ライオン
わたしは路地に横たわっている。片側は非常に古い木造の家屋が並んでいて、黒く塗られた板塀が見える。敷かれた、これもやはり黒い色が剥げたような板の下には、排水のための小さな川が流れているのかもしれない。反対側はやや新しい一戸建てが並んでいて、ちょっとした庭などもあるが、芝生は斑になっていたりして、あまり人の手が感じられない。
わたしが横たわっているのは、その間のアスファルトで舗装された、幅二メートルほどの道だった。車は通れないような気がする。わたしはなんでそんなところにいたのかよく覚えていない。毛布にくるまれて眠っていたはずなのだが、目が覚めて、その毛布を足元に蹴ってしまっていることに気がついていた。わたしがそれを引っ張りあげようとしたところ、前方に猫のような動物が見えた。そいつは、数メートル先の路地の入口あたりに寝そべっていた。それが、わたしの動きを認めると、おもむろに起き上がって、すっと走り始めたのだ。私に戯れつこうというのだった。わたしは咄嗟に毛布をかぶろうとした。
それはライオンだったから。まだ子どもの、雌雄もわからないようなライオンだったけれど、すでに体躯は数メートルあった。ライオンはわたしの手に持つ毛布に噛み付いた。毛布の中には私の指先もあった。もうすこしで噛みちぎられるところのような気がした。わたしは、その子をなだめて起き上がり、路地の出口に向かって歩いていった。そこのところで、脚立の上に、作業着を着た中年女性がいて、壁にペンキを塗っているのだった。彼女が、ライオンの飼い主だった。
「あらあら」と、笑っていた。
「笑い事じゃないよ。もうすこしで指をもがれるところだった」
わたしが階段を上がって、事務所に入っていくと、電話がかかってきていた。遠い地方に住む、小学生の母親からだった。
「こんどそちらに、戻ることにしたので、通いたい」ということだった。
わたしは階下にある別の事務所に行って、担当者と話をした。そこの支局が彼らの引越し先にあったので、そこに通っていたのだが、これからは移籍するのでその手続きだった。破れたチラシのような用紙に、記入する欄があって、そこに住所氏名などを書いていった。そのなかに、移籍理由を書く欄もあってそこに「引越し」と書いた。それを見た担当者は、少し驚いたように「引越しするんですか」と言った。それから、「文具券貼りますか。貼るともらえますよ」と説明した。
私は、はさみとのりで、それを所定の場所に貼り付けた。
二階に戻ると、カラオケパーティをやっていた。私も何曲かいれて、歌った。しばらくたってから、自分が歌いすぎていないかどうか心配になってきた。それに、一体何人でやっているのだろうと思いながらトイレに立って戻ってくると、ドアが閉められていた。ドアの向こうでもこちらでも同じようにカラオケは歌えた。手前の奥の方で、アルバイトらしいエプロン姿の若者が、グラスなどを洗っていた。
私はドアを開けて奥の部屋を覗いてみた。奥にソファセットがあって、そこで三人の仲間たちが飲み食いしていた。やはりエプロン姿の少女がやってきて「なんにいたしましょうか」と、聞いてくれた。そういえば喉が渇いていた。
「えっと、ウィスキー、水割りで」
「水割りですね」
「あ、そうそう、さっきの伝言見てくれた?」と、仲間の一人がわたしに聞いた。
「いや、まだ」
カウンタのところに行くと、伝言メモがあった。内装工事の業者からで、日時を打ち合わせたいということだった。私は、飲み物が来るのを待ちながら、電話するのはあしたでもいいかなと考えていた。