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花蘭(KARAN)の末裔  作者: 水瀬立乃
9/9

9話

放課後、生徒会役員達と別れた祈夜はモナルダに直行した。

教室にはまだ後片付けをしている生徒がいたかも知れないが、あんな気持ちのまま教室に戻っても平静を保てそうになかった。

煉が何か言いたげに祈夜の様子を伺っていたが、桃子とマナに促されて諦めたようにバス停へと向かう。

祈夜はその後ろ姿を見送ることなく背を向けた。



「学校で何かありましたか?ひどい顔色をしていますよ」


店に入るなり、藤懸がきょとんとした顔つきで尋ねてきた。

素直に相談する気にはなれなくて「なんでもない」と突っぱねた後で段々と罪悪感が込み上げてくる。

藤懸はただどうしたのかと聞いただけなのに八つ当たりしてしまった。

それでも相手が鬼だと思うとやっぱり素直にはなれなくて、仏頂面のままいつもの席に腰を下ろした。

初めのうちは注文を聞いていた藤懸も今では勝手に温かい紅茶を淹れて持ってくるようになった。

赤みの強い紅茶が注がれたカップの中にレモンの輪切りが浮いている。


「今日はウバの茶葉にしてみました。飲むときにはレモンを取り出してくださいね。あまり浸しすぎると渋くなりますので」

「……ありがとう」


言われた通りに添えられていたトングでレモンを取り出して、カップを口元に運んだ。

少しでも気持ちを落ち着かせたくて、飲む前に花のような香りを吸い込む。

爽やかな飲み口とほんのりと香る柑橘系の匂いが鼻腔からゆっくりと浸透して、強張っていた体がほぐれていくような心地がした。

ふと視線に気が付いて顔を向けると、藤懸が隣の席に座ってにこにこと祈夜を眺めていた。


「…なに?」

「気に入っていただけましたか?」

「うん…まあ…」

「お茶菓子にチーズケーキもどうぞ。ベイクドチーズとスフレの二種類をご用意しました」


四角いお皿の上にのったチーズケーキを勧められ、葛藤しつつも食欲には勝てずにフォークを手に取る。


(悔しいけど…美味しいのよね……)


一口でその味の良さに感動したが、藤懸が目の前にいる手前頬が緩みそうになるのを必死で堪える。

もくもくと食べ進めている時点で祈夜の気持ちは隠しきれていないのだが、そうと気づかない彼女の様子を盗み見ていた彼はこっそりと口元に笑みを浮かべた。


「いつまでそこにいるの?」

「お嬢の気のすむまで」

「…いて欲しいって頼んでないけど」

「心の内に溜め込むよりも吐き出すことで気持ちの整理がつくこともありますよ。どうです、私に話してみませんか。私であれば相手に知られることもありません」


祈夜にとって藤懸の提案は誘惑に近かった。

花蘭の末裔として鬼に弱みなど見せられるかという想いと、いつの間にか心の距離が近くなった藤懸にすべて打ち明けてしまいたいという想いが拮抗する。


「同じ学校に通う彼よりも、私の方が後腐れなく本音をぶつけられますよ」


ぐらついていたところをもうひと押しされ、祈夜は早々に敗北した。

煉に聞かれても困らせるだけだろうから何も話せない。

煉に知られる可能性がある七禾にはもちろん話せない。

涼香にもこれ以上迷惑をかけたくない。

そう考えた時点で藤懸の勝利は確定していた。

祈夜はついさっき生徒会室で偶然耳にしてしまった自分への不満や、同じクラスの生徒達が抱いている不満のことを話した。

流石に煉と七禾のことや燻っている孤独感については打ち明けられない。

それでも話し終えた頃には湯気の立っていた紅茶がぬるくなっていた。


「なるほど。そんなことが…」

「私…これからどうすればいいのかな…」

「どうもせずとも。そのままでよいのではないですか?」


藤懸が返した答えは非常にあっさりとしたものだった。

祈夜にとっては親の仇に相談せずにはいられないほど頭を悩ませる問題だというのに、まるで受け流されたような心地がして面白くない。

思わずむっとした顔をしてしまった祈夜だが、すぐに自業自得だと思い直した。


(馬鹿ね…鬼に人の機微なんてわかるわけないじゃない。何を期待していたの?)


からかわれたと早合点した祈夜は表情を無にして紅茶に向き直った。

藤懸はそれ以上言葉を続けず、祈夜も返事をしないので、なんともいえない沈黙が十数秒続いた。

彼女の様子を窺っていた藤懸は苦笑いを浮かべて立ち上がる。

その場を去るのかと思いきや、彼はポットに残っていた紅茶を祈夜のカップに継ぎ足した。


「今のお話を聞いた限り、お嬢には何の非もない。非がないのだから取り繕う必要もない」

「……」

「私が想像するに、お嬢の周りには外罰的な人間が集まっているようですね」

「…外罰的?」

「己の不満の原因が他人やそうせざるを得ない状況にあったと、自分以外の何かに責任を押し付けるような人間のことです。そういう者を愚直に相手にしてもお嬢がただ疲れるだけで何一つ良い結果にはなりませんよ。恐らく実際にお嬢を槍玉に挙げようとしている者はごく少数で、他の者はただその場しのぎに同調しているだけでしょう。そこに意思などない。いかにも無知蒙昧(むちもうまい)羽虫(はむし)らしい思考です」

「羽虫…」


さりげなく人間を虫けら扱いした藤懸は悪びれもせずに微笑む。


「お嬢は生徒会というところでの仕事も、クラスというところでの仕事も一生懸命やっているではないですか。慣れないことで二足の草鞋をはくのも大変でしょう。そんなことも斟酌(しんしゃく)できない者に後ろ指をさされる謂れなどありません。だからそのままでいいと言ったのです」


物言いはいささか過激だったが、彼が祈夜を励まそうとしていることは十分に伝わった。

藤懸が真剣に向き合ってくれていたのだとわかって、幼い子どものような対応をしてしまったことが途端に恥ずかしくなる。


「ありがとう…」


羞恥と僅かな反抗心から祈夜の声はとても小さくなってしまったが、耳の良い藤懸にはしっかりと届いていた。



頃合いをみてモナルダを出たところで、ちょうどよく店の前で煉と鉢合わせた。

長い距離を走って来たのか肩で息をして、苦しげに顔を歪めている。


「祈夜!」


店から出てきたのが祈夜だとわかると、煉がほっとしたように表情を変えて両手を広げた。

一瞬の内に煉の腕の中に納まった祈夜はその勢いに負けて一歩後退る。


「そんなに急いでどうかしたの?」

「お前に…早く会いたくて…」

「何かあったの?」


まだ呼吸の整わない熱い吐息が首筋にかかって、くすぐったさに少し身じろぎする。

祈夜の前ではいつもどこか余裕ぶっている煉がこうして取り乱すのは珍しい。

背中に腕を回して宥めるように撫でると、彼は勢いよく体を離して祈夜の瞳を正面から覗き込んだ。


「何かあったのはお前だろ?様子が変だったから急いで戻って来たんだ。今日僕がいない間に何があった?」

「…大したことじゃないよ。私の気持ちの問題だから…」

「その大したことじゃないことを聞いてるんだけど」

「うーん…煉に話すようなことでもないから…」

「僕に話すようなことじゃないって、例えばどんなこと?」


なんとかはぐらかそうとする祈夜の抵抗虚しく、煉は追撃の手を緩めない。

眼光が鋭くなり、祈夜の肩を掴んでいる両手にも力が入る。

祈夜としては副会長の煉に『他の生徒会メンバーに疎まれている』なんて言うのは証拠もないのに卑怯な気がするし、『生徒会の手伝いを引き受けたせいでクラスメイトから不満を買っている』なんて言ったところで煉にはどうすることもできないし恩着せがましいと思われるのも嫌で逃げているのだが、過保護すぎる煉はそれを許さなかった。


「ねえ祈夜。わかっているよね、僕に隠し事はしないって」

「わかってるよ。でもこれは別に隠し事とかじゃなくて…」

「この前もそうだったよな。そういえば聞きそびれてた。そのことも含めて家でゆっくり話そうか」

「え、あ…家に来るの…?」

「明日は土曜日だしね。折角だから祈夜の家に泊まることにするよ」


何が『折角』なのかわからないが、それを突っ込めるような雰囲気ではなかった。

にっこりと不穏な笑顔を浮かべた煉は祈夜の手をしっかり握って歩き出す。


「そこの和菓子屋で七禾さんとほのかにお土産を買って行こうか。祈夜も一緒に選んで?」

「うん…」

「七禾さんは何が好きかな。祈夜は豆大福が好きだったよね。ほのかはまだ小さいから串団子かな」

「そうだね…」


大人しく手を引かれながら、祈夜は起死回生の一手を探る。

こうなった煉に負け越しを重ねている祈夜はどう言えば諦めてもらえるのかさっぱりわからない。

煉が祈夜に異常なほど隠し事を許さなくなったのは、祈夜がストレスを溜め込みすぎて感情を爆発させ、一時的に記憶を失くしたことがあるからだ。

そこでふと、祈夜はあることを思いついた。


(煉はあの時みたいになるのを心配してくれてるんだよね。だったら私が悩み事を抱えているわけじゃないってわかれば無理に聞いてはこないかも…)


和菓子屋を後にした祈夜は、名案だとばかりに藤懸のことを話した。


「あのね、煉。さっきのことだけど、藤け…カフェの店主に話を聞いてもらったの。そしたら私の杞憂だったってわかったから、学校を出た時は落ち込んでたけど今はもうすっきりしてるんだ。だからわざわざ煉に話すことじゃないって思ってあんな言い方したの。悩んで我慢しているわけじゃないから安心して?」

「…………ふうん」


それが失策だったと気が付いたのは、煉が溜めに溜めて返した相槌を聞いた時だった。

その声の低さに驚いて思わず手を離そうとしたが反対に痛いくらいに握り締められて抜け出せない。

煉はそれ以上祈夜を追及することはなかったが、家に帰るまで全く話をせず気まずい思いをした上に家では「僕は頼りないですから」と当てつけのように繰り返され、止めにお土産の大福を煉に「あーん」で食べさせられた。

更にそれを七禾に目撃され、「仲がよろしくて羨ましいですわ」と微笑まし気に揶揄われて屈辱的な気分を味わった。

彼女が鬼だと知らない煉を恨めし気に睨みつけると、彼は機嫌が良さそうに目を細めて祈夜の髪を撫で梳いた。


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