閻魔大王の裁きは公正にして平等
その中年女性は、トラック十七台によって念入りに轢かれて、冗談抜きで道路に体が平たくなってへばりついて死んだ。
彼女のこの不幸な死は、日本中で喜ばれた。特にネット上では「ざまあみろ」「天罰だ」「地獄に落ちろ」などと、お祭り騒ぎとなっていた。
彼女はトラックに轢かれたにも関わらず、小説家になろうの主人公よろしく異世界に転生することもなく、魂はそのまま冥府へと旅立った。
彼女は現在自分のいる場所に、自分の目の前にいる恐ろしい巨漢に、自分のこの状況そのものに、底知れぬ恐怖を覚えていた。
「これより、笛醜武娑子の罪状を読み上げる」
中年女性――笛醜武娑子は慄然とした。罪状という言葉を聞いて耳を疑った。ここがあの世なのはわかる。目の前にいる髭面の巨漢が閻魔大王だという事もわかる。問題は何故自分がこんな場所にいるかだ。心当たりは全く無い。
「被告――笛醜武娑子は、女性の性産業を全て否定する運動をし続け、日本国から、アダルトビデオ、イメージビデオ、性風俗、果ては二次元のエロマンガや薄い本まで、完全に一掃した。その結果、今から日本は六十年に亘って性犯罪が急増し、八百三十五万二千十三件の強姦事件、四万五百六十一件の殺人事件、一万二千九百五十二件の監禁事件が発生する事となる」
「ちょっ、ちょっと待ってください! 何でそれが全部私のせいになるんですか! 事件を起こした人が悪いのだし、私のせいで事件を起こした根拠が――」
「大王に向かって何たる口の利き方か! 身の程をわきまえよ!」
獄卒の牛頭鬼が、容赦なく金棒で武娑子の頭を殴りつける。
頭部が吹き飛んだものの、激痛と共に徐々に再生していく。もうあの世なので、苦痛こそあれど死ぬことは無い。
「我の裁きは、常に完璧に平等であり公正だ。未熟な人間如きが勝手に作った、ぞんざいな物差しによる法の裁きとは、わけが違う。我の目には未来はもとより、『もしもこうなっていたら?』という、歴史の可能性すら全て見ることができる。貴様等が斯様なことをしでかさなければ、世の多くの男共は、犯罪に手を染める事無く済んだ。しかし貴様等が男共から己を慰めるためのオナペットを全て奪ってしまったが故、彼等は自分の欲望を抑えきれず、犯罪へと走った。それが真実也。よって、罪は犯罪に直接及んだ者のみに非ず、その多くの犯罪者を産むに至った根源たる者達にも問われる。むしろ貴様等の方が、はるかに罪は重い」
武娑子の倫理観からすると全く納得がいかなかったが、不服を訴えてもどうにもならない事は、武娑子の脳でも理解できた。
「罪の意識が無いことも、罪である。それも上乗せしたうえで、えーっと――貴様のせいで苦しむことになった者達の痛みの量の合計は……と」
机の上で、巨大そろばんを高速ではじきだす閻魔大王。
「ふむ。八億百三十七万一千五百八十年ほど地獄で責め苦を受けて、罪をあがなってもらう事になるな」
閻魔の口から、気の遠くなるような天文学的数字を出され、武娑子は呆然としてしまう。
「もちろん貴様の仲間達も、いずれ同様の罰を受けてもらう。知らなかった、悪意は無かった、では済まされん。そのつもりが無くても、悲劇のきっかけを作った者は全て罪人。罰を受けねばならん。それでこそ真の公正にして平等な裁きである。引っ立ていっ」
獄卒達が武娑子の両脇を抱え、連れて行く。
「次」
「はいっ」
笛醜武娑子の次に連れて来られたのは、スーツ姿の中年男だった。
「これより、鯱邦夫の罪状を読み上げる」
「わ、私は地獄に落とされるようなことをした覚えはありませんっ! 人生で一度も嘘をつかず、真面目にっ、ひたすら誠実に頑張ってきましたよ!」
自分が何故地獄へ落ちなければならないのか、邦夫には真剣にわからなかった。
「罪の意識が無いことも、罪である。それも上乗せだな。おっと、それより罪状だ。被告――鯱邦夫は、三十年近くに亘りサラリーマンを勤め上げ、過労死に至った。これは正に罪。社蓄罪である」
「な、何でそれが罪になるんですか!」
「日本のサラリーマンは明らかに働きすぎ、働かされすぎだ。その扱いは奴隷と大差無い。故に、経営者の大半はかなり重い地獄へと落とされるが、これは働いている社員にも責任がある。労働を美徳とする価値観を蔓延させるのは、同調圧力である。己を投げ打って働く者が多くいれば、同調圧力により、奴隷のような扱いを受けても、疑問すら挟めない空気が出来上がる。そのような価値観が蔓延る事は、社蓄を飼育する側の思惑通りであり、より一層、奴隷社会化へと繋がる。故に、現在の日本で真面目に働いている者ほど、重い社蓄罪となる。逆にちゃらんぽらんに働いている者は罪に問われず、天国へ行く。ニートも全員天国行きだ」
「そんな馬鹿なーっ!」
あまりに理不尽な沙汰に、邦夫は絶叫した。
「はい、今ので閻魔侮辱罪も追加、と。えーっと――貴様のせいで苦しむことになった者達の痛みの量の合計は……と」
机の上で、巨大そろばんを高速ではじきだす閻魔大王。
「ふむ。二千五百十三万八千四百九十一年ほど地獄で責め苦を受けて、罪をあがなってもらう事になるな」
閻魔の口から、気の遠くなるような天文学的数字を出され、邦夫は愕然としてしまう。
「もちろん他の真面目なサラリーマンも、同様の罰を受けている。知らなかった、悪意は無かった、では済まされん。そのつもりが無くても、罪に関与した者は全て罪人。罰を受けねばならん。それでこそ真の公正にして平等な裁きである」
「ふ、ふざけるなっ、どこが公正だ!」
「引っ立ていっ!」
抗議する邦夫であったが、問答無用で獄卒二名が両脇を抱えて連行し、地獄の門をくぐった。
「ふっ、閻魔侮辱罪が乗算されなければ、七年の刑で済んだというのに。愚か者め。次っ」
「はいっ」
鯱邦夫の次に連れて来られたのは、三十歳前後の普通の女性であった。
「これより、 猫渦笛子の罪状を読み上げる。被告――猫渦笛子は動物虐待加担罪……だけかな。しかし……」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。私が動物虐待!? 保健所で処分されそうになった猫達を助けて、自分の経営する猫カフェで面倒みていましたが、虐待なんてしてませんよ!」
閻魔が罪状を読み上げる途中に、大声で抗議する笛子。
「虐待したとは申してなかろう。虐待加担罪だ。貴様は化粧をしたことがあるだろう?」
「それは女性なら大抵……」
「化粧品の中には、動物実験を経て作られるものがある。人間が命を繋ぎとめるための動物実験であれば、致し方ないとして許容しているが、たかが己の容姿を飾るためだけに動物の命を弄び、化粧品を精製するなど言語道断。その化粧品を用いた者も全て同罪である。知らなかったでは済まされん。想像してみるがよい。貴様が実験台として散々苦しい思いを味わって殺されるとして、それが化粧品のためだと知り、納得できるか? その化粧品を売る者も、買って利用した者も、許せるか?」
閻魔大王が諭すような口調で問う。
一方で笛子はがっくりとうなだれている。動物好きの自分が、知らぬうちに動物虐待の片棒を担いでいたという事実の方に、ショックを受けていた。
「さて、判決を申しあげる前に、貴様に会わせたい者がいる。太郎、次郎、こちらへ」
「えっ!?」
聞き覚えのある名が閻魔の口から出て、笛子が顔を上げると、閻魔の前に、二匹の猫がいた。
「太郎っ! 次郎!」
笛子が目を輝かせ、二匹の猫の名を呼ぶ。かつて笛子が、ゴミ捨て場に捨てられていた南極二号にくるまっていた所を保護し、一年ほど猫カフェで飼い、やがて死別した老猫達であった。
目の前にいる太郎と次郎は毛並みも良く、明らかに若返ってはいたが、その毛の模様と顔つきは見間違いようがない。
「閻魔様! 御主人様を地獄に落とさないでくださいにゃーっ!」
「太郎が喋った!」
人間の言葉を発した太郎に、驚く笛子。
「御主人様は多くの猫を助けてくれた心優しい方ですにゃっ! もし御主人様を地獄に落とすというなら、僕達も地獄に落としてくださいにゃーっ! そして御主人様に与える苦しみを僕達にも分けて、御主人様の罰を軽くしてくださいにゃ!」
「次郎も喋った!」
「いや、一匹目はともかく、二匹目にもその台詞言うか? もっと別の台詞があるだろうが」
笛子に突っこむ閻魔。
「それはそうとして、残念ながら閻魔の裁きは絶対公正。そのような特例や情状酌量は認めん」
「じゃあ何のために僕達呼んだんですかにゃっ!?」
閻魔に突っこむ次郎。
「出迎えとしてだ。猫渦笛子――貴様は確かに罪を犯しているが、貴様が開業した猫カフェはその後、貴様の夫が引き継ぎ、やがてチェーン店化する。そして未来にて日本全国へと展開し、数百年にわたって数多くの猫の命を救い続ける事になる。これは猫渦笛子――紛れも無く貴様の功績である。この功罪を秤にかけた差し引きの刑罰は……と」
机の上で、巨大そろばんを高速ではじきだす閻魔大王。
「ふむ。九秒ほど地獄で責め苦を受けて、罪をあがなってもらう事になるな。それも軽めの責め苦だ。その後はその猫達と共に天国へ行く事となる」
閻魔の口から、告げられた罪状に、笛子の表情がほころんでいく。
「引っ立ていっ!」
「ありがとうございますっ」
「ありがとうございますにゃーっ」
「閻魔様も人が悪いにゃー」
笛子、太郎、次郎が地獄の門に連れていかれながら、閻魔に礼を述べた。
「あのー……閻魔様」
獄卒の馬頭鬼が訝りながら声をかける。
「いつもの閻魔様と違うような……先程から誰か第三者がそこにいて、解説するような口ぶりになっていますが」
「ですよね。いつもはもっと淡々としていて、罪状の読み上げだけして、さっさと地獄に落とすのに」
牛頭鬼も閻魔の様子がおかしいのを見て、疑問を口にする。
「うむ。実は今、現世から覗かれているので、ちょっとアピールしていた」
閻魔大王がそちらを向いて、にやりと意味深に笑う。
「現世にて、罪を犯しても逃げおおせた者や、不完全な人の法で罪を問われずに済んだ極悪人であろうと、公正で平等な裁きがあって然るべきという願望から、我は創られた。その望み通り、ここではあらゆる真実が見透かされ、しっかりと罪を裁かれる。だがそれを果たすと、死者の99%以上が地獄行きになってしまっているのが、現状である」
「閻魔様……どうなさったのだ……。一体誰と喋っておられるのか……」
「疲れが貯まっているのかもしれん……」
様子のおかしい閻魔を見て、ひそひそと囁きあう牛頭馬頭であった。