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失せもの女神の始末書  作者: 七木へんり
第二章 おもたせ探して三千里
13/15

7 サットン村滞在記5



 ――誰も側によるな。

 シャルアンは表情のない顔をしてそう言った。

 長時間同じ体勢でいたために足が痺れたらしい王子のことは放っておいて、ケリファは発作から1時間(リナル)ほどしてようやく自分の足で立って歩けるようになった少年を気遣う。

 少年の名前はレンといった。


(いや、大事に至らなくてよかった)


 ケリファは、何ともいえない顔で大蛇用の檻を眺める少年の後ろ姿を見守りながら胸を撫で下ろす。とはいえ、やはり心配だったので村まで誰かに抱えてもらうかと問うたら頑なに拒否された。


(難しいお年頃というやつだな)


 微笑ましく思っていると急にレンが振り返り、ケリファの顔を見てびくつく。どうやら不気味に笑み崩れていたみたいだ。


「……なぜ、神池(ターカ)に踏み入るの? 大蛇を探し回っているって本当?」

「うーん。わたしにもよく分からない。一応、王子の母君のためと言っておこうかな」


 あの美貌の王妃が聞いたら卒倒しかねないが、間違ってはいないはず。少し着地点が異なるだけで。

 レンは目を丸くした。先刻王子を怒涛の如くに罵倒していたとは思えないほどの愛らしさである。


「そうなんだ。お母さんの……ぼくと一緒だ」

「一緒?」

「……約束したんだ、死んだお母さんと。お母さんはいつも、神池(ターカ)は大切なものだから、何があっても守りなさいって言ってた。だから、ぼく……」


 意味不明な呻き声を絞り出しながらケリファは即刻非常識王子ごと檻を回収して帰りたくなった。

 だとすればレンが王子に激しく怒っていたのにも合点がいく。少年は母の言いつけを必死に守ろうとしていたのだ。少しやり過ぎた感もあるが、それほどレンにとって亡き母の言葉は大事なのだろう。


「お、王子の母君はもしかしたら神池(ターカ)を騒がせてまで大蛇は探さなくていいと言うかも」

「でも……」


 口汚く罵倒したにも関わらず助けてくれた王子に対して気が引けるのかレンはちらりと視線をやった。

 シャルアンは足の痺れが取れてきたようで表情が戻っている。

 戻って来たライナーマに対し、シャルアンが一旦引き揚げの準備を指示していた。そろそろ日没だが、今からヴィンドラへ戻るにしても辿り着いた頃には既に城門は閉じられている。どうするのだろう。

 そんなことを考えていたら、当の王子から行くぞと声がかかった。

 すぐ行くと返したケリファの衣をレンが引っ張る。振り向けば、レンはシャルアンの男物の領巾(ソッリート)を抱えたまま、途方に暮れた顔をしていた。

 ケリファが確認するようにシャルアンを見ると、彼はとっておけと言わんばかりに鷹揚に手を振った。


「さて、わたしはそろそろ行く。……すまないが、明日もまた来ることになると思う。母君主催の宴の座興が他に見つかれば、神池(ターカ)をこれ以上騒がせることもないのだけれど」

「……何か代わりのものが見つかれば、いいんだよね」

「レン?」


 意を決したように唇を引き結ぶ少年の姿が妙に印象に残った。




 結局その日の夜はサットン村が属するバラン郡(スラク・バラン)郡家(スラクパール)に宿泊することとなった。行きにわざわざ立ち寄ったのは、こうなることを想定していたからだろうか。

 パヴァルナでは近接する村々を束ねて(クオム)と呼び、複数の郷をまとめて管理する行政区画を(スラク)と称する。郡の上位には(ジャラヤ)があり、州の長たる太守(クルン・ジャラヤ)は中央から派遣されるが、郡の長の郡司(クルン・スラク)は在地の有力豪族が任命されるという。郡司に任命された豪族の館が郡の役所である郡家(スラクパール)を兼ねるのが通常だ。

 バラン郡の郡家は近隣でも広大な部類に属するらしく館の周囲には簡易な濠まで設けられていた。庭も広く、人工池や祠堂、高床倉庫、警衛の詰所などは元より闘鶏専用の空間まであつらえられている。闘鶏といってもこちらは古式ゆかしい神事として執り行うものらしかったが。

 恰幅のいい郡司は見た目に違わぬ豪気な歓待ぶりを発揮し、酒宴が催された大広間の明かりは夜遅くまで消えることはなかった。

 ――次の日、一行の大半は二日酔いに苛まれていた。

 むんむんたる男熱れを放つ筋肉野郎どもは口々に不明瞭な声で頭が痛いだの気分が悪いだの囀っている。

 そんな彼らを尻目に一滴も飲まなかったケリファは、どうやってシャルアンを説得するかについて頭を悩ませていた。

 今日は、昨日の探索で思ったよりも汚れたので郡司(クルン・スラク)に用意してもらった衣を身につけている。中紅花の衣で数珠玉や精緻な刺繍はないが、控えめに施された素朴な小花の刺繍が愛らしい。いつもよりも多いであろう客人の相手で忙しそうに動き回っている使用人たちの手を患わせたくなかったので、髪は複雑な結い方をせずに後ろでまとめただけだ。

 シャルアンもけろりとした顔をしている。酒が飲めるようになった年から宮廷で揉まれ続けてきた彼はただ酒豪というだけでなく、必要以上に杯を勧められないための術を身につけているのだった。

 ただしライナーマはその性根が祟ったのか撃沈している。


「ライ、俺はほどほどにせよと言ったはずだが」

「面目ないことでございま……す」


 サットン村へ向かう道すがらシャルアンは轡を並べるライナーマに駄目出しをしていた。


「断るのは悪いからと、次から次へ杯を受け続けていては、きりがないぞ」

「返す言葉も……ございません」

(……非常識王子が真っ当なことを言っている。空から棍でも降って来るんじゃ?)


 あのやたらとキラキラした華やかなやつが、だ。しかもそれがなぜか自身の頭を直撃するところまで想像してケリファは戦慄する。

 不可抗力ながら腕の中にいるケリファが身震いしたことに気づいたシャルアンは言った。


「三日熱か? お前のことだ。寝ぼけて蚊帳から転がり出たな?」

「違うわ! どうして知っている!? ま、まままさか、乙女の寝姿を鑑賞していたのか? 破廉恥な!」

「どこに乙女がいるのかは知らんが、つい先日ともに朝日を眺めた仲ではないか。まあ、それはさておき、お前の寝姿を鑑賞するくらいならその時間を睡眠に充てた方が余程有意義だ」

「ここ! 乙女はここにいます! ほんっとに失礼な奴だな、汝は!」

「お、お二方、もう少し声の調子を落として下さると……ああ、頭ががんがんする」


 そうこうしている内、全体的に酒臭いどんよりとした集団はサットン村に到着した。

 再び出迎えた村長が『うわ、酒くっさっ』みたいな顔をするのを適当にあしらい、早々に一行は神池(ターカ)へと向かう。

 二日酔い組が駒留めに行っているのを待つ間、シャルアンとケリファは例によって例の如くわけの分からない争いに終始していた。


「……本当にまた来たんだね」


 呆れを含んだ細い声が白熱していた二人の争いを止める。

 その呆れは再度の来訪に対してなのか、大人げない争いに対してのものなのかは不明だったが、彼の声は昨日のような怒りに満ちてはいなかった。


「ど、どうしたんだ!?」


 振り返っておはようと言いかけたケリファが血相を変える。隣のシャルアンも声こそ発しはしないものの、わずかに目を見開いていた。

 呆れ混じりの声の主は、着古した庶民の衣である短衣(ヤータ)脚衣(タロール)、癖のある黒髪、夜闇に近い深青の瞳――レンだ。


「何があったんだ!? 大丈夫か!?」

「お、落ち着いて。大丈夫だから」


 駆け寄るケリファを宥めるレンの頬から唇にかけての部分が恐ろしく腫れあがっている。それのみならず熱を持っているようだ。口の端は切れ、未だ赤い色を滲ませていたし、目の下も鬱血している。彼の細い声は、少年の細さというよりは、力ないものだった。


「ちょっと転んじゃって……気にしないで」


 痛々しいレンの言葉をいったい誰が信じたというのだろう。王子はともかくとして単細胞の女神までが少年の弱々しい笑みを信じなかった。

 ケリファが誰にやられたと問い詰めようとするのを遮り、シャルアンがレンの顔を覗き込んだ。乏しい表情で淡々と言う。


「冷やした方がいい……神池(ターカ)の周辺によく効く薬草があるな」

「わ、わたしが探してくる! どんなものか教えてくれ!」


 薬草の特徴を聞くと居ても立っても居られずケリファは走り出した。




 それらしいものは昨日見たような気がしたものの、本当に欲しい時に限ってなかなか見つからない。

 ケリファは薬草を探して神池(ターカ)の周辺を歩き回っていた。あちらこちらへと視線を走らせながら気だけが逸ってどうしようもない。何度も同じところを見てしまう。舌打ちしながらケリファは岩の影を探すのを止めた。


(いったい誰が! あんなひどいことを!)


 年端もいかぬ子どもにと、そこまで考えた時、ライナーマではないかという疑念が心の片隅で鎌首をもたげた。

 すぐに頭を振って打ち消す。彼はそのような人間ではないし、そもそもそんなことをする時間などなかった。

 しかし、自分はいったいどれほど彼のことを知っているというのだろうか。出会って二週間も経っていないというのに。

 思い出してみろ。昨日、あんなにも恐ろしい形相で少年に手を振り上げていたではないか。止めなければ、その手は確実に振り下ろされていたはずだ。

 ――なんて嫌な気分。

 完全なる神であった時には感じもしなかった類いの苦い気持ちを噛み締め、ケリファは唇をひん曲げた。

 全き存在でなくなった途端にこんなにも脆くなるのか。神たる自身でさえこうなのだからか弱き人間はすぐにぐらついてしまうだろう。

 そうと知っていたつもりだったが、それは本当に『知っていたつもり』だったみたいだ。


(まさか体現する羽目になるとは夢にも思わなかった)

「あのぅ」


 まるでどこかから空気が漏れているかのような抜けた声をかけられ、ケリファは口をへの字にしたままそちらへと視線をやる。


(……辺りの空気と同化し過ぎだろう。存在感がなさすぎる。わたしでさえ気づかないのだから、他の人にちゃんと認識されているのだろうか)


 あまりにも失礼過ぎる胸中はさすがに本人には伝えられない。


「昨日は、どうもぉ」


 おそらくその後に『ありがとうございました』と続いたのだろうが、続きは地面に吸収されてケリファの耳には届かなかった。


「だ、大丈夫か?」


 少しひき気味にケリファが問いかければ、鈍臭く顔面から大地に突っ込んだ男がけなげに痙攣する手を振る。

 少年の――レンの兄だった。


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