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3.悪意の花

 家格(かかく)ある彦三郎や左馬助とは違い、景久には手足となるべき配下がない。座して新報(しんぽう)を得られる身分ではないのだ。

 また父である清兵衛は、城中での事を決して家内(かない)で語らぬ男だった。

 よってより深くこの一件を知ろうと思えば、自らの目と耳を頼むよりない。これは腹芸の苦手な景久にとって、かなりの難事である。

 だが幸い、彼には友がいた。

 秋月道場は士分のみならず、町人にも広く門戸を開いている。景久の友とは、その縁で生まれた市井の繋がりだった。

 生まれ育ちはそれぞれに異なれど、いずれも義侠心に富んだ気のいい連中である。「彦が難儀している」と持ちかければ、協力は二つ返事で取り付けられた。


 彼らと共に事態を探り、まず把握できたのは、やはりこの果し合いは止められぬという事である。おおよそが彦三郎に泥を被らせ、それを(みそぎ)とする形で意を固めているらしかった。なんとも業腹(ごうはら)である。

 ならばと方角を変え左馬助についてを聞き込めば、こちらの行状(ぎょうじょう)は更に酷いものだった。 


 七坂に戻ってからの左馬助は、江戸から連れ帰った取り巻きを侍らせて、重臣たちの家宅を日々行脚(あんぎゃ)していた。

 しかも、この一団の格好が振るっている。

 いずれもが華美な染めの羽織を着崩し、長袴を引きずり、到底抜けそうもない長刀をぶら下げているのだ。煌びやかと言えば煌びやかだが、小藩の風景において、これは明らかな異物であった。

 家老の跡継ぎ息子と果し合うという無理押しを通そうとしているのだから、これが示威の手段としての装いであるというなら話はわかる。

 だが左馬助が巡るのは日に一、二軒だけの事。

 気まぐれのような遊説(ゆうぜい)が終われば、後は昼酒を喰らい色事に(ふけ)るばかりだった。しかもそれを悪目立ちの装束のままにするのである。

 また、召し物は美しくとも心ばえまでは装えぬらしい。

 代金を踏み倒された店も多く、果ては金銭を(たか)られた商家まであるという。

 当然、評判は芳しくない。


 景久としては首を傾げざるを得ない。

 左馬助は、この地に返り咲くべく舞い戻ったはずである。であるというのに何ゆえに、民心を荒廃させる振る舞いばかりをするのか。

「民あってこその藩」とは、親父殿の口癖である。根底を(ないがし)ろに、左馬助は何を目論むのか。


 しばらく考えてから、はたと思い当たった。

 昔、初名を嘲弄(ちょうろう)した悪童がいた。「母なし、母なし」と大声に呼ばわって嘲るのである。

 (たちま)ち景久と彦三郎に取っ捕まってさんざんに拳骨を見舞われたのだが、その晩、疑問を抱いた景久は父に尋ねた。「何ゆえに人の痛みを抉る真似をするのか、できるのか」と。

 己が忌避する振る舞いを他者に押し付ける意味合いが、景久にはとんと理解が及ばなかったのである。

 問われた清兵衛は、苦く笑って答えた。


「小さな犬はよく吠えるだろう、景久。あれはな、何よりも自分に言い聞かせているのだよ。手前は強いのだぞ、とな」


 よくわからなかったが、わからないなりに頷いてその折は終わった。

 だがこれは今の状況と符合(ふごう)するように思われた。

 左馬助の育ちは江戸であり、七坂とは見知らぬ敵地である。だからこそ日毎(ひごと)優位を確かめずにいられぬのだ。これほどのものであるのだぞと、己の(きょう)喧伝(けんでん)せずにおれぬのだ。

 

 何となく得心をしてから、それにしても、と景久は小さく笑った。

 今にして思えばあの悪童は、初名に気があったのではなかろうか。いつも兄と彦三郎の後を追う彼女に構われたくて、あのような物言いをしたのやもしれぬ。

 許しがたい言い草ではあったが、だとすれば(いとけな)さに免じれなくもなかった。

 だが──。

 左馬助は最早子供ではなく、事は既に微苦笑では済まぬ代物と成り果てている。



 *



 その夜更け、景久はするりと家を忍び出た。

 今日の夕べ、左馬助らが色町に遊びに出たとの報を聞いていたからである。

 七坂の色里は、城下より川ひとつを越えて半里ほどの距離に位置する。よって遊びに出た者は花街に泊まり、帰りは翌朝以降となるのが慣例だ。

 だが左馬助は、一応ながら藩の重臣の元へ日参する身だった。流石に酒と白粉(おしろい)を匂わせて赴くのは(はばか)られたのだろう。女遊びを終えた彼らは、夜のうちに城下へと舞い戻るのが常であった。

 景久が狙ったのは、この帰途である。

 色町より戻るには川を渡らねばならず、そして城下へ戻る橋はひとつばかりだ。そこで待ち受ければ、余人を交えずに左馬助と面談が叶うであろうと考えたのである。

 知恵が出ぬままの彼は、いっそ直談判に及んでしまえと腹を決めたのだ。

 口説(くぜつ)に自信はなかったが、相手も人の子。直接顔を合わせて話せば通じぬ事もあるまいと決め込んでの短慮であった。

 

 腰の一刀を除いて、夜道を走る景久に手荷物はない。

 初名に見咎められぬよう、提灯は用意をしなかった。だがそれが苦にならぬほど好い月だった。気楽な夜歩きであれば、存分にこの月を楽しめたのだがと残念に思う。

 やがて橋の(たもと)まで駆けつけ、そこで足を止めて息を整えた。袖で額を拭い、そうしてじっと左馬助を待つ。

 が、吹き出た汗が引き体が冷えた頃になっても、いっかなそれらしき影は見えなかった。ただ遠く、野犬の吠える声がするばかりである。

 さては行き違ったか、それとも今宵は泊まりかと案じ始めた頃、川向こうに明かりが滲んだ。

 ほっとした景久は、その安堵のままに歩み出す。

 橋の中ほどまで行けば、例の奇矯な服装が夜目にもはっきりと見えてくる。そこへ「おうい」と景久はのんびり呼びかけた。


 彼らの反応は迅速だった。

 忽ちに取り巻きの四人が、壁を作りつつ散開する。長刀の鞘を投げ捨てるように取り外して、なるほどそれはそういう抜き方をするのかと、景久は妙な感心をした。

 煌く白刃の向こうで、ひひ、と喉奥で笑う者がいる。一人だけ抜刀もしていない。

 おそらくはあれが左馬助であろうと、景久はそちらに視線を据えた。

 決して大きくはなかった。体躯だけで言うならば、付き添う四人の方が余程に恵まれている。だが夜目にも、激しく鍛え込んだ体つきだと知れた。酒は入っているのだろうが、立ち振る舞いに(いささ)かの乱れもない。

 頬ばかりが奇妙に()けていた。

 その上に座る大きな瞳が落ち着きなく揺れ動き、やがてじろりと景久を睨み返した。


「貴殿が後藤左馬助かね」

「如何にも。そう言う貴様は池尾の手の者だな? 俺の首を獲りに来たかよ」


 返しながら彼は、吸う息を引きつらせるようにしてまた笑った。

 左馬助の、それは癖であるらしかった。


「違う、違う。そうではないのだよ」


 慌てて手を振ったが、殺気は膨らむばかりである。

 これはいかんと景久は焦った。


「確かに池尾の事で参った。だがこの時を選んだのは、こうでもせねば俺が貴殿に会えぬからだ」

「ふぅん?」

「頼みがある」


 畳み掛けて景久は言う。言いながら、体を二つに追って深く頭を下げた。


「池尾彦三郎との果し合い、するなとは言わぬ。だが真剣はやめにしないかね」


 左馬助の名分である、父の恨み。

 これはまあ、景久にもわかる気がしている。自分とて親父殿を斬られれば恨みを抱きもするだろう。

 だがしかし後藤将監の死は、お互い納得ずくの真剣勝負の上での事である。後から喚くのは無粋だし、武芸を得手としない者と横車を押してまで斬り合おうというのは、何かが違う気がするのだ。


「彦三郎はな、あれも武士だ。覚悟は決めている。だがあれが斬られると、きっと泣く娘がいるのだ。だから、勘弁してやってくれんかな」

「……」

「いや、いや。すっかり見逃せというのではない。何も命のやり取りまでしなくともよかろうという話だ。必要以上に傷つけあえばまたぞろに遺恨が残る。ちょっとした腕比べ、殴り合いくらいで済ませてやってくれんかなと思うのだが、どうかね?」


 精一杯連ねた言葉の後に、やってきたのは沈黙だった。

 やがて、ひひ、と左馬助が笑う。


「阿呆か。()れ犬が」


 吐き捨てるような返答に合わせて、取り巻きどもも嘲って笑った。

 嫌な顔だなあと景久は思う。


「殴り合い? 殴り合いだあ? 餓鬼じゃあないんだ。少しは考えろ」

「人が殺せれば立派な大人とでも言うつもりかね」


 返されて色めき立った取り巻きを、左馬助は手で制す。


「そこはな、大人子供の話じゃあないのさ」


 その手を翻して(おの)が腹に当て、


「ここに──俺の腹ん中には芽があってよぅ。騒ぐんだよ。水が欲しいってな」


 月明かりにもはっきりと、左馬助の目がぎょろぎょろと動き回るのが見えた


「わかるか? お前、わかるか? 水ってのが何かわかるか? そういう事だよ。見るとよ、死ぬのを見るとよ。こう、育つんだよ。芽が育つんだ。いずれきっと花が咲く。だから見たいのさ。ああ、見たいんだよ。俺を押し込めて笑っていた連中の、俺に煮え湯を飲ませた連中の、俺を踏みつけて世を謳歌していた連中の苦渋がさ」

「だから名分を使って、彦三郎を殺すのかね」

「ああとも。これまで頑張って頑張って頑張って、一生懸命期待に応えてきたのにな。意味がなくって残念だなぁ。意味がなくなって残念だなぁ」

「その後は藩と心中でもするつもりかね」

「本当はな、どうでもいいんだよ、どうでも。家だの藩だの、鬱陶しいばっかりだからよぅ。ただできるから、俺にはできるから、やっちまっとこうかって話だよ」


 景久は首を振った。ただただ、首を振った。

 こんなものを利用しようと考える頭も、担ぎ上げて取り巻こうとする心も、彼には到底理解できそうにない。

 突然の父の死と家の没落とを考え合わせれば、左馬助にとって江戸はひどく悪い環境であったのだろうと想像はできる。周囲の期待と欲望とを幼い時分から浴び続け、その水で育ってしまったのだろうと憶測もつく。

 だがこうまで捻じ曲がったものに、最早同情は起こらなかった。


「だからよう。お前みたいなのは殺すぞ。お前みたいな友達思いは殺すぞ。寸刻み五分刻みに刻み殺して、首は捨て札を添えて晒してやる。『この者池尾に与する者なり』とな。皆、皆、水になれ。全部、全部、水になれ。そら──花が咲くぞ」


 歌うように囁いてから、ひひひ、と笑って、左馬助は(かし)げた首で景久を()めた。殺意に応じて、取り巻きの四人が構え直す。

 対して景久は、深く深く息を吐いた。


「貴殿は、強ければ何をしてもいいとでも言うつもりかね」

「弱ければ何をされても仕方がないという話さ」


 喉を引きつらせながら、きゅうっと左馬助の目が細まる。追従(ついしょう)の笑いが続く。

 全員が人の嘆きを楽しむ顔をしていた。人を踏みつけるのを好む顔をしていた。景久の、一等嫌いな顔つきをしていた。


「左様か。では──」


 あっという間もなかった。

 一体、どこをどうされたものか。

 景久が動いたと見るや、取り巻きの一人がもんどりを打って宙を飛んだ。橋の欄干を越えて落ち、高く水音が上がる。


「ではこれからの事にも、我慢が利くな?」

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