三話 仕事
小さいが新築のアパートにエコバックと包帯と薬を持った煉と凛花が入っていく。
「お邪魔します」
煉の部屋は机と椅子、足の低い丸テーブル、ベッドと数着の服しか置いていない殺風景な部屋だった。
「…………」
不思議そうにきょろきょろと部屋を見渡す凛花。
煉が「物が無さすぎて驚いたか?」と問うと、凛花は首を傾げた。
「私、人の部屋に入るの初めてで…これは物が少ない部類に入るんですか?」
「えっ?」
「私の部屋も同じようなものですよ。生活に必要な物以外何もありません。」
「……………」
そんな凛花の返答に煉は少し驚いたように目を見開いた。
「とりあえず手当だ。その怪我、どう隠してるのか知らないがかなりの怪我だろう。」
「そうですね…結構血でべたべたするので先にシャワー借りてもいいですか?」
「…問題無いが、シャワー浴びて大丈夫なのか?お湯とタオルを用意するからそれで拭いた方がいいと思うが…」
「………そこまでしてくださるんですか?ありがとうございます」
凛花は驚いたようにぽかんとし、すぐに嬉しそうに笑った。
煉はすぐにお湯とタオルを用意し、スーツの着替えにと自分のジャージと、包帯と薬を渡す。
そして凛花が脱衣所で血を拭いている間、煉は夕飯の支度に取り掛かった。
凛花は脱衣所のドアを閉めると隠していた傷を顕にした。
肩に一箇所、腕に三箇所、足に一箇所、刀による切り傷がある。
どれもそこまで深くはないが、斬られた刀が良かったのだろう、それなり出血がある。
だが先祖返りは傷の治りが常人よりも早い。
その為、手当していないが血は大体止まっているし、少しずつだが傷が小さくなっているのが伺える。
凛花はそんな体に付いた血を拭き、一応念の為消毒し、包帯を巻いた。
だが、腕や脚は出来ても肩だけは一人では上手くできないものだ。
肩の傷口の血は止まっているとはいえ、このままジャージを着ては血で汚してしまう。
凛花は肩の傷をタオルで押さえてジャージを着、そのまま脱衣所から出てきた。
「煉君、お湯とタオル、ジャージも、ありがとうございます」
するとリビングには美味しそうな匂いがしており、食欲が刺激される。
「おう、大したものじゃないが、飯出来たし、ちょうど良かった。」
「……美味しそう……」
凛花は丸テーブルに並べられた食事を見て、目を輝かせる。
「包帯は上手く巻けたか?無理そうな所があるなら俺が手伝うが…」
「あ、そうでした。肩の所、お願いできますか?」
凛花はだぼっと着ていた半袖を肩口まで捲し上げると、タオルをどかした。
「……結構しっかり斬られてるな…」
その傷を見て、痛ましげに目を細める。
「刀傷は思っているよりも治りが遅かったりするからな。手当を怠るなよ。」
傷を見ただけで武器の種類を当てると、慣れた手つきで肩に包帯を巻いていく。
「ありがとうございます」
凛花は嬉しそうに微笑んだ。
二人で向かい合い食事を始めるが、凛花は出された食事を疑うことなく口に入れていく。
「とっても美味しそうです!」
そしてきらきらと目を輝かせ、嬉しそうに笑っている。
「………俺が言うのもなんだが…」
「毒味しないのかって言いたいんですか?」
凛花は煉の言葉をさえぎり、にこにこしたまま言った。
「………俺が料理している間、お前は脱衣所にいて、俺が料理に何を入れても分からないはずだ。それなのに…」
「せっかく煉君が作ってくれたご飯ですよ?疑うなんてしたくありません。それに、煉君に毒を盛られるなら本望です。」
冗談のように感じられない純粋な笑顔に煉はふと疑念を抱く。
「何故そこまで俺に拘る?」
すると凛花の顔から笑顔が消えた。
そして少し悲しげに俯き、悲しそうに笑った。
「ずっと……ずっと昔に……煉君が覚えていないようなずっと昔…私、煉君に救われたんです。煉君が居てくれたから、今の私があるんです。煉君は覚えてないけど、私はずっと…覚えているんです。」
悲しそうに、でもとても愛おしそうに話す凛花に過去の記憶を呼び覚ましてみるが、心当たりが無い。
「………人違いじゃないか?」
「人違いじゃありません。貴方ですよ。私がずっと探していた人は。」
先程の悲しそうな笑顔とは変わり、嬉しそうに笑った。
「私あんまりしんみりした話は好きじゃないんです。ご飯食べましょ。冷めちゃいます」
凛花は噛み締めるようにもぐもぐと口を動かしていた。
夕飯を食べ終えると凛花は静かに立ち上がる。
「夕飯も頂いたことですし、私そろそろお暇しますね。」
「あぁ仕事か?」
顔付きが変わったような感じた煉は思わずそう聞いていた。
「はい。手当してくれただけでも有難いのに、ご飯まで…本当にありがとうございます、煉君」
「その格好で外行くのか?」
凛花の大きめでだぼっとした半袖のジャージとジャージの半ズボンを履く凛花に指摘する。
「あー……確かに…そうですね…」
凛花は部屋着とも呼べるような格好に気付き、思わぬ提案をした。
「これ、明日の朝洗って返しますので今日は借りてもいいですか?」
「…構わないが、その格好で出歩くのは良くないと思うが…」
「大丈夫ですよ。心配してくれるんですね、ありがとうございます。」
煉の許可を得ると、凛花はにこっと笑った。
「それでは失礼します」
凛花は素早く靴を履くとお辞儀して出ていった。
煉が家の中に入ったのを確認すると、凛花は素早くアパートの屋根の上に駆け上がる。
そして「変化…」と呟いた。
すると凛花の姿が白い煙に包まれ、真っ白の髪と金の瞳、狐の耳と九本の立派な尾が現れた。
更に着ていた服も白を基調とした控えめではあるが高貴さを漂わせる着物へと変化した。
そしてそのまま建物の屋根の上を飛ぶように駆けて行った。
そうして明かりの消えた廃ビルの屋上に辿り着く。
本来ならエレベーターを使わなければ辿り着けないような高いビルだが、重力を無視するかよ様に軽やかにのぼり、いとも容易く屋上にたどり着いたのだった。
そこには既に人影があり、凛花の登場に驚くこと無く顔を上げた。
「遅い。十秒遅刻だ。」
そこには長身に端正な顔立ち、切れ長の目をした若い男が立っていた。
右腕に付けた高そうな腕時計を見ながら凛花を睨む。
「十秒位良いじゃないですか。」
「まぁ許そう。それで、報告しろ」
男は凛花の同僚。厳密には上司に当たる。
だが凛花はそんなもの気にしない。あまり気にしなくていい職場であることは間違いないが。
「とりあえずお嬢様の護衛は終了しました。お嬢様の命を狙った先祖返りは二人。隠し神と座敷童子です。連携の組み合わせとして目の付け所はいいとは思いますが、当人同士の信頼関係がイマイチだったのか、慣れればすぐに終わりました。」
「お嬢様は見ていないだろうな?」
「当たり前です。ちゃんと狐火の結界張ってましたよ。」
「それならいいが…今までは悪霊や弱小妖だったのに急に先祖返りとは、随分金をかけたもんだ。」
今までも凛花は護衛の任務を請け負っていた。
しかし、今までの刺客は三流の呪い屋による大した力のない怨念や弱い妖ばかりだった。
護衛で怪我をするなんて今まででは考えられなかったのだ。
「そうですね。先祖返りなんてそうそういるものでもありませんし、大抵の先祖返りは組織が把握しているはずです。その網を潜り抜けるとなれば余程弱い先祖返りなのでしょう。」
「そうだな。俺も同意見だ。」
先祖返りは凛花の所属する組織が統括しており、先祖返りを見つけ次第保護する仕事も兼ねているを
人としても先祖返りとしても、どちらの生き方も選べるようなそんな環境を作るのも仕事の一環だ。
特に力の強い先祖返りはすぐに分かる。
傑出した人並外れた力を持つからだ。
だからこそ自己申告しなくても分かる。
しかし力の弱い先祖返りは人とほぼ変わらないため、その発見が難しい。
周囲からの報告や自己申告でないと、傍から見る限りでは見つけにくいのだ。
「にも関わらず、刺客として送り込めるほどの力を持つのは何故か。」
「…おおよその察しはついているようだな。」
「研究所以外にあります?」
「……………ないな。」
"研究所"それはただの研究所では無い。
先祖返りの持つ特別な妖の力を研究する場所だ。
かつては国の指示の元、秘密裏に運営していたが、被検体の大量死や度を超えた人体実験に国からの融資を打ち切られ、研究の中断を指示されたのだ。
だが研究所の人間はいくつかの被検体である先祖返りの子どもと共に姿を消した。
今もどこかで実験を続けているのだろうと思われ、その捜索も組織の別の人間が行っている。
「研究所も厄介だな…弱い先祖返りを見つけて、力を強化する薬を使ったのか…?」
「そのようです。過去の実験で寿命を顧みなければ力を強制的に増幅させる薬はありますから。」
「確かにな。だが寿命を顧みないのであれば体へのダメージは計り知れん。」
「そうですね。その一瞬の為に今後の全てを賭けるようなものですから。」
凛花の言葉に男は眉を潜める。
「……………見つけ次第保護しろ。加減できるなら加減しろ。生かさず殺すな。」
「……また面倒臭いですね……分かりました。」
凛花は溜息を付きながらもあっさり了承した。
妖狐の先祖返りである凛花にとって多少強くなった弱い先祖返りなど敵では無いのだ。
今日の怪我は油断していたのと、力を抑えすぎていたからだ。
凛花のような先祖返りは力が強過ぎるため、その力を普段はセーブしている。
まるで人と変わらないような容姿や力。
外に妖力を放たない訓練を受けており、呪い屋や祓い屋が見ても気付かないほどだ。
その時の身体能力は常人よりは少し上、程度で妖特有の卓越した身体能力は使えない。
狐火や分身も本来の力よりはかなり劣る。
だが今のように"変化"を使い、本来の力を解放すれば見た目だけでなく、妖力も放たれ、圧倒的な超越した力を使う事が出来る。
変化する事で傷の回復力も増し、先程受けた刀傷はあっという間に完治した。
「その力、例の"奈白煉"の前では使わないのか?」
探りを入れるように男は聞いた。
「使いませんよ。まだ……。そもそも彼は先祖返りの事自体忘れていて知らないはずですし…まだそこまで私に信頼が無い以上、今話す訳にはいきません。」
「信頼…ね。殺し屋やってる奴に信頼を求めるのはどうかと思うがな。」
「国直属の"怪異特別機関"の職員やってる私達が言えた義理ですか?」
男は凛花の言葉を一蹴すると、凛花は鋭い目付きで男を睨む。
「そうだよな。俺達は国家の秘密裏に作られた、妖や先祖返り、強すぎる霊能力者、海外からの化け物の侵入の類の保護管理統括を一任された怪異特別機関だもんな。表向き、”ニヒールム”なんて組織名があったりするが、その活動は無しに等しい。まぁ他組織にはバレない程度には国が偽の情報回してくれてるらしいけど、”虚無”なんて分かり易過ぎる意味だからな。バレるのも時間の問題だろ。」
男は何か言いたげに凛花を見る。
「他組織の人間に、所属組織を聞かれたら”ニヒールム”と答えるのがマニュアルでしょう。怪異特別機関なんて言っても、簡単に言えば国家秘密構成員な訳ですし。」
「まぁバレないか……。どっちにせよ、お前がいくら大切って言ったところで”覚醒”したらこちら側に連れてくるって言う最初の条件忘れるなよ。あと、例のターゲットの監視の進捗は?」
「分かってます。進捗は順調ですよ。ファーストコンタクトにも成功しましたし。」
「そうか、それは良かった。だが、お前も残酷な事するよな。せっかく見つけたんだからその男の傍にいたいとか言い出したかと思えば、そいつの近くにいる奴の監視を買って出るし、下手すりゃ始末案件だろ…それがそいつにバレたらお前…絶対嫌われるだろ…」
「嫌われる程度では済まないんじゃないですかね~?でも大丈夫です。最悪始末する事になっても煉君にだけは私がやったってバレないようにしますから。」
自信たっぷりに笑顔を浮かべる凛花の目には確信が浮かんでいた。
「それじゃあ詩乃、精々頑張るんだな」
「雛さんこそ、大切な預かりもの、怪我させないように注意した方がいいですよ。年頃の女の子は気難しいですから。」
皮肉には皮肉を、と言いたげに言葉を交わす二人はそれぞれ別の方向へ消えて行った。