6話
その日最後の授業は週に2回あるロングホームルームだった。
主にクラスの話し合いの時間に使われているが、今日は文化祭の担当分けと出し物について話し合う時間になった。
「ねえねえ、祈夜は何やりたい?」
涼香に誘われて彼女と同じく出し物担当に決まった直後、後ろからワクワクした声が聞こえてきた。
振り返ると案の定、両の目をキラキラと輝かせた涼香の顔があった。
「涼香はやりたいことあるの?」
尋ねて欲しそうなオーラを感じたので聞いてみると、彼女は即座にうん!と頷いた。
「去年はプラネタリウムやったから、今年は食べ物系やりたいなと思って!ほら、去年コスプレ喫茶やってたクラスあったでしょ?あれ楽しそうだったんだよなー!」
「コスプレ…」
「祈夜はやりたいこととかないの?」
二度目の質問は回避できそうになくて、祈夜はうーんと悩んだ。
何かがしたくて担当を希望したのではないと知ったら、涼香はがっかりするかも知れない。
そうは思っても、彼女に嘘はつきたくなかった。
「私は特にこれといって…」
「えー!何かないの??」
「涼香とか、みんなが楽しければ何でも…」
「何その優等生回答!なんかイラッときたわ~」
面白くないと言わんばかりに、ぷぅと頬を膨らませた涼香に、結局こうなってしまったと思いながら「ごめん」と苦笑する。
「みんなが楽しめるような出し物なら、何をしても楽しいと思ったの。涼香と一緒だともっと楽しそうだと思って…」
本心を話すと、涼香の機嫌が少し直った。
言外に一緒にやりたかったと言われて、悪い気はしなかったのだろう。
照れ隠しなのか、はぁぁとわざとらしく溜息を吐くと、上体を起こして椅子の背もたれによしかかり、腕を組んだ。
「無欲な子だわねぇ。わかった。何でもいいんなら、祈夜には普段着たことがないような恥ずかしい服着させてやるわ」
「でもまだコスプレ喫茶って決まったわけじゃないでしょ?」
「これから決めるのよ。絶対、祈夜にフリフリのペラッペラのミニスカ履かせてやるんだから!」
「それは遠慮したい…」
何でもいいとは言ったが、そんな弊害があるとは予想していなかった。
(コスプレはいいけど、ミニスカは禁止にして欲しい…)
そんなささやかな願い空しく、祈夜のクラスは涼香の提案が通って、下着が見えなければ何を着てもOKという自由すぎるコスプレ喫茶に決まってしまった。
その日の放課後、生徒会では全クラスから提出された出し物案の精査することになった。
生徒会室内には折りたたみ式の長机が2つ隙間なく並べられ、その両脇に4つずつパイプ椅子が置かれている。
入口から向かって右奥に祈夜が座り、そこから時計回りに庶務の晴菜、書記の悠星、会計のまどか、マナ、椅子をひとつ飛ばして会長の桃子、副会長の煉が座った。
「見た感じ、やっぱ食品系が人気ですねー」
静かになった室内で、悠星が最初に感想を呟いた。
その言葉に肯定する気配が漂い、他のメンバーも各々思ったことを口に出し始める。
「ねえ、2年b組の…何これ?シノのクラスでしょ?」
訝しげに尋ねたのはマナだ。
突っ込まれそうだと覚悟していた悠星は、誤魔化すように苦笑いした。
「それね~俺は反対したんだけどねぇ…」
2年b組の欄には「オリジナルサスペンス映画上映」と書かれていた。
「サスペンス映画ってどんな内容よ?」
予想通り早速突っ込まれた彼は、事前に仕入れていた情報をそのまま伝える。
「あーまだ細かいところは決まってないらしいんだけど…、カリスマ霊媒師が教師になって、悪霊に取り憑かれた生徒を次々にお祓いしていくとか何とか…」
「それって最近話題になってる映画のパクりじゃん!祓い屋教室だっけ?」
「その映画、私この間見ました!安倍晴明役の俳優さん好きなんです!!」
悠星の隣で晴菜が声を弾ませる。
彼はそれにチャンス!とばかりに食いついた――
「へぇ、そうなんだ!確か、椚木紅葉だよね?晴菜ちゃんってああいうタイプが好みなんだ~」
「そもそもあの話ってサスペンスなの?」
――が、無情にもまどかが話題を戻し、悠星は恨めしい視線を向けた。
そんな会話が交わされる中、彼らの向かいに座る2人も何やら話をしていた。
「煉君のクラスは、座敷遊び体験?」
前にいるメンバーとは打って変わって、桃子の落ち着いた、どこか色気のある声が聞こえる。
「そう。楽しく日本の文化に触れようってコンセプトなんだ」
煉の声はいつもより少し高くて、出し物が楽しみなんだと言っているように(祈夜には)聞こえた。
「奥村さんのクラスは何をするの?」
「私のところは猫写真カフェだよ。本物の猫がいいって結構揉めたんだけどね」
「流石は生徒会長。写真で決着をつけてくれて助かるよ」
「ふふ、ありがとう」
淑やかに笑う桃子は、誉められて本当に嬉しいのだろう、頬を薄らと朱らめていた。
「俺のクラスのは置いといて、今年はそこまで突飛な案はなさそうですね。このまま確定してもいいですか?」
マナとまどかの攻めを凌ぎきれないと感じたのか、悠星がまとめに入ろうとする。
桃子はもう一度プリントに目を通して、頷いた。
「そうだね。このままでよさそう。煉君はどう思う?」
「僕もこのままでいいと思うよ。あとは先生方次第だね。もしかしたら1年d組の落ち武者道場だけ見直しになるかも知れないけど」
「えっ!落ち武者?!」
「ぶはっ!何だそれ!そんなの書いてありました?!」
再びわいわい騒ぎ始めたメンバーを見守りながら、煉は先程からじっと黙っている左隣を一瞥した。
本人は煉の視線に気付かず、プリントを見つめて何か考え事をしている。
「祈夜のクラスはコスプレ喫茶だよね?」
少し体を傾けてそっと声をかけると、ようやく紙から視線をはずして顔を上げた。
鳶色の瞳に煉の顔をしっかりと映して、言葉もなく頭を縦にこくりと振る彼女に、おやと思う。
「祈夜も何か着るの?」
「………うん」
返事はあったが思ったより淡白な反応が返ってきて、目を丸くした。
「ずいぶん嫌そうだね。もう着る衣装は決まってるの?」
「まだ、だけど…。涼香が、私にはフリフリのペラペラのミニスカートを履かせるって息巻いてて…」
はぁ、と控えめな溜息を吐く彼女の顔をよく見ると、そこには僅かに困惑の色が浮かんでいた。
祈夜の憂鬱の原因がわかって、煉はほっとするのと同時に可笑しくなった。
「はは、なるほどね。祈夜のミニスカ姿って想像つかないな」
「履いたことないもの、自分でも想像できないよ」
「じゃあ殿塚さんを納得させるような他の服を考えないといけないね」
「それはそうなんだけど、代わりになるような服はないし…」
服といっても、洋服はお出かけ用に数枚あるだけで、祈夜が家で着ているのはほぼ着物だ。
寝間着も基本的に浴衣で、一人暮らしを初めてからはパジャマやネグリジェを着ることもあるが、それを学校で着たところでコスプレでも何でもないことは祈夜にもわかっていた。
制服は仕方ないとして、大衆の前で必要以上に肌を晒すことに抵抗を感じる祈夜にとって、ミニスカートなんてものは脅威でしかない。
それを煉もわかっていたので、一緒にミニスカを回避する策を思案し始める。
「そうだな、先月のお茶会で着てたあの着物…浅緑色の江戸小紋あるだろ。よく似合ってたし、あれでもいいんじゃないか?」
「喫茶だからそれも考えたんだけど、涼香に話したら『平凡すぎ。和風カフェならみんな着物でしょ?意外性に欠ける』って…」
「意外性ね…」
店の制服になるような着物と祈夜の着物は格が違うんだけどな、とは思いつつも、意外性がないと言われると反論はできない。
ふとそこで、良い案が閃いた。
「それなら、巫女装束は?」
言われて、祈夜ははっとする。
樫月家に引き取られてから毎年、樫月が管理する花宵神社の行事の時には、必ず巫女装束を着ていた。
今年の元日~松の内にも着て社務所でお手伝いをしたし、再来月の夏祭りでも着る予定でいる。
「お前は着慣れてるだろうけど、そうそう着れるものじゃないからね。衣装として売ってるお店もあるくらいだし、殿塚さんの言う意外性もあるんじゃないかな」
「だけどそんなことのために借りるのは…」
「大丈夫だよ。あれはもうお前のもののようなものだし。今日母さんに言っておくよ」
「うん。でも鎭子さんには後で自分からお願いするから、借りられそうかどうかだけ確認して。その前に涼香を説得しないと…」
はぁと溜息をつきつつもいつもの調子に戻った祈夜を見て、煉は満足そうに目を細めた。
「副会長の家、巫女さんの服があるんですか?」
晴菜の不思議そうな声にはっとして振り返ると、メンバー全員が祈夜と煉に注目していた。
煉はついいつもの調子で話してしまったなと少しだけ反省しながら、笑って答える。
「あれ、みんなに話してなかったかな。僕の家、神社なんだ」
「「「「神社ぁ?!」」」」
晴菜、悠星、まどか、マナの4人から驚きの声が上がる。
右隣の桃子も、声は上げずに瞠目していた。
「花宵神社って聞いたことない?」
「あります!桜の小道があるところの!あそこって煉先輩の家なんですか?!」
「僕の父親が宮司なんだ」
「えー!知らなかった!」
「じゃあ副会長は将来神社を継ぐんですか?」
「それはまだ決まってないよ。一応神職資格は取ろうと思ってるけど、弟や妹もいるしね」
「副会長って一人っ子じゃないんですか?!」
きゃいきゃいと騒ぎ出す女子に若干気圧されつつも、そんなことはおくびにも出さずににこにこしていると、正面から不満げな声が上がった。
「2年目にして新事実発覚ですよ~。副会長、自分のこと全然話してくれないから謎が多いんですよね」
「謎って。別に秘密にしているわけじゃないから聞いてくれれば答えるよ」
悠星の責めるような口調に、煉は苦笑して答える。
そのまま話が流れていくかと思いきや、向かいに座る晴菜が羨望の眼差しを向けてきたので、祈夜は思わず身構えた。
「花蘭さん、副会長の神社で巫女さんのお手伝いしてるんですね!さっき着慣れてるって話してましたよね?!毎年着てるんですか?」
「はい…年末年始は毎年…」
いつもの晴菜からは感じたことのない勢いに気圧されそうになりながら答えると、彼女の興奮度合いは更に高まった。
「いいなぁ!私、巫女さんに憧れてて!いつか巫女さんになってみたいなって思ってたんです!」
「そ、そうなんですね…」
「安部さん、やってみる?まだ今年のアルバイトは声かけてないから、やりたいなら空けておくよ」
完全に気迫負けしてしまった祈夜に助け船を出すように、煉が提案する。
目論見どおり晴菜のテンションが最高潮に達した。
「えー!いいんですか?!」
「うん。ただ、朝はすごく早くて凍えるくらい寒いし、人が来ない時間はかなり暇なんだけど…それでも大丈夫?」
「え…?」
アルバイト採用の時に必ず確認する注意事項を伝えると、彼女の顔から一瞬ワクワク感が消えた。
だがすぐに気を取り直して、何度も縦に首を振る。
「大丈夫です!やらせてください!」
「それならよかった。ありがとう。それについては後で詳しく話すよ。
――とりあえず、出し物の案はこのまま先生に提出するってことでいいかな?」
煉のおかげでその場は丸く収まったが、きっとこの話は噂になって、しばらくは話題の種になるだろう。
煉を取り巻く賑やかな雰囲気と、困ったように笑う彼の姿を想像して、祈夜は思わず口元を緩める。
その時ふと、何故か先日夕食の時に話したニュースが脳裏を過ぎった。
(これが元で煉が注目されて、何かのきっかけで鬼の耳に入ったりしたら…。もしあの犯人が鬼なら、必ず煉を狙ってくる)
さっと血の気が引く心地がして、次の議題について話す煉の横顔を窺い見る。
今年の文化祭は嵐になる予感がした。