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Golden Rain 半神

妊娠ネタ・下ネタ注意

 芸術鑑賞は私たちに課された義務の一つだ。

 特定の周波の音楽や朗読が私たちの仕事に良い影響を与えることは有名だが、ここでは絵画を眺めることも推奨されている。


 子供の落書きにしか見えないキュビズム。作者は視力回復処置を必要としていたに違いないと思わせる印象派。優美な曲線で草花や女性の巻き毛を描くアール・ヌーボー。

 理解できるものもできないものも含めて、ここでは様々な時代、様々な場所の芸術に触れることができる。

 中でもやはり神話や宗教を題材にしたものが多い。そうした物語を朗読する際に視覚的なイメージを持っていることが重要だと、雇用主は信じているらしい。科学的な根拠はともかく、心情としては分かるような気がする。


 私たちの中に美しいもの信じるべきものに囲まれて育った者は少ない。どうせなら説得力のある朗読を聞かせてあげたい。

 以前ルームメイトにそんなことを言うと、真面目だと笑われた。彼女にとっては音楽も絵画も朗読もノルマに過ぎないのだそうだ。規定の時間を規定通りに過ごせば文句は言われない、と。


 そんな彼女は、絵画の中でも性的な場面を扱ったものを検索するのに熱中している。肌色の面積の多い画像が周囲に閃いてはまた次の作品に取って代わるのは正直イラっとする。


「うわー、デブばっか。やっぱ美意識違うとあんまエロくないね……ってこいつ変態じゃん!」


 そうして壁いっぱいに映し出されたのは股間に手をやる画家の自画像。……さすがにそろそろ限界だ。


「ちょっと……」

「見て見て、これちょっとヤバい」


 抗議の声を遮って、また新しい作品が表示される。


挿絵(By みてみん)


 身体を丸めてまどろむ全裸の女の絵。尻から太腿にかけての部位が吊るされた豚の腿肉みたいに大きく強調されている。画面左上に、彼女の脚のあいだを撫でるように、あるいは降り注ぐように大小の丸と線が金色で描かれている。

 いかんせん写実的ではない画風だ。想像力を目一杯働かせれば艶かしい姿態なのかもしれないけど、ルームメイトが求めているような解りやすいエロではないと思う。


「……この絵がどうしたっていうのよ」

「絵だけじゃなくてさ、解説見てよ」


 にやにや笑いに促されて、解説も表示させる。


 二十世紀初頭、オーストリアの画家クリムトによる「ダナエ」。

 ダナエはギリシャ神話に登場するアルゴスの王女。父親により青銅の地下室に閉じ込められるが、彼女を見初めたゼウスは黄金の雨に姿を変えて忍び込み、愛を交わす。


 なるほど、金色の何かは雨の表現だった訳だ。雨というか土砂降りって規模だけどね。


「だから何?」


 だからさ、とルームメイトはいやらしい笑みを深めて囁いた。


「お姫様が、夜這いされてヤられちゃったってことでしょ? で、ぶっかけられちゃったんでしょ? 白だと生々しいから黄金って言ってるけど、要はアレのことだよね?」


 やだーもー、と言ってけらけらと笑う彼女に、さっき言えなかった苦情を今度こそぶつける。


「そういうの、教育に良くない。思うのはしょうがないけど口には出さないでよ」

「はいはい、真面目なんだから。お子様には意味なんて分からないって」


 彼女は笑いながら大きく膨らんだお腹を撫でた。

下世話な言動にも関わらず母性というか優しさに満ちた眼差しなのは何か不思議な気がする。私たちは皆、肉体だけでなく思想や精神面の健全さも厳しくテストされてるから当然といえば当然なんだけど。


 そう、この子もテストをクリアしてる。

 それなら、彼女の言動も許容範囲ということなのかもしれない。でもやっぱり私には受け入れ難い。なので、別の方向からアプローチしてみる。


「私は真面目そうなのが良いって言われて採用されたの。なあなあにして評価を下げたくない」


 それでもルームメイトには通じないらしい。考えすぎだ、とでも言うように私の二の腕をぽんぽんと軽く叩いてくる。


「そんなに心配することないよ。一度始めたらやめさせられるなんて聞いたことないし。そんなことできないし。あたしは三回目だけどいつもこんな感じで何も言われてないよ?」

「私は一回目だからきっちりやりたいの」

「あっそう」


 処置なしと知ったのだろう。ルームメイトは肩をすくめると私に背を向けて会話を打ち切った。ただ、また小言を言われるのは面倒だとは思っているらしく、おとなしく風景画を中心に探し始めたようだった。

 私もお腹をかばいながら芸術鑑賞の続きをすることにする。


 あ、今動いた。


 お腹の内側を軽く蹴られる感触に微笑む。苦しい感じはしない。筋を通した私を、胎児が褒めてくれたのだと感じた。


 この施設にいるのは、スタッフを除けば皆妊婦だ。といってもお腹にいるのは私たち自身の子じゃない。市民IDがAから始まる、いわゆる一級市民の夫婦の受精卵を、私たち三級市民の子宮で育てるのだ。

 遺伝子改良により優れた能力を持った一級市民の女性が悪阻や浮腫や腰痛に悩むのは社会に対する損失だ。一方で、教育を受けていないとは言え心身共に健康な私たちのような女にも何か将来への希望が必要だと考えられたらしい。


 この仕事で得られるのは、産前産後の処置を含めて一年ちょっとの衣食住の保障。その間に勉強や資格取得もできるという可能性。犯罪歴もなく社会に貢献する意志に溢れた良き市民であることの証明。上級市民からのちょっとした好意。

 ……特別に態度良く勤め上げたら、家政婦やベビーシッターとして雇ってもらえることもあるという噂は本当なのかな。

 それに、報酬も中々のもの。上限の三回までやったら、私の子供にも遺伝子改良処置を施すことができるかもしれない。一級市民にとって遺伝子改良処置は義務だけど、それ以下の階級にとっては莫大な費用が必要なのだ。


 今お腹に預かってるような、見た目良く、肉体も知能も優れた子供。性格までは分からないけど、それだけ資質の良い子なら絶対可愛がれるし不自由させたりしない。

 私を捨てた親とは違う。生まれる前も後も、子供には私にできる全てを与えてあげたい。

 だから、私はこのチャンスを最大限に活かさなくてはならない。私たちを、身体を売っていると蔑む人もいるけど。偉い人の中には女性の尊厳がどうのとうるさいのもいるけど。


 せっかくだから、と「ダナエ」に焦点を当てて検索してみると、割と人気のモチーフのようで、クリムトの作品よりも保守的で、より過激でない作品も幾つか見つかった。そして、それらの作品の解説から、私はより詳細な物語を――彼女とゼウスの息子は怪物退治で有名なあの英雄だと知る。


 普通のセックスに寄らず優れた子を産むダナエは、不思議と私の境遇と似ていると思う。黄金の雨を精液に喩えたルームメイトもあながち間違いじゃない。今子宮に預かっている子も、将来私が産む子も、完璧に調整された受精卵の状態で受け入れるのだから。神の血を引く英雄のように。


 黄金の雨を浴びる時、ダナエは恐れたかな? きっと勇気を出して受け入れたんじゃないだろうか。神と人との間に産まれた子は英雄になると決まってる。大業為す子の母になれるなら他人に何を言われようと構うものか。


 そしてふと目に飛び込んだ記述に私の手と息が止まる。


 ダナエが閉じ込められていたのは、父王がある予言を恐れたから。即ち、孫に殺されるという予言を。娘を閉じ込めることでその未来を回避しようとしたものの、結局彼は孫にあたる英雄によって死をもたらされることになる。


 ……別に嫌な気分になったりしない。


 予言を回避しようと人間が足掻くのは神話によくあるパターン。神々――特にゼウス(エロ親爺)――の気まぐれによってその努力が無にされるのも。


  ただ、なぜか私自身の雇用主や、たまに見かける他の子たちの雇用主のことを思い出した。

 同じ人間とは思えないほど綺麗で、頭が良くて。話しているといつも子供扱いされるような気がする。これじゃ分からなかったかしら? この言い方なら大丈夫? そうよ、偉いわ。


 まるで神々と人間の関係みたい。

 いや、それは違う。神々は人間を導き守るという点で上の階級の人たちと一緒だけど、気まぐれに破滅の道も辿らせる。楽しみのために戦争さえ起こすじゃないか。

 人類が一丸となって進歩していくのが今の社会の目標で理想。能力の差はあっても、人類の一員として、自分の役割を果たせば良い。


 そこまで考えて、すっと血の気が下がるのを感じた。室温は常に適温に設定されてるはずなのに、妙に寒い。


 同じ人間とは思えないって思ったばかりじゃないか。あの人たちにとって、人間の範疇って何なんだ? あの人たちよりはるかに劣った私たちは、神々から見た人間のように取るに足りない存在ってことはない?


 それならどうして私たちも理想の未来に連れて行ってもらえるなんて期待できる?


 胎動を再び感じたけど、さっきのように微笑むことはできなかった。

 私のお腹の中で、何か恐ろしいものが蠢いているようで――。

クリムトの「ダナエ」はパブリックドメインです。

作中のもう一つの絵画はシーレの「自慰をする自画像」です。

胎教に向かない作品はフィルタリングしておけば良いのに。

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