七話 生きる世界
「おい、あの凜花って女…死ぬぞ?」
二人を残してヤクザの殲滅に向かう途中、大地が囁いた。
「そうかもな。でもその程度で死ぬような女には見えない。」
「お前も知ってるだろ、兄貴の実力。普段の仕事では半分も本気出してないってのに……」
「知ってるよ。知ってるけど、それでも俺は凜花は負けないと思う。」
「……バカップルが……」
「あ?」
呆れなから惚気と勘違いした大地はため息を付く。
大空は手馴れた動きで二本のナイフを巧みに操り連撃で凜花に攻撃を続ける。
凜花も一撃一撃を的確に見定め、大きな鎌で逃すことなく受け止め、流していく。
壁際に追い詰められた凜花に大空が鋭い一撃を放ち、それは凜花の頬を掠る。
だが其の瞬間、大空の頬にも一本のナイフが掠り、向かいの壁に刺さった。
「お前………」
どこから投げた?どうやって投げた?隙はなかった。投げる所も見ていない。
未だ見ぬ凜花の実力に大空は楽しそうに不気味な笑みを浮かべて一度距離を取る。
そして何本ものナイフを構え、一気に凜花に向かって投げる。
それを鎌で一振りして薙ぎ払う。だがその鎌をすり抜けるように飛んでくるナイフがあった。
凜花は咄嗟にリンボーダンスのように腰を落とし体を後ろに逸らした。だがその時に視界から大空を外してしまった。
それを狙っていたかのように首元に大空のナイフが振ってきた。
一方、すっかり警戒態勢になったヤクザを見て、煉と大地は顔を見合わせ頷いた。
次の瞬間二人は一気に飛び込み、それに気付いて発泡してくる男たちを交わし、素早い動きで的確に急所を斬っていく煉と小さな玉を男たちの顔にぶつけていく大地。
今回大地が投げている球体の中にはトリカブトの毒が入っている。毒素だけを抽出し、顔ではなく口めがけて投げ、上手く口内で破裂すれば即効で致死量以上の毒に襲われる。
だがこれを使うのはリスクが高く、技術が無ければ難しい。体に当たるのでは意味が無い。摂取させなければならないのだ。だがまぁそれも大地にかかれば容易なのだが。
二人で発砲を繰り返すヤクザを一人また一人と殺していく。
一人の男がずっと狙っていたかのように煉が来るであろう位置に向けて先読みで発砲した。
だがその銃弾すらも容易く斬ってしまった煉。
そして煉を狙った男は大地の球を受け、あっさり絶命した。
あっという間に片付けた二人は周囲に生存者がいないか警戒する。
「これで終わりか?」
「そのようだな。」
「あんま大した事ねぇな。薬キメてるからか、銃の腕もイマイチだし。」
「純粋にこいつらが下手くそなだけだろ。」
「それもそうだな。」
穏やかにのんびりとした口調で話しながら武器を片付ける。
「それじゃ戻るか。」
「あぁ。」
二人が戻るとまだ凜花と大空は武器を交えていた。
降り掛かるナイフすらも咄嗟の妖力行使で逃れた凜花は加速し攻撃を強めていき、押していく姿勢を見せていた。
だが二人の体には確実にひとつずつ傷が増えていく。
当たらなくとも掠りはする。そのかすり傷が増えていき、二人の服は段々と赤くなる。
「くっそ……いつまで元気に動いてんだよ…」
忌々しそうに大空が呟くと凜花が一気に距離を詰め、鎌を振り下ろす。
女の力とは思えぬほど強い力にナイフ二本で受けるが、受け流すことも出来ないほどの力にナイフがそろそろ限界を迎えていた。
ナイフが砕ける瞬間、大空は体をずらし、凜花から離れる。そしてまた別のナイフを出し、数本投げて、数本で斬り掛かる。
大空のナイフを受け止め、流し、大空がぐっと力を入れて押したその瞬間、凜花は分銅片手に鎖を大きく引いた。
すると大空の体制が大きく崩れ、大空ははっと足元を見る。するとそこにはいつの間にか鎖が絡まっており、動きにくくなっていた。
だがその一瞬が勝負を決した。
大空が再び凜花を見た時にはその首には鎌が、目には寸止めで針があった。
「兄貴!!!!」
思わず大地がと目に入ると凜花はふわりと後ろに飛んで下がり、すぐさま煉の傍に行った。
「お疲れ様です煉君。」
あれだけ動いていたのに息一つ乱さずいつも通り笑ってみせる凜花の底知れぬ体力に、煉は驚きながらも笑ってみせた。
「お前が勝ったのか。」
目の前の光景がまだ信じられないのか、不思議そうに大空を見る。
大空の実力は十分に知っていた。大空はとても強い。凜花すら打ち負かしてしまうほどには強いと思っていた。だが自分自身、凜花が負けるとは思っていなかった。大空が勝つと思った。でも凜花が負けるとは思わなかった。矛盾したその思考だが、凜花の強さを改めて垣間見たのだった。
一方大空は戦闘が終わり、肩の力が抜けたのか、大きく息を吐き、少し乱れた呼吸を整えた。
「大丈夫か?」
「あぁ。まさか負けるなんて思いもしなかったけどな。」
負けたというのに大空の表情は随分と清々しい。
「俺を殺したければ殺せたのに殺さなかった訳はなんだ?」
「…貴方は煉君の同僚で今回は煉君の応援の為に来てくれたんです。そんな人を殺すなんて事しませんの。煉君の協力者である以上、煉君の振不利になるような真似はしません。」
「それで殺されたとしても同じことが言えるのか?」
「それではお聞きしますが、実力的に…万が一でも貴方が私を殺せる可能性はありましたか?」
大空の挑発的な言動に凜花は見下すような冷たい目で大空を見て、笑顔で問いかける。
「………………」
「万が一って…あれはどう見ても互角…」
凜花の問いに言い返せないように黙る大空とそれに反論する大地。だが勝ち目がなかったことは大空自身が一番よくわかっていた。それほどまでに二人の間には圧倒的な差があったのだ。
「はぁ…ったく…想定外のことばかりだ。釣れない女が現れると思ったら、俺を任すほどの実力者とか…有り得ない。ほんとにいるのかよこんな女……」
「いますよ。今ここに。」
大空が肩の力を抜いたように警戒を解いた。それを見て凜花も少し空気を柔らかくした。
「それじゃあ他の奴らが勘づく前に出るぞ。」
煉がそう言うと、すぐに外に出た。
「私は野暮用がありますのでこれで失礼しますね」
外に出た瞬間、凜花か消えるように立ち去った。
「おい煉、あいつ…本当に大丈夫か?」
凜花が居なくなった途端、大空が険しい口調で問いかける。
「どういう事だ?」
「いくら少数精鋭とはいえ、うちの実力者3人と対等に戦えるほどの女がニヒールムみたいなドマイナーな組織にいるなんて考えにくい。」
大空は凜花は実はもっと危険な組織にいるのではないか、と疑っていた。
「…………それは……俺も思ったけど……それでも俺たちではどうしようもない。ネットワークも情報もあいつの方が上だ。」
「…………巻き込むことはあっても、巻き込まれることはないようにしろよ。あと、あいつに今度あったらまた手合わせを頼むと伝えておいてくれ。」
「なんだかんだ言って気に入ったのか?」
「………………………そうかもな。あんな女は初めて見た。」
からかうように煉が問うと、大空はふっと笑って大地と共に闇の中に消えていった。
「………さて、と俺も帰るか……」
煉もそう呟きて闇の中に消えた。
「さーてと。お手伝いも終わりましたし、お仕事しますかー」
さっきまで戦闘していたビルの屋上にいる凜花は呟いた。
体の傷はすっかり消え、不自然な衣服の損傷だけが残った。
「傷を治らないようにしておくのって結構めんどくさいんですよねぇ…」
ナイフによる傷程度なら変化していなくてもすぐに治ってしまう。それを治さないようにするのはある意味面倒だ。再生を早めることは容易でも、遅らせるとなると手間がかかる。
大空には梯子の先の扉に南京錠がかかっているように見えていたが、そんなことは無い。
普通に階段があり、普通に扉もある。
大空にそう見えるように妖狐お得意の幻術をかけていたのだ。
入れない、という刷り込みも同時に。
「屋上に誰かいるとわかっていても、幻術にかかっているなんて思わないから特殊な技術で登った、としか考えられないんですね~」
くすくすと楽しそうに笑う。
その時ビルの中に入る人影を見つけた。
「来ましたか」
凜花は素早く屋上から中に入った。
「お待ちしてました~」
凜花がのんびりと出迎えたのは掃除屋。
だが普通の掃除屋とは違う。怪異特別機関の掃除屋という科に属する者達だ。
つまり国家直属の掃除屋。
一見四人の若い男女に見えるが実は彼らも人ならざる者達だ。
「あれ?詩乃たんだー珍しいね」
一人の女の子が凜花に話しかける。
「もー奏、外ではその名前で呼んじゃダメって言ってるじゃないですか~」
”詩乃”というのは凜花の本当の名前。”凜花”はあくまで仕事上で使っている偽名に過ぎない。
「あっ…ごめんね!ここには誰もいないなぁって思ったから……」
「……わかってて呼んでるんならまだいいですけど……ホント、人前ではやめてくださいよ?」
「はーい」
黒目黒髪のショートカット。元気そうな高校生位の女の子。学校に居れば何の疑問も抱かずにすれ違いそうなくらい一見すると普通の女の子。
だが他の三人も含め、彼らは屍食鬼と呼ばれる妖だ。彼らは先祖返りでは無い。混血ですらなく、純粋な妖。
屍食鬼は屍肉を食べる妖。動物の肉しか食べられない。故に彼らにとって人間は食料なのだ。だから先祖返りが生まれるどころか混血が生まれることすら滅多にない。現在では屍食鬼同士で血をより濃くし、力を増し、裏社会の掃除屋として暗躍している。そして年々数が増えていっているのだ。
「この空間では先程まで殺し合いが行われていました。ですから、危険な薬品がまだ連中の体内に残っているかも知れませんのでお気をつけください。」
凜花は和やかにビルの中を案内した。
どうやら入口を見張っていた男達はとっくに回収されたらしい。
大地の薬品によって眠ったように殺された少年少女達の所だ。
「…………血中内のアルコール濃度が高い……。」
躊躇わず死体にかぶりつく奏は美味しくなさそうに顔を顰めて飲み飲んだ。
容姿は人と何ら変わりない為、その様子は何も知らない一般人が見れば二度見どころか三度見してしまうほど違和感に溢れる光景だろう。だが凜花や周りの屍食鬼からすればそれは見慣れた光景だ。
「てことはここの奴らはみんな急性アルコール中毒って事か?」
「恐らくそうです。皐月は相変わらず鼻が良いですね。」
一人の少年が問いかけると凜花はすぐに頷いた。
幼さを残しながらも高い身長とがっしりとした体を持つ少年。皐月と言うのだが、この四人の中で最年少で十五歳。
「まぁそれがどの程度かによるな……俺たちなら大丈夫かもしれんが、まだ未成年の皐月や奏はやめておいた方がいいかもしれん。」
そう答えたのは強面の屈強な男。普段は総と呼ばれている。まだ二十三歳だが、強面のせいで上に見られることが多い。
「えー…総言うの遅い~もうだいぶ食べちゃったよ~」
奏が不満そうに漏らす。
総が奏の方に目を向けると確かに太腿から下は骨と化していた。
「…………酔ってねぇか?」
「大丈夫。」
「そうか………」
「ならいいんじゃない?この子はお酒に強いってことよ。」
総の後ろで頷いたのは高いヒールを履いた綺麗な女性。メイクも完璧で髪型もゆるふわ。男性が好きそうな容姿の美人。彼女は英理。総とは同い年で今日の掃除屋としてのリーダーを務めている。
「さてと、ここには沢山ご飯があるからね。お腹を空かせた子達のためにも早く持って帰るわよ。」
英理が言うと、三人は頷き、素早く死体を袋に詰めた。奏もしっかり一人分食べ終わってから詰め作業に参加していた。
ここの死体はここで全て食べる訳では無い。一人二人程度ならそれもあるが基本は持ち帰る。人目に付くリスクも減らせるし、戦闘力の無い子どもの少量確保の為にもその方が良い。
力も常人離れした力を持つ屍食鬼にとって、”自分と同じくらいの大きさの食事”を運ぶ事は容易である。手際よく袋に詰め終え、すぐに二人は下の階に向かい、二人は外に止めてあるトラックに積み込みに行く。
凜花はそれを見届けるのが仕事だ。もしここで目撃者がいれば殺し、死体の処理漏れが無いかを確認する。腕の一本でも落としていけばそれだけで警察は事件扱いするだろう。まぁ地下には事件性を疑わざるを得ないほどのかなりの血痕があるのだが、一階には奏が食事をして出た分の血しかないだろう。上や下に血痕があっても、行けないように封鎖しておけばいたずらで入る人間も居ないはずだ。
それらを考えて彼らが行動したのかは定かではないが、同業者としては有難いなぁ、なんて考えていた。