恥ずかしがってたら、何もできへん!始まらへん!!
これは私の幼少期から社会へと出ていくまでの物語です。
最初は少し細かい内容になると思いますが、これを省くと後半に繋がっていかない。
少々飽きそうになると思いますが、どうぞ気長にお付き合いください。
☆初めに言っときますが、決して深刻なことを書くつもりは毛頭ありませんのでよろしゅう頼んます。
- 序章 - 物語の初めは、物心をついた時から始まります。
こんな経験めったに聞けない話なのでちょっとだけ付き合ってやってください。私は関西出身で物心をついた時には既に多くの人、つまり男女問わず小3の春ごろまで一緒に生活をしていました。
普通の人にとっては「なんのこっちゃ?」「ようわからん?」と言われるような話かもしれませんね。でも後でこの話を理解した人の反応と言えば、「へぇ~大変やったんですね!」こんな感想が聞こえてきます。
それはそれで仕方のない反応なんですが、言葉は悪いですが”同情するなら…”
《※安達祐実さんのセリフを引用させていただきました》
確かに当時は、いろんな事情を抱えていた子たちの施設です。そんな中ちょっと不思議な出来事が起こっていました。月2回、或いは毎週1回だけ見知らぬオジサンが家に連れて帰って美味しいものやいろんなところに遊びに連れて行ってくれ、家に泊めてくれてたんです。子供ながらに何なんこの人??いったい誰???的なそんな感じで過ごすうちに気づいた事がありました。
何とココには、0歳児から12歳まで男女の共同生活でした。しかもですよ、お風呂のないのが当たり前、毎日銭湯へ行くんです。集団で...(笑)今思えば得したことは、女湯に9歳までは入れた事♨思春期前でしたのでついてるものが違うことに戸惑っていました。
そりぇ当然女子は顔を赤らめて怒りました...。帰ってから先生にめいっぱい絞られましたが、その時は何でなんかようわからんかったけど、今なら大ごとですよ!(笑)
ここまでの《登場人物》
●おじさん
●先生(施設常駐の)
●女子(同じ施設の銭湯)
●その他(子供たち)
まぁそんな感じでお話は進んでいきます。
第一章の次回は、施設での生活を中心に書いていきます。
こんな形で今、自分の半生を書けるのも今は亡き父や施設で出会った方、そして社会に出たときに信じてくださった方々のおかげです。
特に妻には感謝しきれない思いです。何時も支えてくれて有難う