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おとぎ話シリーズ

白雪の王妃  ― 白雪姫 ―

作者: 柘榴石

 ある国に、雪のように白い肌、血のように赤い頬や唇、黒檀の窓枠の木のように黒い瞳と髪を持つ「白雪姫」と称される容貌に優れた王女がいました。白雪姫は美に執着する王妃の継母にひどく妬まれていました。白雪姫はその継母に殺されそうになって森に逃れ、7人の小人達と一緒に暮らすようになります。白雪姫が生きているのを知った王妃は、とうとう自ら白雪姫を殺します。王妃は魔法の鏡に訊ねて、自分が一番の美女であることを知って安心します。死んだ白雪姫は、棺に入れられてある王子に贈られました。運ばれている途中で白雪姫は生き返り、王子とめでたく結婚し、それまで以上に幸せに暮らすのです。



 *****



 白い雪のイメージは、潔癖・神聖・正義、そして―――薄情・冷淡



 ルビニ王国の王女ミラベルが、初めて継母である王妃に殺されそうになったのは七つの時だった。

 王妃に「ピクニックに行きましょう」と誘われた森で置き去りにされたのだ。

 けれどミラベルは冷静で、以前、森に来た時に教えられた通りに歩き出す。森の大木の幹を見て、苔がある方が北側。枝が発達している方が南側。歩くのは獣道。川があれば下流を目指す。

 さほど森の奥ではなかったのだろう、数時間歩くと何とか森を抜け出して、果樹園を見つけた。更に幸運なことに、そこに人影が見えたので、迷わず声をかけた。


「ねえ、そこのあなた! 林檎を一つ売ってもらえない?」


 振り向いた人物はミラベルと同じ年くらいの少年だった。彼は黙って実っていた林檎に手を伸ばし、それを捥いでミラベルに差し出した。


「……どうぞ」

「ありがとう。おいくら?」

「一つくらいいいですよ」

「お店では一つでもお金を払うわ」


 そう言って金貨を一枚渡せば、少年はその金を見つめ、ミラベルの顔を正面から見てきた。ミラベルの方も帽子を被っていた少年の顔がはっきり見えた。身に着けているものこそ粗末に見えるが、農園の子にしては綺麗な顔と肌をしている。顔だけならば、農園の子というよりは領主の子と言われた方が納得できる。事実そうかもしれない。父親に付き添い、領地の視察にでも来て、人生経験に畑仕事を手伝わされているのかもしれない。


「どうしたの?」


 樹の影から別の男の子の声がして、そこから現れた姿にミラベルは瞳を見開いた。


「まあ、双子なのね。こんなに綺麗な顔が二つもあるなんて凄いわ」


 同じ顔をした少年は顔を見合わせてふっと笑った。


「なあに? 変なことを言った?」

「いいえ。それよりも世間の相場というものをわかっていますか? お姫様。それともこれは施しですか?」

「いいえ。お釣りは返してちょうだい。私もこれしか手持ちがないのよ」


 それは万が一に何か不測の事態があったとき様にと持たされていた金だ。世間知らずの姫と言っても、林檎一つに金貨一枚が相場でないことは分かっている。けれど、この先いつ食べ物にありつけるかも分からない。だからといって金貨一枚分の林檎を持って歩くのは荷物になってしまうし、別のことに金が要り様になるかもしれず、釣りはいらないとは言えなかった。


「分かりました。それではこれを差し上げます」

「これは?」


 少年は別の林檎を差し出してきた。先程の林檎よりももっと赤い、かと思ったが、半分が緑色をしていた。


「色むらがあるので売り物にはならないのです。ですがこれは世界一美味しい林檎です。どうぞ後で味見をして下さい」

「……ありがとう。味を見て美味しかったら、また買いに来るわ」

「はい。お願いいたします」


 ミラベルの返答に双子はにこやかに返事をした。本当に農園の子にしては言葉遣いも正しく、利発すぎる。


「……ねえ、どうして私が姫とわかるの?」

「黒い髪に黒い瞳、妖精のように華奢で、染み一つない初雪のように白い肌、バラ色の頬と唇。“白雪姫”と称されるその姿、そしてその佇まいでルビニのミラベル姫以外の誰だというのです。こんなところでどうされたのですか?」

「私はそういう風に言われているのね。林檎のお礼に教えるわ。森に捨てられたの。王城はどちらかしら?」


 さらりとそう言えば少年達は驚いた顔をした。


「捨てられたのに……城に帰るのですか?」

「ええ。捨てたのは王ではないし、他に行くところはないもの。それに私の居場所はあそこにある。あの女を放置は出来ないわ」

「あの女?」

「魔女よ。ここから歩いたら城までどのくらいかしら?」

「三日……程でしょうか」

「そう。林檎一つ分でも金貨を使わずに済んで良かったわ。あ、それからあなた達みたいな子は色々危険だと思うから気を付けてね。さよなら」


 ミラベルは双子と別れ、少し歩いて脚が痛くなると道端の切り株に座り込んだ。

 先程の林檎を食べようとすれば、するりと手から離れて転がった。慌てて拾おうとしたが、誰かの手に先に拾われた。顔を上げて視線に入ったその人物は。

 金の髪に琥珀の瞳の、とても綺麗な顔の十五、六の青年だった。


「君が落とした林檎は金の林檎、銀の林檎?」


 少年は微笑んで懐から金と銀の林檎を差し出した。綺麗だが、怪しい男のようだ。


「私が落としたのは世界一美味しい林檎よ」

「は?」

「果樹園にいた子達が言っていたもの。これは世界一美味しい林檎ですよって。私の林檎を返して」


 青年はくすくすと笑うとミラベルが落とした本物の林檎を渡した。


「こんなに可愛いお姫様が一人でいると危ない目にあいますよ?」

「そうね。そうなったら自分でやっつけるわ」

「どうやって?」

「こうやって」


 ミラベルは隠し持っていた短銃を青年に向けた。青年は一瞬驚いた顔をしたが直ぐにふっと微笑んだ。


「お姫様が随分珍しく物騒なものを持っていらっしゃる」


 武器といえば剣、槍が主流なこの時代、銃は高価で希少なもの。それを、この小国のしかも幼い姫が持っているとなれば、偽装品と思われても不思議はない。


「おもちゃじゃないのよ? ちゃんと使い方も知っているの」

「使えるかは別でしょう」

「じゃあ、動かないで」


 途端に鋭い金属音が空気を震わせた。銃弾は男の額をかすめると背後の樹に当たった。さすがに今度こそ青年は驚いたという顔をした。


「ね、使えるの。外れたんじゃなくて外したのよ。放って置いてちょうだい」

「分かりました。それでも、姫、城までお送りしましょう」


 青年は額から僅かに流れる血を拭い、手を差し出した。


「知らない人に付いていったらいけないのよ?」

「そんなことを言っていられる状況ではないでしょう。弟達に頭を下げて頼まれたのですよ。違えず城までお送りしましょう」

「弟……あの子達ね。やっぱり。農園の子には見えなかったもの」


 この青年はどうみても貴族の風体だ。身に着けているものは一目で分かるほどに上質なものであるし、一つ一つの所作も無駄がない。連れている馬も手入れの行き届いた毛並みをしている。庶民がこれほどの身なりをしているわけがない。その弟となれば農民のわけがない。


「見ず知らずの者の心配はして下さるというのにご自分のことは放っておけとは。困った姫君ですね」

「だから私は自分の身は自分でどうにか出来るのよ」

「姫君はずいぶんと冷静でいらっしゃる」

「……姫だからこそ、いろいろ冷静に判断できるように教えを受けているわ」

「それはご立派です。流石は幼いながらも品格高いと噂の白雪姫ですね」

「……そんなに立派なものではないわ……」

「色々悩みもあるようですが、まずはお送りしましょう。さあ、どうぞ」

「……金貨一枚で送ってくれる?」

「ええ、喜んで」


 ミラベルが差し出した金貨を受け取って、青年は優しく微笑む。そしてミラベルを馬に乗せると、自身もその後ろに跨って馬を走らせた。


 城へ戻る途中の街道で、父とその直属の騎士達と出会った。


「姫様! お探ししました!」


 どうやらミラベルを探してくれていたようで、王の近衛騎士隊長はミラベルの姿を認めるとサッと馬上から降りて、同じく馬から降ろしてもらったミラベルの前に膝をついた。


「……ミラベル、言い分を聞こう」


 だが、父は馬から降りもせず冷たい声でそう言った。


「遊びに夢中で供の者とはぐれました。私の不注意です。申し訳ありません」


 王妃に置き去りにされたとは言わなかった。周りには騎士も多くいるし、それにきっとあの女は父にミラベルを見失ってしまったと泣いて言っているだろうことが予想できる。ここで真実を言ったところで、新しい妃に傾倒しかけている父は信じてはくれないだろうからだ。


「仕置きは後だ。その者は?」

「親切な何処かの方です。ここまで送っていただきました」


 王はミラベルの隣で頭を垂れる男に目を向けた。


「何処かの、な。顔を上げよ。貴公、名は? 礼をしよう」

「無官の者が国王陛下に名のるなど畏れ多いこと。それに駄賃は姫君より頂いております」

「殊勝な態度だ。礼が欲しくなったら城に来るがいい。その顔覚えておく」


 王はそう言って馬を翻すと背を向けた。近衛隊長がミラベルを自身の馬へ乗せようとするのを、ミラベルは少し待ってと留めた。そして、これもまた隠しておいた短刀を取り出して、食べずにいた林檎を二つに切った。


「半分あげるわ。ありがとう」


 ミラベルが差し出した林檎を、金髪の青年は静かに微笑んで受け取った。




 そうして無事城に辿り着いたミラベルを見たあの時の王妃の悔しそうな顔。忘れられるわけがない。



 ***



「そなたの婚姻が決まったぞ」


 最近、顔を会わすこともなかった父王に急に呼び出されたかと思ったら、言われたのはそんなことだった。


「婚姻? 婚約ではなく?」


 言われた王女ミラベル・ブランシュは聞き返す。


「婚姻だ。相手はイクリール王国の第一王子トール殿下。婚儀は一月後だ」


 あまりにも急な話。父の隣で満足気に笑う継母を見て全てを納得した。

 イクリール王国は大陸随一の大国。それに比べてこのルビニ国はいつ周辺の国に侵略されてもおかしくない小国だ。

 大義名分としては大国と縁続きになれば国を守れるということで、継母は王にこの婚姻を進めたのだろう。だが、その裏で、第一王子は美形で為政者としては賢人だが、その性癖がサディストという噂がある。それこそがこの婚姻の真の理由のはずだ。気に食わない継子の結婚相手には丁度いいと、心で笑っているに違いない。


「急ですね」

「お前の美しさがイクリール王国の王子にも届いたようだ。先方から是非にと言ってきた」


 噂を届け、根回しをしたのは継母だろう。ちらりと王妃を見れば見下したようにミラベルを見て微笑んだ。


「分かりました。参ります」


 幼い頃に母が病死し、父王の後添えとなったこの女は自分の美貌に溺れていた。確かに妖しいほどに美しい。

 けれどミラベルが七つになった頃、この女も気付いたのだろう。ミラベルが自分よりも美しい女になるであろうことを。

 七つの時に森に放置されたのを始めとして、幾度か事故に見せかけて始末されそうになったことがある。なんとか躱してきたが、ミラベル自身そろそろそれも限界だろうと察していた。

 そして十六になった今


 ―――とうとう追い出されたか


 ミラベルは自室に戻り大きく息を吐いた。

 父である国王は、かつて、厳しくともとても優しく賢い人だった。幼い頃ミラベルを抱いて、遊び交じりに星の位置や、自然の成り立ちを教えてくれた。ミラベルが人として王族として学ぶべきことのカリキュラムは父がたてたと教師に聞いた。それが男親として娘にしてやれるたった一つのことだと言っていたらしい。

 それが今では、後添えとして召したあの王妃の傀儡のようになってしまった。王は王妃の些細な進言をも無碍にはしない。それが国政にも徐々に影響が出だしている。あれほどに民を思いやれる王女となれと言っていた父の面影は随分と薄らいでしまった。

 今まで父をかつての優しく賢い王に戻って欲しいと頑張ってきたが、父は後妻の色香に誑かされたまま、ミラベルの言うことに耳を傾けてはくれなかった。

 そうして自分が嫁ぐことになった相手は、大国の二五歳のサディストな王子。

 王妃はミラベルを殺すことを諦めたわけではない。簡単に殺してしまうよりも、もっと無残に、時間をかけて死ねばいいと思ってのこの婚姻話なのだろう。

 イクリール王国には異腹の兄弟も含め八人の王子がいるが、嫁ぎ相手の第一王子に他の王子は皆、忠誠を誓っているという。サディストさながら恐怖で人を支配しているらしい。

 そんな相手を籠絡することが自分に出来るだろうか。それが出来ればこの国を、あの女を、そして女の駒と成り果てた父を落とすことが可能だろう。

 そう考えれば、この婚姻は捨てたものではない。

 鏡に映るのは若く美しい女。

 果たして美だけで男を手玉にとることが出来るのか。

 正妃として迎える女を直ぐに殺すほどいたぶる事はないだろうが、どれ程の事をされるのか。

 どうしたらそれを避けられる?

 そして更にどうやってそんな男の懐に入り込む?

 分からない

 出会ってから考えるしかない。



 ***



 国境での引き渡しの儀の後、ミラベルと歳の変わらないような少年が王城までの護衛になりますと膝を付いた。こんな少年が護衛など軽く見られたものだと思ったが、少年は自分よりも年嵩の騎士達に臆することなく指示を与え、馬車の横に馬で並走した。


「貴方はどういう身分の方なの?」

「私は貴女の弟になります」


 馬車の小窓を開け訊ねれば、彼はにこりと微笑んだ。何処かで見たことがあるような綺麗な顔だ。けれどそれよりも。


「王子殿下?」

「はい。第八王子(末弟)のオクトと申します。よろしくお願い致します、姉上」

「……自己紹介は先にして下さる? 失礼な態度を取ってしまうところだったわ」

「構いません。弟、と言っても一番下で妾腹ですから家臣と大差ありませんので。兄には命に代えても貴女を守れと下知されています」

「随分手厚いのね。その兄上様は?」

「急に北部の賊討伐の部隊を率いることになって、そちらに。ミラベル様が城に入る頃には兄も戻ると思います。兄が戻るまでは僕が貴女の護衛隊長です。何かありましたら何なりとどうぞ」


 同じ王子なら彼の方が良かったと思うほどに朗らかな王子だ。

 他にも六人も王子がいると言うのに第一王子が賊退治の先頭をきるなど、やはりサディストというのは本当のようだ。


 王城に入り国王に挨拶を済ませ、案内されたのは陽当たりの良い広く豪華な部屋。婚姻式が済むまではこの部屋を使って下さい、至らぬ処があれば何なりと、とミラベル付きとなった数人の女官や侍女が礼儀正しく頭を下げる。


「殿下は三日後に帰城予定です。それまではごゆるりとお過ごしください」

「ありがとう。一人になりたいわ」

「はい。ご用の際は遠慮無く」


 大きな国、大きな城。

 至れり尽くせりで用意された豪奢な部屋。

 作法の行き届いた城勤めの者達。

 小国の姫と馬鹿にする様子もない。

 三日後にこれがどう変わるのか。


 *


「んっ!? あっ」


 深夜、ミラベルは息苦しさに瞳を開いた。

 闇の中で瞳に映し出されたのは見知らぬ端整な顔の男の姿。圧し掛かるようにミラベルに跨り、魅惑的ともいえる顔で笑んでいる。

 口を塞がれていたような気がする。もしかしたらこの男に口付けをされていたのかもしれない。そう思い至ったことで、頭が覚醒した。


「誰!?」


 咄嗟に枕の下に腕を伸ばそうとしたが、取りたいものに手が届く前に両腕を押さえつけられた。


「ははっ。相変わらずこんな物を隠しているのか」


 男は片手でミラベルの両手首を拘束し、彼女が手を伸ばした枕の下を探ると、ミラベルが隠していた短銃を取り出した。睨みつけるミラベルに、彼は小さく笑うと銃を寝台の下に無造作に放った。


「そう睨むな。お前の夫だ」

「……トール王子?」

「ああ。こんな時間にすまんな。つい先程戻って、一目顔を見ようとしたのだが見たら我慢できなくなった」

「……貴方がトール王子である証拠は?」

「この部屋に入れる男は俺だけだ。女官を呼んで確認させるか?」

「はい」

「用心深いな。いいことだ」


 ヘッドボードの傍に垂らされた呼び鈴の紐を引けば、すぐに扉が叩かれ、失礼致しますと開かれる。入ってきたのは、堅苦しい雰囲気の初老頃の女性。未だミラベルは寝台の上で男に圧し掛かられたままだというのに、その女性は気にする様子もなく深く頭を垂れた。


「彼女の事は知っているな?」

「……エルマ女官長」

「そうだ。女官長、俺は誰だ?」

「王太子トール様でございます」

「御苦労。下がれ」


 女官長は床に転がっている銃を目に止め、意に介した様子もなく拾うとサイドボードに置く。そしてまた頭を下げ部屋を出ていった。


「安心しろ。処罰はされない。忍んだ俺が悪いと言われるだけだ」

「……他国に嫁いだ以上、夫以外の方に身体を許す気はありません」

「健気だな。怖がらなくていい。酷いことはしない」

「トール王子の“酷いことはしない”の程度はどのくらいですか?」

「一般的よりも優しく、か」

「……?」


 一般的というのはどういう一般的なのか。加虐嗜好の間の一般的という意味か。だとしたらその程度はミラベルには想像出来ない。


「不可解という顔だな」


 トール王子はミラベルを見下ろして面白そうに、くつくつと笑う。


「言葉の通りに受け取ればいい。俺は惚れた女は優しく扱う」

「まあ、それは私の事を好きだと言うことですか?」

「ああ、そうだ。雪のように白く透けるような肌。薔薇のように鮮やかで赤い唇。黒檀のように艶やかな髪。精巧な人形のように整った顔。素晴らしいな」


 王子の手がミラベルの輪郭をなぞる様に頬を撫でる。ゆっくりと綺麗な顔が近づいて、金の髪がミラベルの額に掛かる。頬を撫でていた指先が、唇をついっとなぞった。


「……人形が好きなのですか?」

「まさか。そんな趣味もない」


 唇が触れそうな距離で、ふっと王子は笑った。


「想像以上に美しくなった」

「美しく……()()()……?」


 以前を知っているかのような言葉をミラベルは疑問に思う。それを察したのか、王子はいったん身体を起こした。


「忘れられたか。この傷に見覚えは?」


 そう言って、王子がかきあげた前髪の下、左のこめかみには傷痕があった。その傷のある場所には覚えがある。


「……林檎の怪しい男……」


 あれは十年近く前。王妃に森に置き去りにされた日。ミラベルを城まで送ってくれた親切だがどこか怪しい男に、彼女自身が銃によって付けた傷と同じ場所。言われてみれば、あの男はこんな風に綺麗な顔をしていた。輝くような金髪も琥珀の瞳もあの時のままだ。


「酷い思い出し方だな。拐わず親切に送ってやったのに」

「その節はご親切にありがとうございました……。あ、では護衛のあの王子が……」

「そうだ、あの時の双子の片割れだ」

「道理で何処かで見たんじゃないかと……」

「そっちは覚えているのか。妬けるな」


 王子は苦笑してミラベルに手を差し出すと、彼女を寝台の上に起こした。


「イクリールの王子様がルビニで何を?」

「この国では双子は畜生腹と忌み嫌われる。伝を頼りルビニに弟達を預けていた。その様子見だ」

「……何故?」

「俺の命で預けたのでな」


 意外だという表情が隠せなかったのだろう、王子はミラベルの顔を見てまた面白そうに笑った。


「誕生した命を粗末にするものではないだろう? 今では命の恩人と俺を慕ってくれている」


 ますます不可解だ。サディストと言われているこの王子が、弟を助ける為の行動をするなんて。それともその裏では何か人助け以外の思惑があるのだろうか。例えば、弟達が、命の恩人である自分の為に進んで働くように仕向けたと思えば少し合点がいく。


「では、何故得にもならない小国の姫である私を?」

「禁断の果実を渡してきたのはお前だろうに」


 そう言えば、恋愛成就の呪いに一つの林檎を分け合うというものがある。だが、当時(こども)のミラベルがそんな恋の呪いを知るわけもない。


「そんな意図はありません」

「まぁ、そうだろうな。本当は傷物にされた責任を取ってもらおうかとな」

「それは益々自分にとって利のある相手でなければ意味がありません」

「はは。損得だけで行動するわけではない。あの時、お前の幼いながらも凛とした美しさと気高さ、それに気丈さを気に入った。先が楽しみだと思った。最近では、見た目だけでなく白雪のように清廉で気高い姫という噂が届いていた。どれほどかと会いたいと思った。そして想像以上の美しさに改めて心惹かれた。そういう事だ」


 また寝台に身体を倒される。大きな手が太股に置かれゆっくりと動き始めた。括れた腰から胸の膨らみを上り頂点を通過して首を撫で顎を掬われる。


「……今、抱くのですか?」

「どうしようか?」


 訊ねながらも既に唇は触れていて。顎を掬う手とは反対の手がまたも太ももの外側を撫で、徐々に内側を撫で、脚の付け根の方へと移動していく。


「ん……」

「感じたか?」

「……正直くすぐったいだけです」

「自分で弄った事もないのか」

「自分で? どうしてそんなことをするんです」

「ははっ、本当の意味で箱入りらしいな」

「子供の作り方くらい知っていますよ」

「これからするのは子作りではなく、愛ある快楽の営みだ。知っているか?」

「……教えて下さい」

「いい返事だ」


 そうして王子が口付けた場所は耳の付け根の少し上、髪の生え際。そのまま唇で髪を耳に流すように吐息をかける。それから額、鼻筋を軽く唇を触れさせていく。長い指がミラベルの唇をやさしくなぞり、それから漸く唇同士が触れた。唇全体を軽く少しずつ触れさせて、上唇を唇で優しく挟まれる。ゆっくりと舌が口腔内に入ってきた。深い口付けも丁寧で、唇が離れるまでにたっぷりと時間を掛けられた。こちらを思いやってくれている、それが感じ取れるような口付けだった。


「……は、ぁ……殿下、どうしたら貴方を……籠絡出来ますか?」


 たどたどしく紡ぐ言葉に、王子は上機嫌なように瞳を細めた。


「俺を好きになればいい」

「では貴方は私のものです」

「なんだ。もう俺に惚れたか?」

「はい。一目惚れってあるんですね」

「ああ。俺もそうだったのだろう」


 再び軽く唇が触れる。

 この人のどこがサディストなのだろうか。そう思うほどに優しく甘い唇の触れ合い。


「殿下、私を好きだという証拠に願いを叶えて」

「願いとは?」

「国が欲しいのです」

「何処の?」

「ルビニ」

「叶えよう」


 短く言葉を交わす間にも口付けは止まず、手が肌の上を滑る。無意識にミラベルの口から熱い吐息が零れる。するとトールはまた満足気に瞳を細めた。

 “惚れた女は優しく扱う”、それを示すような触れ方。この人は女性についてサディストではないのかもしれない。単純に女を欲しいと思うのならば、思うさまにこの身体を貪ればいいのに、そうはしない。ミラベルの反応を確かめるように触れ、優しいけれど熱のこもった瞳でミラベルを見下ろしている。


「ぁん……ん、あ……あ」

「……お前は精巧過ぎて凌辱している気になるな」

「嫌、ですか?」

「後ろめたくなりそうだ」

「私は望んでいるのに何故後ろめたくなるのです」

「背徳的な感じがする。汚す代わりに生涯大事にしよう」

「その言葉お忘れなく」


 *


 寝台の中、ミラベルはトールの腕の中でその温かさに浸りながらぼんやりと考え事をしていた。


「どうした?」


 優しい声で訊ねられ、顔を上げると、トールはまた問いかけるように微笑み、ミラベルの顔に掛かった髪を除けてくれた。


「……継母も例えば私のように欲するものがあったのかと」

「ん?」

「私は今、継母と同じことをしようとしているんです」


 権力にある男を虜にし、自分の欲するものを手に入れるため、邪魔な女を排しようとする。

 あの女もミラベルを排して何か欲しいものがあったのだろうか。


「いいことを教えてやろう。お前の父は賢王だ」

「賢王?」


 かつてはそうであったかもしれないが、今ではそんな姿は微塵もないと、ミラベルは怪訝に聞き返した。トールは瞳を細めて飲み込み顔をする。


「俺はお前を妻として迎えるのに九年費やした」

「え?」

「婚約したいと申し出たのは九年も前だ。ルビニ王は表向き自分の娘では不相応だと遜っていたが後で密書が届けられた」


 話をしながらトールは半身を起こし、ベッドボードに柔らかな羽枕をいくつも重ねそこに身を預ける。ここに来いというように傍らの枕をぽんと叩くので、ミラベルも身を起こしてそこに身体を持って行った。


「娘を本気で迎えたいと思うならば誠意を見せろと。生涯娘を愛し守れる男にでなければ嫁がせられないと……林檎と一緒にな」

「……あの父が……?」

「その父が」

「貴方の正体にも気付いて?」

「林檎と一緒ということは、最初から知っていたんだろうな」


 トールの腕がミラベルの括れた腰の下にまわり身体を引き寄せられる。


「そして助言もあった。本気で娘を欲しいと思うならば、表向き結婚したくない男になれと」

「……ではサディストという噂は……」

「故意に流したものだ。まあ、決して慈悲深いわけではないがな」


 トールは少し面白そうに笑う。賊討伐の先頭に立つなど、確かに優しいだけの男ではないのだろうが。


「もしかしたら継母がこう仕掛けてくるのを待っていたのかも知れんな」


 ミラベルはトールが何の話をしているのか漸く掴めて、瞳を見開いた。トールの手が良く出来たと言うようにミラベルの頬を撫でる。


「分かるな? 全てお前をあの女から守る為だ」


 何をどう理解して、どう反応していいのか分からず、声も立てられないミラベルに、トールは尚も続けた。


「あの女は正真正銘“魔女”だ」

「……魔女……」


 古より、魔女とは悪魔に従属する人間であり、悪霊デーモンとの契約および性的交わりによって、超自然的な魔力や人を害する軟膏を授かった者を言う。魔女は厭人で人と関りを持つことはあまりないが、その気性は気まぐれで、なんの前触れもなく人々に危害を加えたり、戯れに国を駒にすることがある。

 ミラベルもあの女を魔女とは言っていたが、それは魔性の女という意味でだった。トールはそうではなく、王妃は真正の魔女だと言っているのだ。


「十年ほど前、あの魔女は遊びを始めた。大陸を掌握しようとしたのか、人々が慌てふためく姿が見たかっただけなのか。何をしようとしたのか本意はあの魔女にしか分からないが、その拠点をルビニに置こうとした。その為に王であるお前の父はあの女の標的になった。だが、ルビニ王を虜にする前に、逆に虜になっていたのは魔女の方だ。諸国に知れ渡るほど敏く王として廉直なルビニ王があんな女に懐柔されるものか。女の正体を察し、大陸の魔女を自らで閉じ込める贄となった。魔女を力だけで弑することは易いことではない。王はその方法を探るまで手出しは無用と諸国に密かに伝令を出した。皆が彼の申し出に従った。ルビニ王に出来ないことが他の者に出来るわけがないと言うほどに、彼は信用されている。お前の父は知る人ぞ知る英雄だ」


 知らず、ミラベルの頬には涙がつたった。顎を掬われ、真っ直ぐにこちらを見るトールと目があった。


「お前を国を慮れる王女に育てたのは誰だ?」


 トールの問いにミラベルは考える。


 王女としての教養を全て学ばせたのは誰?

 森を迷わず抜け出せる術を教えたのは誰?

 金貨を与えたのは誰?

 ミラベルの手に合う短銃を造らせ、その扱いを教えたのは誰?


 あの女の手が届かぬ大国に嫁がせてくれたのは……?


「お父様……!!」


 感情が堰を切ったように流れ出す。ミラベルは両手の中に顔を埋めた。トールの腕がミラベルを抱き、その胸に抱き寄せられる。


「魔女に魅入られ十余年、国が未だ秩序を保っていられるのは誰のおかげだ? 王が肝心なところであの女の言うことを聞いていない証拠だ。だが、ここ最近は様子が変わってきているだろう。何故、この時期だと思う?」


 この時期……ミラベルが他国に嫁ぐ、この時期の事……。


「そうだ。自分が愚王として振る舞うことで、潔癖な娘に討たれても仕方がないと民に思われるよう仕向けているんだ。そしてそこに魔女を滅する方法がある」


 肩を抱き寄せる腕とは反対の手がミラベルの顔を上向かせる。ミラベルは涙に濡れた瞳のままトールを見た。


「ミラベル、確かめるぞ。どうしたい?」

「……お父様を開放して差し上げたい……」

「いいだろう。俺が叶えよう」


 好きなだけ泣け、そう言われ、またその胸に顔を埋められる。ミラベルは親と逸れたの子供のように泣いた。



 ***



 それから数年、ルビニ王国の荒廃は進み、ルビニの民は元ルビニ王女ミラベルを頼り、彼女の嫁いだ国イクリールへと身を寄せる者が多くなった。ミラベルはイクリールの第一王子に寵愛されており、王子は彼女の頼みを無碍にはしないと噂されていたからだ。その噂の通り、王子は愛妃の頼みを聞き入れ、彼らに住居と仕事を与え手厚く保護する。

 そして、イクリール国王となったトールは、妃の生国であるルビニに進行する。

 出征の朝、剣を差し出す王妃の顔を、王は顎を掬い上向かせた。


「そう浮かない顔をするな。いいか、ミラベル。後悔は必要ない。俺がお前の決断は正しいと認めてやる」

「……トール……」

「笑え、ミラベル」

「……面白い話をしているわけでもないのに無理を言いますね」

「そうか。ではこれでどうだ?」

「ゃっ……きゃあ !」


 にやりと意地悪く笑ったトールに脇腹を擽られ、ミラベルは身を捩ったが、手は除けられることなくそのまま体中を擽られた。


「や! ゃあ、あ、ふ、……ふふ、あはは―――」


 呼吸困難になるまで擽られて漸く手が身体から離れた。


「は、はぁ……は……なにを……するんです……!」


 ミラベルは睨んでいるというのに、トールは満足げに口許を上げていた。


「お前のこの黒曜石のような瞳が涙で濡れるのも奇麗だが、それよりもやはり笑顔のほうが愛おしい。妃の可愛い顔を見て遠征に出向きたいと思うのは当然だ」


 笑いすぎて滲む涙を吸いとられる。触れるだけの口付けをして、大きな手が宥めるように頬を撫でた。


「これがお前の父の望みだ。父娘二代で魔女を打ち倒すこと。あの王のこと、愛する娘に引導を渡されるのは本望というものだ。その後は俺の隣で笑って毎日を過ごせばいい」

「トール……」

「親殺しのその罪は俺が共犯になってやる」

「……罪の共有……益々 離れられませんね」


 ミラベルは頬に添えられた手に自分の手を重ね、ゆっくりと開花していく花のような笑みを浮かべた。



 **


 イクリールが進軍を開始した一月ほど前、ルビニ王は目を通した書状を、そのまま読めというように王妃に渡した。

 その書状はイクリールから届けられた最後通牒。国を乱す王は自らその命で償い、国を明け渡せ、とある。王妃はその書状を手中で燃え上がらせた。

 王はすでに王妃が魔女であることを知っている。王妃が自らそれを王に伝えたのだ。この力を王の好きなように使っていいと言って。


「下賤な者が身の程知らずな。陛下、私が貴方に勝利を捧げましょう」

「……いや、いい」

「陛下?」

「私は病でもう余命いくばくもないのだ。戦争など面倒。欲しいというのなら国など持って行けばいい」


 王の告白に王妃は瞠目する。魔女の魔法は壊すことは出来てもなおすことは出来ない。

 十数年前、おとなしく日々を過ごすことに飽き、暇潰しにこの大陸に災いを招いてやろうと思った。妃を亡くしたこの王は好都合な的だった。足がかりにするだけの男であったはずなのに、いつしかこの男だけが欲しくなっていた。

 魅惑の魔法で完全に王を落としたと思ったが、王は自分よりも娘に心を寄せていた。ミラベルを森に置き去りにしたあの日、王は「まさか故意ではあるまいな」と自分を睨んだ。その時の胸の痛み。そしてミラベルへの憎悪。災いなどどうでも良くなった。欲しいのはこの男だけだった。魔法で手に入れる傀儡となった男ではなく、魔法にも靡かないこの清廉で気丈夫な心のままの男が欲しくなった。

 だから益々ミラベルが邪魔で。けれども軽率にミラベルを弑すれば、この王には読まれてしまう。事故に見せかけ殺そうとしても成果は得られず、あからさまなことは出来ず手を拱いていた。そこへ届いた隣国の王子の噂。これ以上の吉報はなかった。サディストという王子に嫁ぎ、辛い目にあっているであろうと思ったミラベルが、どういうわけかその王子に気に入られ幸せにくらしているというのは誤算であったが、もうどうでもいい。王が溺愛する(ミラベル)を漸く追い出すことができたのだ。

 なのに、また手からすり抜けるようにこの男は自分のものではなくなってしまうのか。

 憤りをぶつける場所もなく立ち尽くす王妃に、王は王妃が見たこともないような蠱惑的な笑みを浮かべた。


「だが、お前は渡せん。私が死ぬとき一緒に死んでくれ」


 思ってもいなかった王の言葉に、魔女はとろりと微笑んだ。


「ええ、陛下……喜んで……」

「お前の魔法で、我が命絶えるとき、同時にお前も生涯を終えることが出来るか?」

「勿論です。そうなれば……ようやく二人きりですわね、陛下」

「ああ、そうだ。お前は本当に」


 ―――愚かだな


「可愛いな」


 しなだれるように寄り添ってくる王妃の肩を撫で、王は満足気な微笑を口元に浮かべた。



 ***



 進軍してきたイクリール軍に対し、ルビニは無血入国を許す。

 イクリール王トールは玉座に坐するルビニ王と正面から相対する。ルビニ王の足元には、その王妃が座り込み縋るように身を寄せていた。


「王よ かつての礼をもらいに来た」

「好きにするがいい」


 イクリール王はルビニ王の胸に剣の切先を当てた。

 ルビニ王は玉座の横に置かれていた林檎をひとつ手に取ると、それをイクリール王に差し出した。


「これをミラベルに」

「言伝は?」

「言葉にせずとも貴殿には分かっておろう。伝えてくれ」

「……全て、承った」


 林檎は創世の物語より命と密接に関係する果実。イクリール王はそれを受け取るとルビニ王の胸を一突きにした。同時に王に身を寄せる王妃の口から赤黒い血が流れる。ルビニ王はそれを見て口元を緩め瞳を閉じた。

 イクリール王は、倒れ伏した王妃の身体をルビニ王の身体から除ける。そして玉座に凭れる王の前に跪き頭を垂れた。


 心のままに幸せになれ

 わが娘


 イクリール王が妃であるルビニ王の娘ミラベルに、林檎と共に父の遺言として伝えたのは、その言葉だった。



 *****



 後世で、ルビニの王女であり、イクリールの王妃であるミラベルは、国政を傾けつつあった父王を倒した、真っ白な雪のように気高い心の白雪姫と語られる。

 けれど、またその陰では父を弑した無慈悲な冷たい白雪の王妃と呼ばれることもあった。

 どちらが真の姿であったのか今はもう定かではない。

 ただ、イクリールのトール王はその雪の王妃を深く愛し、王妃も王の傍では柔らかく優しい笑みを絶やさなかったということだ。

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