芽吹と春夏秋冬*ただいま*
庭先や道端の草場の陰からコオロギや鈴虫の鳴き声が聞こえ始める8月の末。
深夜。
夏の暑苦しさが一時なりを潜め、時折吹く風は秋の空気を空と街に流し込んでゆく。
季節の変わり目。それはなにも自然界だけに限った変化ではない。
季節の変わり目。それは風と雨と共にゆっくりと近付いてくるもの。
気が付くと僕はそこに立っていた。何もない。暗い……いや、黒い、部屋?
真っ暗闇というのとはちょっと違う。自分の姿は普通にしっかり見えてるし、手探りしないと周りに何があるか解らないという感じでもない。そこそこ広い部屋の四方八方隅々までが真っ黒な壁。そんな感じ?
周りには何もないとはっきりと分かる黒い空間。芽吹はそんな空間の中にポツリと立っていた。
「夢?」
「そう。君は今夢の中にいる」
突然後ろから声が聞こえて来た。それに対して芽吹は表情を僅かに変えただけで、飛び上がるようなことはなかった。ゆっくりと振り返って声の主に目を向けると、
「あの時の……白い猫」
その瞬間僕は自分の言葉の意味に疑問を感じた。
゛あの時の ゛って何だ……?
僕はどこか遠い意識の片隅で首を傾げた。けど、表面の今の僕は違っていた。
「久し振りだね。助かったんだね。間に合って良かったよ。怪我とかしなかった?」
ただ立って白い猫にそう話し掛ける僕。でも目の前の白い猫はただ真っ直ぐに見詰めてくるだけ。
長いのか短いのかあやふやな時間が経過して、ようやく白い猫が口を開いた。
「すまない」
唐突に謝られた。
僕はまた首を傾げた。
「これから少々厄介なことになるやもしれぬ。だがワシはいつも君のそばにいよう。……大丈夫」
優しく諭すように言葉を並べる白い猫。
「いったい何のこと?」
「これから君は……」
と、そこまで聞こえた瞬間、
スダァァァンッ!
突然目の前に稲妻が刺さるよう落ちてきた。驚きに目を伏せる間もなく、稲妻の光と共に一瞬で白い猫は消えていた。
なんとなく周りを見て白い猫の姿を探した。そこで僕はふとある違和感に気付いた。視界の下の方。今まで控えめに見えていた二つの膨らみが無い。いつの間にか男の子の胸に鳴っていた。そこで自然ともう一つの違和感に辿り着く。
お……お……お、お股に、重みが……!?元に……戻ってる?男の子に……っ。
「ハッ……!?」
気が付くと目が覚めていた。目覚める瞬間急激に息を吸い込んだからか、咳き込んでしまった。そして、
しまった……!
と、後悔する。芽吹は視界の端で部屋のドアの向こうの気配に意識を集中させる。
"ヤツ"が来る……。
「どーしたマイシスタァァァ!」
やっぱり来た……。兄ちゃんのこの習性、というかアンテナ?なんとかなんないかなぁ。
相変わらずな兄筑紫の狂乱的妹ラブな言動に内心頭を抱える芽吹今日この頃だった。
「激しく咳き込んでどうした!?生理か?生理の血が布団に着いちゃったとかか!?」
「…………」
デリカシーもへったくれも無いよこの人。いい加減怒ってもいいかな。
兄をポカポカと殴りながら部屋から追い出し、階段から蹴り落として落ち着いた芽吹は、窓の外を見て動きが止まった。
「ああ、今日は朝から雨か。」
「今朝は朝早くから凄い雷だったわよ」
朝食の席で母さんが今朝からの嵐にクレームを出していた。
雷……。そういえばなんか夢の中でも雷見たような?
芽吹は夢の記憶を思い出しかけたがそれも一瞬だけだった。
夏休みもあっという間に終わり、今日から二学期。しかしその初日は残念ながら台風のような大荒れな天気から始まることとなった。
新学期初日から強い雨と時折鳴り響く雷。これだけの悪天候だと、徒歩傘で登校してくる生徒は流石に少ない。家の車で送られて来る人や、電車通学の人は駅からバスで来る人の方が多かった。
そんな中でも芽吹と秋人はいつも通り二人仲良く徒歩でのんびり登校だ。流石に相合い傘はしていないようだが。
いつも通りと言えばこの人達も……。
「オラァ、そこぉ!傘から水が垂れてるだろーが!外でしっかり水を切れ!」
「床濡れてるからみんな足下気をつけてねぇ!」
「男子はちゃんとネクタイ締めろぉ!Yシャツもしっかりインだ!休み明けで寝ぼけてんじゃねぇぞ!」
「やだねぇ~。雨だと朝せっかく綺麗にセットした髪が乱れて」
風紀委員会の朝の服装チェックだ。
身長の事を言われるとブチ切れるが、それ以外でも常に怒っている鬼の風紀委員長、堀川真純。
「愛称はじゅんちゃん」
「てめぇコラ真琴、その呼び方はやめろっつったろーがぁ!」
「わぁ~、今朝からの雷はじゅんちゃんのせいかなぁ?」
ツンツンバリバリの堀川真純とは逆に、長身、サラフワ、爽やかイケメン風美少女。風紀委員、仏の須藤真琴。二人合わせて通称ポリス。
「堀川先輩、須藤先輩。おはようございます!朝からご苦労様です!」
目の前でぺこりと挨拶をする芽吹。
「やぁ。お久し振り芽吹ちゃん」
「春風芽吹と柊秋人!お前ら二人は朝から仲良くベタベタと鬱陶しいな!」
「えっ!?あぅ……すいません……」
「んなっ!本気で凹むな!じょ、冗談だろーが!」
「じゅんちゃん……」
須藤真琴にジト目で睨まれる堀川真純。
「芽吹ちゃんの風紀を乱した」
「っっ……!?す、すまん」
階段を上がって二階の二年生の廊下へ。E組の教室の前に差し掛かる直前、
「この気配は芽吹ちゃんの匂い!芽吹ちゃんオッハヨーー!」
「ぅにょあっ!?ちょっ、ちょっと夕夏危ないから!」
「すぅはぁ。美少女芽吹ちゃんスメルぅ~」
芽吹に抱きつきハグハグもにゅもにゅ、すーはーすーはーする夕夏。
「女子からの熱烈な愛をもらえて良かったなハル」
生暖かい微笑みを向けてくる秋人に、
「夕夏苦しいから、ってかちょっと、どこ揉んでんのさ!?秋人"見ないで"助けて!」
「出島なら喜ぶ光景だろうなぁ」
「春風さんおはよう……と言いたいところだが、夕夏キサマいい加減にしろ!」
八乙女さんが僕から夕夏を剥がしてくれたおかげで助かった。秋人の前で恥ずかしいところを触られたけど……。
午前中。今朝のような激しい雷はどうやら治まったようだが、雨の勢いはあまり変わらず本降りの状態が続いていた。
二学期初日の授業はどの教科も大体おさらいのような内容。だからだろうか、教師も生徒もどことなくやる気が無く、時折外の雨に憂鬱そうな視線を向けたりしていた。
次の日も雨。季節の変わり目には雨が降る。夏の終わりの長い雨。梅雨入りの時のジメジメとした感じとは違うが、人の気持ちを沈めがちにするのはあまり変わらない。
それは四時間目の授業に入って少し経ってからのことだった。
最初はたまに起きる小さな耳鳴りだったからあまり気にしてなかったんだけど、次第に頻度と激しさが増して来て、それと同時に頭痛も徐々に強く感じるようになって来ていた。我慢しようと思えば出来る程度だったし、あともう少しすればお昼休みに入るからと、その時の僕は軽く考えて時間まで我慢することにしてしまった。
この時の芽吹の異変に気付き、またその理由と、これから起きる更なる異変を知っている者が一人。海月冬耶である。彼女は芽吹本人にも誰にも決して言えない事情と罪悪感を抱えていた。切なさに制服の胸元をギュッと握る海月冬耶だった。
まさかこんな事が起きるなんて……!今更、何で今なの!?
続く…




