」
「さえずり虫ですよ、おばあさん。覚えていてくれて嬉しいです」
「そうそう、オルドビスとか、カンブリアーってね。あれって地球の年代だったのねぇ」
「よく知ってますね」
「気になって調べたのよ」
「興味をもってくれたんですね。ですが、もっと違う意味もあるんです」
「そうなの? どんな」
カンブリアとかデポンとかは、理科の授業よりもクイズ番組の問題で、聞くことが多いだろう。
「ご案内します。それがわかると地質がもっと面白くなりますよ」
「楽しみだわ」
オレが叫んでたのは、5大絶滅。最大で95%もの生命が、この地上から事消えてしまった。ビッグファイブとも呼ばれる、有名な生命絶滅だ。うそのようだが、化石などから判明した事実。なんども死滅しては、そのたびに復活し反映を繰り返してる。
どんな生物も、地球の年齢からみれば、一瞬にも満たない。我々は、46億年の刹那の上、生きている、生かされてるすぎない存在。だが、裏を返せば、かくもしぶとい生命の執着がみえる。オレは、微かにだが、爪痕を残せたのかもしれない。
「カンブリア、オルドビスゥ、元気かデボン~三畳白亜ぁ」