WASP 穴を穿つ
面白いものを見せてやろう、と男は言った。
得意げな顔に反発を覚えないでもなかったが、私も砂埃と直射日光を浴びながら待機するのに疲れと飽きを感じ始めたところだったので、言うに任せてみることにした。
「雀蜂だ」
男はそう言うと立体映像を起動させた。
その昆虫は、半透明の映像であっても非常に硬そうに見えた。私だって、王者と呼ばれる甲虫の類とは異なる種だとは知っている。
けれど、逞しく鋭い顎といい、力強い六本の脚といい、それはそこらの羽虫とはまったく異なる雰囲気をまとっていた。感情の見えない複眼とあいまって、精密な機械を思わせる威容だと感じる。甲虫を鈍重な戦車としたら、こちらは自在に空を翔ける戦闘機といったところだ。
「さすが、強そう」
「そうだな」
私の端的な感想に男は頷いた。
「昆虫はおろか鳥や動物にも襲いかかる好戦性。針の毒性は人間を死に至らしめることもあるほど。しかも蜜蜂なんかと違って何度でも刺せる。戦うために生まれてきた存在と言っても過言ではないだろう」
この男が失われた生物に造詣が深いとは知らなかった。私は解説を聞きながらなおも雀蜂の映像を眺める。彼らが空を飛び獲物を狩ることはもうない。他の多くの種族と同じく、彼らも遠い過去の存在だ。
にもかかわらずさすが、と思うのは、現代では雀蜂は支配者層を指す単語だからだ。
「雀蜂にちなんでヤツらはWASPを名乗ってるの?」
「違う」
男はゆるゆると首を振った。
「もとはアメリカ合衆国の一階級のことだった。白人で、アングロ・サクソン系のプロテスタント。その略だ。一種の言葉遊びに過ぎない。
ある時期には蔑称ですらあったかも。害虫だとか、羽音がうるさいだとか。
それを流用したのは――ヤツらもWASPの系譜にいるからだろうな。保守的、排他的なエリート階層ってやつだ」
人種の区別もまた意味がなくなって久しいという。遺伝的なルーツを解き明かそうだなんてもつれた糸玉をほぐそうとするようなもの。白い肌と呼べる人間だってもういない。宗教もとうに人間の拠り所ではなくなった。
「蟻は言葉通りなのにね」
圧倒的多数の労働階級に与えられた名称も昆虫に由来している。蟻。昼夜を問わず働く、文句を言わず忍耐強い――奴隷。
言葉に合わない者はなぜかいない。いなくなる。踏みにじられて搾取されるだけの哀れでちっぽけな存在の群れ。
「だが蟻だって捨てたもんじゃないぞ」
男が私の方を向いて破顔した。埃にまみれて日に焼けて顔の中、歯だけが妙に白い。
「確かに働き蟻のイメージは良くはないが。黙々と地面を這いずって巣に尽くす姿はまさに俺たちと同じだな。圧倒的多数の奴隷階級が支えるという構造も。
だが、盲目的な行進は時に大型動物さえ食い尽くす。体格の割に力は強いし、蜂に負けない顎や毒針を持つ種もある。最強の昆虫は蟻だという説さえある」
「詳しいんだね」
他にどうコメントのしようがあるというのか。蜂も蟻も見たことなんてないだろうに、見てきたように語るものだ。時間潰しのつもりなのか、知識をひけらかしたいだけなのか。目いっぱい好意的にみれば、私の緊張をほぐしたいのかもしれないけど。
「それに、蟻の一穴という言葉がある」
「何?」
また訳の分からないことを言い出した。今度こそあからさまに顔をしかめてみせる。
「東洋の古い慣用句だ。堅固に築いた堤防も、蟻があけた穴が原因で崩れることもある。小さなきっかけが重大な結果を起こすこともあり得るという喩えだ」
私は何となく男が言いたいことを察した。私たちは小さな蟻に過ぎない。けれど、分不相応かもしれないけど、大きなことをやろうとしている。
下層階級に甘んじる仲間を解放し、ヤツらの支配を覆す――世界を変える、という。
「私たちは蟻だけど、穴をあける蟻だってこと?」
「別に俺たちでなくても良い。ヤツらの支配が絶対に見えたとしても、それを嫌う者は必ず現れるはずだ。働き蟻にだって反抗する権利と方法があるってことを、後の連中に知らせてやりたい。俺はそう考えている」
私は小さく笑うと銃を抱え直した。
「私はお手本で終わりたくない。世界が変わるところをこの目で見たい」
「俺だってそうだ。できるならな」
男は再び歯を見せて笑うと、腕時計にちらりと目をやった。
「作戦の時間だ。行こう」
男の話に付き合っているうちにいつの間にか時間が過ぎていたらしい。私は無言で頷くと立ち上がった。
一歩を踏み出す。ほんの小さな一歩。それが繋がった先に、夢見た世界があると信じて。