第1話 幸せの裏側で
私の友達は、少女漫画の主人公みたいな女の子だった。
私は、紺野さつき。高校2年生。2-Bの教室で、読書をしながら1限目の授業が始まるのを待っていた。
「おはよー、さっちん!ふー、セーフ!」
「お、今日は早いじゃん。1分前。」
声をかけてきたのは、前田あさみ。私の、中学からの友人だ。
お調子者で、天然ボケ。明るくて、いつも元気いっぱい。栗色の髪で、少しくせっ毛。
目はくりくりと大きく、童顔と呼ばれる顔立ちだ。背も低く、150㎝前半、といったところ。
「今日の1限目って、何だっけ?」
「数学でしょ。」
「あー!宿題やってない!ね、さっちん、見せて?」
「ばか。もう先生来るわよ。」
「そおんなあ。」
ガラガラ。
急に教室の前のドアが開き、先生が入って来た。
「こら、何やっている。席につけ、前田。」
「うえええ。はーい…。」
しぶしぶと、あさみは席に着いた。
そんな日の放課後、さつきはあさみに、話があると呼び出されて、学校の空き教室に来ていた。
「あのね、私!好きな人ができちゃった!」
「ふうん、そうなんだ。」
さつきは、またか、と内心思っていた。同じようなことは中学の時にもあった。
もう、思い出したくもない記憶だけれど。
「でね、相手がね、2-Aの奥田たかしくん!でさ、さっちんって、たかしくんと幼馴染じゃない?だから、協力してくれないかな?ね、お願い!!」
さつきは、思わずぽかんとしてしまった。
奥田たかしくん、彼は私の幼馴染だが、実は私も彼が好きなのだ。ただ、このことはまだ誰にも言えていない。
高校に入学したとき、彼が同じ高校にいることを知って、ひそかに喜んでいた。あさみには、幼馴染が同じ高校にいる、としか伝えていない。
「え、えっと…。」
「ね、ダメ?」
うるうるした瞳で見つめられ、同性なのに思わずきゅんとしてしまう。
まあ、どうせ私が告白したところで失敗するだけだろうし、ここで断ってしまうと、あさみとの関係もぎくしゃくしてしまう。
「いいよ。協力してあげる。」
結局、言い訳みたいなものを自分にしながら、あさみのお願いを聞いてしまった。いつものパターンだ。
「やった!さっちん大好き!」
「こらこら、抱き着くなって!もう。」
無邪気に笑うあさみ。
私がこんなことを考えているなんて、あさみは考えもしないだろうな、なんて思いつつも、さつきは困ったように笑みを浮かべていた。
それから数日後。
さつきは、たかしの情報をそれとなくあさみに横流ししていた。
そのせいか、たかしの好みに合わせて前髪の分け方を変えたり、好きでもないロックミュージックなんかを聞こうとしてくらくらしていたり、なんだか楽しそうだった。
私なら、始めからその分け方なのに。私なら、ロック好きだから話もできるのに。
私なら私なら。
そんな思いが、頭の中を駆け巡るようになってきたさつき。
「ああ、こんなんじゃだめだ。しっかりしなきゃ。しっかり。」
そう呟き、頭を軽く振る。
さつきがそうまでして、あさみに好きな人の情報を流してしまうのにはわけがあった。
『お前、可愛げねーんだもん。』
いつか言われた、男の子からのそんなセリフ。
さつきへの周りの評価は、クール、賢い、世話焼き、しっかり者、1人でも生きていけそう。
基本的に女子からは好かれ、男子からは嫌煙されてきた。
中学の時、あさみと歩いていると、男子から声をかけられるのはあさみだけ。
別にそっけなくしているわけではない。
しかし、男子にはこんなことも言われた。
『ちょっとバカなくらいが一番いいんだよな。賢すぎるとこっちの立場が無くなるっていうかさ。しかも、お前、美人だから余計に高嶺の花って感じで近寄りがたいんだよ。もうちょっと、柔らかい空気出してくれる?』
柔らかい空気って何?女が勉強しちゃいけないわけ?
咄嗟にそう思ったさつきは、ああ、こういうのがいけないんだろうな、と思ったのだった。
しかも、これを言った男子は、あさみが好きで告白していた。フラれたみたいだけど。
だから、さつきは、恋愛に関して一切自信が無い。
どうせみんな、あさみが好きなんだ。私は可愛くないんだ。いつも、そう思ってしまう。
今回もそうだ。
ずっと好きだったたかしくんのことですら、どうせあさみのことを好きになる、そう思っていた。
しかし、今回は日が経つにつれ、後悔が強くなっていった。
ああ、もうどうしたらいいの。こんなこと考えるようになるくらいなら、協力なんてしなければよかった。
さつきがそう思ってしまうのは、たかしが、頑張っているあさみを見て、少しずつ興味を持って近づいているからだった。
ただ、まだ救いはある。
たかしは、まだ興味を持って、つまり、友達としてあさみに近づいているだけ。そう思えば、まだ平気だった。
1か月後。
中々恋が発展しないことに苛立ちを覚えたあさみは、さつきに詰め寄った。
「さっちん!何か!何か無い!?たかしくんを、こう、わーっと、どーっと恋に落とせるような武器!」
「武器って。そんなもんあるわけないでしょ?」
さつきは、軽く笑いながら答えた。
そんなもの、あるならすでに私が使っているわよ、と思いながら。
「ねーえー。さっちん美人だから恋愛経験豊富でしょ??何か無い?男を落とすテクニックー!」
「あさみの方が経験多いでしょ。私は誰かと付き合ったことないから。」
「まあたまたあ。さっちん美人さんなのに、付き合ったことないわけないでしょ?隠さなくたっていいんだよ!」
さつきは、この言葉にイラっと来ていた。
「…本当に無いのよ。」
「えー??なんでなんでえ?付き合うのって楽しいよ!気持ちが、こう、ふわふわっとなって、心があったかくなるっていうかあ。」
「…そう。」
「さっちん、好きな人とかいないのお?私、協力するよ!約束する!ね!」
ここで、さつきの中で何かがはじけた。
「じゃあ、ちょうだい。」
「へ?」
「たかしくん、私、小学校の時からずっと好きなの。たかしくん、私に譲って。」
「そ、そんな!だって、協力してくれるって!」
「どうせ私なんかが告白したって相手になんてされないだろうからと思って!!でももう嫌!私はなんでいつもあんたの後ろを歩かなきゃいけないのよ!
中学のときだってそうだった!あんたは私を頼ってばかりで!自分で考えもしないで!
私のことを好きだって言った男子だって結局あんたのことを好きになって、付き合って!
それでも、私はたかしが好きだから関係ないと思って協力して見守ってたら卒業記念に別れるですって!?
私がどれだけ苦労して情報収集したと思っているのよ!
やっぱり、あんたみたいなちゃらんぽらんに、たかしは渡せない!もう嫌!」
さつきは、あさみの胸ぐらをつかんで、一気にまくしたてた。
「でもでも、期間は短くても、この想いは本物だから!私だってたかしくんは渡せないもん!!」
あさみも、さつきに掴みかかった。
しばらく、2人は放課後の教室で掴み合いの喧嘩をしていた。そこへ。
「おい、お前ら何やっているんだ!?おい、紺野!」
たかしくんだった。
2人は掴みあった姿勢のまま、たかしの方を向いた。
「お前、何前田いじめてんだよ!」
「はあ!?いじめてなんか…」
ふと、さつきがあさみを見ると、目に涙を浮かべていた。
「何泣かせてんだよ!お前、体格差考えろ!そんなやつだなんて思わなかった!」
たかしはそう言うと、えぐえぐ泣いているあさみを、さつきからぶんどるようにして抱え、さつきを睨みつけて教室を出て行った。
「そ、そんな…。」
さつきはその場にへたり込んだ。
確かに、さつきは背が高い。170㎝近いくらい。でも、筋肉はあまりついていないし、スリムな方で、体重は軽い方。力はそんなに無い。
まあ、あさみは小さくて軽いから、体格的には、大分差があるんだけれども。
でも、あれはただの喧嘩だ。いじめてなんてない。
あさみは、涙腺がかなり弱くて泣きやすい体質だ。だから、痛くて泣いていたのではないと思う。
一方的にいじめていた、そういう風には見えたかもしれない。
でも、たかしは私を信じてはくれなかった。
それだけで、さつきは涙がぼろぼろ出て止まらなくなり、放課後の教室で、一人ぼっちで、ひたすら泣いた。
少しだけ、誰かが背中をさすってくれているような気がした。
でも、そんなはずはない。
私は一人ぼっち。いつでも。これからもきっと。
それから3日が経った。
2日間は、あさみもたかしも、さつきに声をかけてくることは無かった。
まあ、さつき自身も暗い顔をしていたし、あんなことがあったのだ。簡単に声なんてかけられないだろう。
そう思っていたのだが。
「話があるの。来てもらえないかな?」
遠慮気に、少し首を傾げて笑う、あさみがそこにいた。
「いいけど。」
放課後、いつもの空き教室に行くと、あさみと、たかしまでが来ていた。
「あ、あの、ごめんな?俺、勘違いしていたみたいで。まさか喧嘩だったなんて。」
「たかしくん、分かってくれたの!さっちん、また仲良くしてよお。」
あさみは、今にも泣きそうな顔で、さつきを見ていた。
「それに、まさか…。紺野が俺のこと、そういう風に見ていてくれたなんて知らなくて。ごめん。傷つけたよな。俺、無神経だから。」
「ごめんね、さっちん。私たち、付き合うことにしたの。」
「なあ、それでも俺らと仲良くしてくれないか?って言ったら、わがままだよな。」
「さっちん、あのね。私、たかしくんが好きだけど、さっちんのこともすごーく好きなの。だから、さっちんがいないと寂しいの。
わがまま言っているのは分かってる。でも、さっちんのことも諦められないの。ね、だめ?」
あさみが、うるうるの瞳でさつきを見つめる。
さつきは、はあ、とため息を1つついた。
「いいわよ。どうせ、何言ってもまとわりついてくるんでしょ?」
「やったあ!ありがとうさっちん!」
あさみは、さつきに抱き着いた。
「はいはい。」
少し笑いながら、さつきは、あさみの背中をぽんぽんと叩いた。
ああ、またか。結局こうなるんだよなあ。と、自己嫌悪にかられながら。
「ね、一緒に帰ろう?さっちん。」
「うーん、ごめんね?私、委員会の仕事残っているから、もう少し残るよ。」
「なら、待っているよ!」
「ばか、せっかく彼氏いるんだから、水入らずで帰りなよ。」
「うええええ。」
「ほら、帰った帰った。」
さつきは、あさみとたかしを何とか帰して、教室に戻った。
委員会の仕事、というのは嘘だ。
どうしても、今はあの2人と帰りたくなかった。
「はあ、もう嫌。」
「それは、あの2人が?それとも自分が?」
えっと声を上げ、横を見ると、廊下の窓から、男子が1人顔を覗かせていた。
「え、誰?」
「さて、誰でしょう??」
「知らないわよ…。」
「まあ、適当に覚えてよ。」
「通りすがりの変な人。」
「ひっどいなあ。どのへんが変な人?」
「全部。」
「ええー。まあ、いいや。またね。」
そう言うと、彼はどこかへ行ってしまった。
「本当に、変な人。」