八話 勉強会
「だ~か~ら~仕方なかったんですって~あれは不可抗力ですよ~」
朝、煉の家への道を歩きながら凜花は電話で抗議する。
「生かさず殺すなって言っただろうが……」
電話主は先日直接報告を聞きに来た雛という男。
彼の言葉に怒りはない。ただ呆れているだけ、と言った所か。
凜花の実力はお墨付き。組織内でもトップクラス。その凜花が不可抗力だと言えばそれはもう不可抗力以外の何でもないのだ。だからそれについて追及するつもりは微塵も無いのだ。
「それで奴らは何か薬について漏らしたか?」
「…ほとんど何も。ただ最近巷に出回っている依存性の強い薬は彼女達が売人として売っていたらしいです。」
「あぁ、なるほど。その麻薬をヤクザに売り、ヤクザと繋がりを持って情報を得て、売った金で先祖返りの力を強制的に倍増させる薬の資金にしていた訳か。」
「そのようです。とりあえず黒豹はほぼ壊滅に等しい状態にあります。あの日あの場に居なかった者達の始末は出来ていませんが、遺体は全て掃除屋が回収してくれました。何体かは検査に回し、麻薬の効能について調べるそうです。」
「分かった。お前もターゲットの監視を続けろ。薬を捌く部下組織が壊滅した以上、人で確保の為にも連中は大きな相手に薬を売りつけようと動くはずだ。その時は…分かってるな?」
「勿論です。それが目的でわざわざ面倒な手続き踏んでまで潜入してるんですから。」
雛が念を押すように言うと、電話なのににっこりと笑顔を浮かべて、当然の様に答えた。
「なら良い。お前に限ってないと思うが大事な”煉君”以外に情を抱くなよ。お前の力で護れるのは”煉君”一人が限界だからな。」
「はい。勿論です。煉君の為なら私はこの職だって捨てる覚悟にありますから。」
その時凜花の目が本気だったのは電話越しでも雛に伝わった。それだけの気迫があったのだ。
「流石にそれはやめてくれ。うちが困る。」
「ふふっ…例えですよ。そんな日は…来ない方がいいですから。」
「そうだな。」
冗談めいて困った振りをする雛に、凜花へすぐさま雰囲気を和らげた。そしていつものように優しく微笑んで電話を切った。
「煉君、おはようございます」
昨日の戦闘があったばかりだというのに凜花はいつもと変わらない笑顔を向ける。
「あぁ、おはよう。ところで今日は一緒に帰れなくなった。悪いな。」
「え……」
朝一の煉の一言で凜花の顔から笑顔が消えた。
「テスト勉強?」
「あぁ、テスト前になると毎回大河とテスト勉強するんだよ。だからお前とは帰れない。」
「それなら私も残りますー!」
「学校でやるんじゃないんだよ。大河の家が厳しくてな、毎回迎えが来るんだ。それで大河の家でテスト勉強をする。」
「それなら私も行きたいですー!大河先輩とはこの前お話した感じ、仲良くなれそうでしたし…」
「テスト前だから勉強するんだよ…そもそも俺達とお前じゃ学年違うから勉強内容も違うだろ…」
駄々をこねる凜花に呆れながら説得に試みるが、ぼそっと衝撃の事実を告げられる。
「…………………大学卒業レベルの学力ならあります……」
「えっ?」
「え?」
「え、それ本当か?」
「えー?なんの話しですかぁ?」
煉が真顔で聞き返すと凜花はとぼけてみせた。
「とぼけるな。今大学卒業レベルの学力はあるって……」
「……あぁ、聞こえてたなら仕方ないですね。ありますよ。」
当然のようにさらりと衝撃の事実を暴露された。
「お前今いくつだ?」
「私?十五歳ですよ?」
「だよな?なんで大学卒業レベルの学力があるって分かるんだ?」
「一応大卒検定には合格してますし、英検や漢検も準一級まで取得済みです。」
「…………………嘘だろ……」
当然の様に話す凜花に煉は驚きを隠せない。裏社会を生きる者としては学の無い者が圧倒的に多い。学校に行けていない、行かなかった者も沢山。年齢と同等の学力が無い者が多いし、煉も高校に通う事で勉強しているのだ。それを年齢以上の学力があるとは…スパイとして育てられるか余程大切に育てられてきたか…どちらにせよ、凜花の属する組織が凜花を貴重だと思っているのは間違いないのだと察した。
そして年上の威厳的なものを何一つとして示せない自分に肩を落とす。
「本当ですよ?」
凜花は小悪魔のような笑顔をみせた。
「大河……」
教室に着いた煉は大河を見て渋々聞いてみた。
「今日……勉強するだろ?……あいつも一緒に来たいって言ってるんだが……ダメだよな?」
嫌なら断ってくれて良い。むしろ断れってくれ。断ってくれると信じている。ただ「あぁ、そうだな、ダメだ」って一言言ってくれればいい…そんな祈りを込めて問うが、あっさりと打ち砕かれる。
「あいつって…凜花ちゃんだろ?うちがどんな感じかわかっててが言ってるんなら俺は全然構わないよ。」
そういうとは思っていたが大河は相変わらず人が良すぎる。
「あぁ、まぁ大丈夫だろ。ありがとう。そう伝えておく。」
凜花の事だ。どうせ自分の交友関係についても調べ尽くしているのだろう。大河の家庭事情も事細かく知っているはずだ。
「男二人の勉強に花が咲くみたいだな!」
大河は嬉しそうに笑った。
可愛い子には目がない。だからといってカップルに横槍を入れるつもりはさらさらなく、ただ幸せになれよ、と優しい眼差しを向けてくるのだ。
「それ聞いたらあいつも喜ぶ。」
煉は素早く凜花に連絡する。
来てもいいそうだ。放課後自分の教室に来い、と。
それを見た凜花はにこりと微笑んだ。
放課後になり凜花が煉達の教室を訪れる。
「大河先輩、今日は急なわがまま失礼しました」
凜花が愛想のいい笑顔を浮かべて近付くと、大河もにこやかに微笑んだ。
「いいよそれくらい。せっかく煉と付き合ってるんだから少しでも長く煉の近くに居たいって思うのは当然だもんな。」
大河は一人でうんうんと頷いている。
「テスト期間はカップルで勉強すべきだ!」
「…なるほど…そういうものなのですね!」
凜花は真面目な顔をしてカップルに対する持論を唱える大河の話を真面目な顔をして聞き入る。
「おい、大河、自分の夢をこいつに吹き込むな。結構何でもやるんだからな。」
煉が凜花の頭に手を乗せ、大河を制す。
「へぇ…凜花ちゃんって結構積極的なタイプなのか…あぁ、でも確かに初めて会った時も煉の腕に飛び付いてたし…大人しそうに見えて実は…って感じかあ…」
大河は一人で凜花に対するイメージを膨らませていく。
「変な理想を抱くと後で幻滅するぞー」
「その上げて落とすスタイル何なんですか?」
楽しげに話す三人は傍から見れば仲のいいカップルとその友人に見えるだろう。
”作られた関係であること”を忘れてしまうほど、煉は和やかに笑っていた。
荷物をまとめて外に出ると、大河は迷わず裏門に向かった。
裏門は鬱蒼とした木々が茂っていて、常に日陰になっている。そのせいかすこしじめじめしていて、虫が出そうだし、裏門を出ると人気の少ない道に出る為か、女子生徒だけでなく男子生徒も殆ど使わない。
凜花はそんな裏門に虫が出そうだと怯えることも無くただこんな場所もあったのかと感心するように煉と大河の後についていく。
そして裏門を抜けるとそこには黒く大きく立派な車が止まっていた。
そこから運転手が出てきて、大河を見て恭しく挨拶した。
「今日は三人で家に向かう。」
そう言うと煉と凜花を手で示した。
「畏まりました。」
運転手が頭を下げ、後部座席のドアを開ける。
慣れた動きで乗り込む大河と少し遠慮がちに乗る煉。
「ほら、早く乗れ。」
煉が促すと凜花も失礼します、と運転手に会釈して乗り込んだ。
三人が乗り込むと静かに車は走り出す。
静かで揺れのない運転に彼の技術の高さを理解した。
「大河先輩……お金持ちだったんですね…」
凜花は珍しいものを見るように周囲を見渡し言った。
「お金持ちって別にそこまでじゃないんだけどな。親が過保護で。」
「そうなんですか」
深く聞いて欲しくないような返し方から察したのか、凜花もそれ以上は聞かなかった。
車は四○分程で止まった。そして運転手が扉を開けると、そこには大きな木製の扉があった。
表札にしては大き過ぎるが一目で分かる大きな木製の板が掛けられており、そこには「相良組」と達筆な字で書かれていた。
組…つまりは極道…といった所だろう。
そこを開けると、そこにはスーツを着た多くの人が中央の道を開けるようにして並んでいた。
広い庭には真っ白な小石が敷き詰められ、奥には年季を感じさせるものの立派な屋敷があった。
「「「お帰りなさいませっ若っ!」」」
声を揃えて同時に頭を下げる。直角に腰を折り、その姿勢を崩さない。
凜花は呆気に取られ、一瞬表情が固まるが、煉は慣れているのか驚く様子はない。
肝心の大河はいつも通りありがとうと言わんばかりの様子で当然の様に堂々と中央を歩いていく。
大河が少し振り向き、早く来い、と目で告げる。
大河が通った後でも尚、煉と凜花にも同等の敬意を払うように頭を下げ続けていた。
凜花は煉にすごいだの言おうと思ったが、ここで無駄話をするのは良くない、と口を噤んだ。
「さ、入ってくれ。」
大河は屋敷の扉を開けると、広い玄関に通した。靴を脱ぐだけなのに何故ここまで広くなくてはならないのだろう…そんな疑問が過ぎるほどの広さだ。
「お邪魔します」
二人が靴を脱ぎ、来客用のスリッパに履き替える。
「こっちだ。」
大河は広い屋敷内を迷わず案内する。
広く長い廊下で小さな足音が響く。
煉も普段は足音を消しているが、こんな空間で足音を消してはスパイや暗殺者を疑われかねない。まぁ実際間違っていないのだが、大河の命を狙っている訳では無いため、あらぬ疑いをかけぬようにしているのだ。
「ここだ。」
大河は大きな襖の前で足を止める。
そして襖を開けると綺麗に整理された部屋があった。畳の香りがする和式の部屋で本棚には少年漫画や青年漫画が沢山あった。スポーツもやっていたのだろうか、トロフィーのようなものもガラス張りのケースに飾られている。
部屋の中央にはちゃぶ台のような丸く足の低い机があり、ここでしよう、ということだろう。
座布団を敷き、教材を広げると、部屋は途端に静かになった。
カリカリとシャーペンの音とページのめくれる音が静かに響いた。