voise 勘違い
「ちょっと!何でこんなになるまでほっといたの!?」
彼女のエンジンと似たような金切り声が聞こえる。
その声を聞き流しながら、オレは未練がましくスターターボタンを今一度押してみる。
セルモーターは回らない。完全にバッテリーアップだ。
オレは今一歩下がって彼女の様子を伺う。
CBR600F
彼女の外見からは何か他の原因があるようには思えなかった。
「だーかーらー、乗らないとこーなるの」
半ば諦めた感じで彼女はバッテリーの放電した理由を言ってくる。
「んな事言ってもこっちにも色々あんの」
「色々って?」
カウルとタンクから艶っぽい光沢を放ちながら彼女は小悪魔のような意地悪い笑顔を浮かべる。
「ったく。折角バイクに乗れると思ったらこれだもんな」
「諦めるの?」
小悪魔な笑顔のまま彼女は俺に問いかける。
「まさか!」
俺はライティングジャケットをぬいだ。
そしてハンドルに手をかけてメインスイッチをオンにした。
「お。その気になった」
彼女は俺の仕草から何かを察したようだ。とりあえず深呼吸をする。
今日の天気は晴れだ。気温も調度いい。
こんなツーリング日和にバイクに乗らないなんてオレは考えられない。
出かける前に思い描いたツーリングプランが頭の中でフラッシュバックしてくる。
色んな事が一緒くたになって俺の足に力が入る。
俺はクラッチを握りギアをニュートラルから二速に掻き上げた。
「さぁ、どうなるかしらね」
彼女は挑発するように俺に言い放つ。
それを無視して、俺はクラッチを握ったままドタドタとした足音と共にバイクを走って押す。
ある程度車速がのった所でクラッチをリリースする。
「ガチン!」と言う音と共にリアタイアが周りエンジンをクランキングする。一瞬「ボボッ」っという排気音は聞こえるがエンジンに火は入らない。
押しがけによる始動は失敗した。
「残念~!」
彼女はケラケラと笑いながらこっちを見ている。
「ふん。まだまだ」
俺は荒れた息を整えながらバイクを先程の位置まで押して戻す。
さっきと同じ事をする。
しかしエンジンはかからない。
これを何回かした。
しかしエンジンは最後まで起動しなかった。
疲労とバイクに乗れない脱力感からか俺は地面にへたりこんだ。
ゼィゼィとアゴを上げて息を切らす。
恨めしい位に晴れ渡った空が目の前に広がる。
バイクに跨り颯爽と走り抜ける自分の姿を思い浮かべる。
やり切れない思いが胸の辺りにジワジワとくる。
しかし彼女は笑みを浮かべたままだ。
何か知ってる様子だがオレは対して気にはしなかった。
疲労で気だるくなった身体にムチを打ち立ち上がる。
再度押しがけを試してみてダメなら押してガソリンスタンドまで行こう。
俺はそうハラを括るともう一度ハンドルを握った。
その時にアクセルグリップの辺りに少し違和感を感じた。
その違和感の元が知りたくて必死に探った。
「あ!」
思わず俺は声をあげる。
「バレたか!」
彼女は笑い声と共に言葉を吐き出す。
「なんだよ~。キルスイッチがオフになってるじゃんよ~」
俺は思わず叫んだ。これじぁエンジンがかからないのも当然だ。
「アッハッハッ!あるある!」
彼女は悪戯っぽい笑顔でケラケラと笑いながらそういった。
キルスイッチをオンの位置に戻してから再度セルモーターによるエンジン始動を試みる。
「キュルル、ドゥン!!」
彼女のエンジンが勢いよく掛かった。
「一発ゥ!!」
嬉しそうな彼女の声が聞こえる。
俺は慌てライジャケを羽織りヘルメットを被る。
そしてバイクに跨るとアクセルを一発煽った。
カムギアの高周波と吸気音が混ざり合った独特のエキゾーストが辺りの空気を引き裂く。
吹け上がりは上々だ。
「いい感じ~」
彼女のご機嫌な声も聞こえる。
俺はギアをニュートラルから一速に入れると「行くぞ!」と思わず叫んでしまった。
それに答えるかの様に彼女は疾風の様に走り出す。
車速がドンドン上がって行く。パイロンをパスするかの様に乗用車の間を縫って走る。
「いいぞー!イケイケー!」
彼女の声が聞こえてくる。俺はなすがままバイクを走らせる。
押しがけの苦労は何処かに忘れて来たらしい。