楽器ほど難しいもんはない
軽音楽部に入るつもりだったのだが、受付に遅れてしまっていた。急いで、校庭の隅のパラソルの下にやってくると、意地悪な顔をした先輩が一人座っていた。
「遅いよ。もうだいぶメンバーも決まってる」
「もうダメですか」
「いやまだ大丈夫だ。名前は」
ぼくが名乗ると、その先輩はリストにぼくの名前を書いていく。その表が既に、バンドのリストになっていて、楽器の種類も決められていく。ぼくの名前は、新規のバンドのところに書き込まれて、覗き込むと、パートのところには「Dr」と書かれていて、つまりはドラムなのだった。本当は、ギターヴォーカルをやりたかったのだけれど、ドラムも前世で少しやったことがあったので、それでもいいかなと思ったが、決め方が気になった。
「何もできなさそうな奴は、ドラムスにするんだよ」
メジャーリーグで人種的少数派が、キャッチャーをやらされるのと同じ理屈だろうか。
「楽器ほど難しいもんはない。それに比べて、教師や作家は楽だ。だれでもできる」
ということで、ぼくは大学を卒業して、教師になっていた。
白いテーブルが並んだ、真新しい教室の一番後ろの席に、ノートとファイルを持って座ってたら、同僚の二人の若い教師がやてきて、「ここ、これから授業?」と訊いた。
「違いますよ」
「授業準備をしたいんだけど」
「ぼくもです」と、テキストをちらっと持ち上げてみせる。
ふと後ろを振り返ると、廊下のテーブルの上に、ペットボトルや、ノンアルコールビールの缶が置かれていた。ぼくはそれを片付けようと、立ち上がった。ぱっとボトルに少しだけ残っていた液体は、すべて空き缶に入れたら、空き缶二本だけなにか入っている状態になった。空になったペットボトルは、窓際に並べた。空き缶の中身をどこに捨てようかと思って、ちょうど隙間のある壁際があったので、そこから捨てたら、染み込まなかった。古い教室のドアを開いて、床を見ていたら、流れてくるようだったが、ぎりぎり大丈夫のようだった。
夜に怪奇な事件が起こったらしく、料理旅館の客はすべて出立した。合宿していたバンドのメンバーたちも、楽器を持って立ち去った。ぼくがカウンタで待っていると、奥から亭主がやってきて、「○○さんたちに、五千六百円だとご連絡ください」と託ける。
そこへ、作家の大先生が入ってくるが、それもぼくである。
「あ、先生が立て替えていただけるので」
「左用」
それをきいて、その○○さんになったぼくは、ポケットから財布を取り出して、五千六百円を数える。指がもつれる。ぼくはいったい誰だろう。楽器もひかず、大先生にも教師にもなれず、ただなけなしの金で放浪している。




