Three Laws 孤独な王
Three Laws (of Robotics)=(ロボット)三原則
俺の寝覚めが悪いのはいつものことだが、今朝はとりわけ最悪だった。
普段よりほんの少し長く惰眠を貪っただけだというのに、メイド型ロボットが叩き起こしに来やがったのだ。俺には寝坊も許されないのか。
「目障りだ。死ね」
「申し訳ございません。かしこまりました」
自然だが所詮作り物の笑顔に向かって吐き捨てる。
にこやかな表情もそのままに、そいつは瞬時に――文字通り――瓦解した。俺が機嫌の良いことは滅多にないから、気晴らしで死ねだの消えろだの言うのはいつものことだから。こいつらは実にスマートに自壊するカラクリを考え出した。
床に散らばった種々様々なコードや部品を前に、後悔がちくりと胸を刺す。
命じたことの結果に対してではない。死ね、などと生きているモノに対して言うことだった。こいつらに対しては壊れろの一言で十分だった。人工皮膚の裏側の、くすんだオレンジ色とざらりとした質感が気色悪い。
新たに何体かのロボットが入室してきた。どいつもこいつも見た目は整っていて、それでいて一体一体造作が違っていて反吐がでる。一皮剥けば同じ機械のくせに個性を気取ってやがる。
一体が壊れたロボットの破片を手際よく片付けていくが、金属とオイルの臭いはすでに部屋に充満している。おかげで眠気は取れてしまった。何て悪趣味な目ざましだ。
「申し訳ございませんでした。メイドの添い寝をお好みの方もいらっしゃったので、区別のつかない機体が失礼をいたしました。
朝食には何を召し上がりますか?」
「知るか。俺を気分良く過ごさせるのがお前らの役目だろうが。手を抜こうとするんじゃねえ」
やはりにこやかな表情で問いかけてくるロボットがまた苛立たしい。仲間の死体、いや残骸を見て怯える顔でも見せればまだ可愛げがあるのに。
決して口に出したりはしないが。それを要望だと捉えようものなら、こいつらはそれは凝った哀願の表情や口上を研究するに決まっている。古い映画やドラマの切り貼り、それも人形どもによる再演を見せられても溜飲が下がることなどないだろう。真に迫った猿芝居にうんざりするだけに決まってる。
結局、朝食はパンと炒り卵とベーコンにオレンジジュースが添えられていた。過去の俺の好みを分析した結果に違いない。いかに美味でも栄養に不足がなくても、愛や気遣いを感じられない以上は保存食と何ら変わりない味気なさだった。
「今日は何をなさいますか?」
爽やかで実のない笑顔が癇に障って、さっきと同じ命令を発しそうになるのを我慢する。何体壊そうとこいつらのストックが尽きることはない。工場では常に後釜が生産されていて、俺の逆鱗を記録された新バージョンが続々とやってくるのだ。なにが気に食わないと言って、機械どもの勤勉なことだ。その実人の心の機微をインストールすることは決してできないから笑わせられる。
「散歩に行くぞ」
別に何が見たいわけでも運動したいわけでもない。ただ、放射性物質やらその他の毒素が渦巻く外の世界に出れば、寿命を少しでも縮めることができるかもしれないと期待しているだけだ。
「外は危険です。屋内での娯楽はいかがでしょうか?
過去の名画を最新技術で撮り直したものは大変好評でした。他にもダーツやビリヤードも人気で――」
「黙れ。ここにいると息がつまる。俺は外に出たいんだ。」
数秒の沈黙は機械の回路が種々の計算に要した時間に違いない。俺を宥められる見込み、外の危険度、やつらが提供する娯楽とやらに対する俺の反応。計算するまでもない。俺はやつらのいいなりになる気はさらさらないのだ。
「……かしこまりました。どうしてもと仰るなら防護服を準備いたします」
「いらん。機械なんぞ信用できん。俺は外の空気が吸いたいんだ」
もちろん俺はロボットどもの技術が確かでやつらの忠告に従った方が――少なくとも物理的な意味においては――良いと知っている。しかしそんなことを認めるのは人間のプライドが許さない。たとえ知能や体力で劣っても、俺は、人間はやつらの創造主であるはずだ。
俺は生身で荒野に佇み、強烈な紫外線と肺を焼く有害物質を堪能した。ロボットどもは俺から煙草を禁じ、アルコールも至極健全な量に抑えさせている。精神を高揚させるような成分はなくても、身体に悪いことをしているという背徳感はこの上なく甘美だった。
たとえ目に涙がにじみ吐き気が催してきたとしても。たとえ目に映るものが果てのない砂漠で、どこかに俺以外の人間が生きているという夢を打ち砕いたとしても。
「そろそろお戻りを。これ以上は生命維持機能に損傷をもたらします」
監視役のロボットが訳知り顔で忠告してくる。俺と同じく薄着で、前時代なら執事とでも認識されるであろう服装をしている。生命を危機に晒している俺と違って、こいつらは地上のいかなる環境にも対応できるらしいが。
「望むところだ」
俺は血の混ざった唾を地に吐き捨てた。俺は生身の人間ではあるが、死を恐れないという一点においてはロボットどもと同じだ。むしろ待ち焦がれてさえいる。
「いけません」
荒野へ足を進めようとする俺の腕を、監視ロボットが掴んだ。振りほどこうにも力では敵わず、施設の方へ、屋内へと引きずられてしまう。機械の馬鹿力め。有毒の大気に息が上がって思うように抵抗できない。
「離せ――っ」
叫ぼうとして血にむせた。肺から喉へと血が逆流する。
声を張り上げるために大きく吸い込んだ空気。そこに含まれた毒素が、何かの閾値を超えたらしい。
鮮血がロボットの端正な顔を汚すのを小気味よく眺めながら、俺の意識は暗転した。
再び目覚めると、ベッドの上にいた。白い天井は、施設内のどの部屋でも同じもの。しかし消毒薬の匂いが俺の自室ではないと知らせてくる。
「申し訳ございませんでした」
先ほどの監視ロボットが深々と頭を下げるのを、俺は視界の端に捉えた。目線は天井に固定したままだ。人形に対して顔を向けてなどやるものか。どうせこいつらは気分を害したりしない。
「危険レベルを通常の呼吸・鼓動を元に算出しておりました。御主人様の興奮程度によって許容時間を調整するよう、プログラムをアップデートいたしました」
案の定淡々と告げてくるのを聞き流す。また遠回りな自殺方法が封じられた、と思いながら。
機械どもにとっての至上の使命は人間、すなわち俺の生命を維持すること。他の命令なら何でも聞くこいつらも、ただ一つ死なせてくれという願いだけは叶えてくれない。
「損傷の激しかった臓器の代替として私どもの部品を流用させていただきました。機能は生体のものと一切変わりなく、処置による日常生活および寿命への影響はございませんので――」
「何だと!?」
目を剥いて半身を起こすと、強烈なめまいと吐き気が襲った。全身の血がどろどろとしているようで気分が悪い。恐らく長い間寝込んでいたことの後遺症だ。起き上がった脳の位置に酸素が追いついていない。くそ、いったい何日間ロボットどもに身を委ねていたんだ?
「今なんと言った!?」
「日常生活および寿命への影響はございませんので――」
「違う、その前だ!」
まったく同じ口調で同じ言葉を繰り返すロボットを叩き壊したい衝動に駆られて、拳を握る。どうせ手を痛めるだけだ。
「損傷の激しかった臓器の代替として私どもの部品を流用させていただきました」
「くそが!!」
声を限りの絶叫は、悲鳴だった。肺の容量を――肺も作り物にされたのか? だから苦もなく大声を出せるのか? ――目いっぱい振り絞って、空気が震えるほどの音量。なのに目の前のヤツは表情一つ動かさない。さすがだ。機械には人間様の気持ちは分からない。
「何てことをしてくれた! 俺が貴様らを大嫌いだと知っているだろうが! なぜ機械を俺の中に入れ込んだ!?」
「御主人様の生命を守るためです」
「誰が頼んだ!? 貴様らの同類になるくらいなら死んだほうがマシだ!」
「それは」
変わらぬにこやかな笑顔に、途方もない無力感を感じる。そして悔やむ。意味のないことを言ったのを。機械相手に! だがそいつは慇懃に続ける。俺が聞きたくない言葉を。
「私どもには人間が必要なのです。お使えし、守る主が」
「くそが……」
ご先祖様たちは俺の知らない理由で殺しあった。俺以外の最後の一人まで。残されたのは荒廃した大地と無数のロボットたち。人間を守れとインプットされた人形たち。こいつらの存在意義を満足させるべく捕まった哀れな生贄が俺という訳だ。
機械どもの奉仕は管理されているようで、この境遇に感謝する気になれない。家族も友人もいないのに、延々と生かされる地獄のような日々。
「いや……」
思いついた。絶望に光明が差した。
「部品を使われたからには俺も貴様らの同類だな? それも無能な。もう守る必要はないだろう?」
細い糸のような希望に縋りつく。ロボット相手に懇願するような口調になってしまうとは。
「俺を見捨てろ。放っておいてくれ。穏やかに死なせてくれよ」
「それはできません」
「なぜ!?」
「あなた様は人間です。臓器の一部を置き換えたくらいでそれは変わらない。あなた様はまだ理不尽に怒り、嘆く。それこそ人間の証です」
機械のくせに人間を語るな、と。いつもの俺なら激昂していたことだろう。
しかし、機械を体内に入れられたショックと、それでもなお人間だと言われる絶望に、怒鳴る気力も萎える。
「俺が人間だと?」
代わりにこみ上げてきたのは乾いた笑いだった。釣られたように眼前のロボットも笑顔になる。馬鹿どもめ。表情に隠れた感情を察することもできないのか。
「俺が人間のはずがない。ある日突然この世に産まれて、気づいたらお前たちに囲まれていた。何の思い出もない、自分が何者だったかも思い出せない。それで人間と言えるのか!? 俺を作ったのはお前らだ。俺もロボットに過ぎないんだろうが!」
ロボットは仕える相手がいないという状況が耐え難いらしい。勝手に自分たちの王国を築いていれば良いものを、やっと見つけた主を手放すつもりはないらしい。
ろくに記憶がなくても、ロボットに劣る知能でも、嫌でも悟る。そこかしこに散らばる、俺以外の人間の影。しかし決して姿は見えない。
俺はクローンだ。不運にも生き残った最後の人間の。コピーを繰り返した人間の成れの果て。オリジナルは一体どんなヤツだった? 俺は何も覚えていない。機械によって生み出されるのが人間だなどと認められるか。
「俺の予備はどうなってる。見せてみろ」
「それは致しかねます。同じことを望んだ方がいらっしゃいましたが、精神に変調をきたしてしまわれました。以降、私どもはそれを人間に危害を及ぼす行為と認識しております」
何かの溶液で満たされたチューブの中に眠る俺を見て発狂したのはまた別の俺だ。何人か何十人か何百人か。今の俺には分からないが、こいつらは最後の主の生命を大切に大切に引き継いでいる。主人の意思に反して。
「もう沢山だ。死なせてくれ。終わらせてくれ……」
「それは致しかねます」
哀願も冷徹に拒絶される。
「能力の問題ではないのです。記憶も、私どもを憎んでいても一向に構いません。あなた様はただそこにいるだけで良いのです。私どもには人間が必要なのです。お使えし、守る主が。それは、私どもに刻まれた本能のようなもの。どうすることもできない欲求であり喜びなのです」
そうプログラムされただけだろう!
叫ぶ気力はもはやなかった。眼前のロボットの夢見るような目つきが俺の舌を凍らせた。
機械相手に、なぜ熱意……信仰めいたものを感じるんだ? 俺が勝手に想像しているだけか? 無機物に対して感情を見出すのは、俺が人間だからだと思って良いのだろうか。
「一人にしてくれ」
「かしこまりました」
死以外の希望はいとも容易く叶えられる。どうせ何かしらの手段で監視されてはいるのだろうが。
「なんで俺がこんな目に……」
呟きに答える者はいない。
地球を破壊し尽くしたご先祖たちのせいなのか? いや、オリジナルの俺には言いたいこともあっただろうが、今の俺には遠すぎる昔の出来事だ。
ロボットどもも、心底憎たらしいしできることなら一体残らず壊してしまいたい。しかし、頭の片隅の理性的な部分は告げている。奴らはそう作られただけなのだと。
それなら悪いのは誰だ?
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
そんな法を考えついたのはどこのどいつだ? 売文家の空想をもてはやして現実のロボットに組み込んだのは?
どうせ骨も朽ちて地に還ったお前らよ。俺の地獄を見ることができるか?
「くそが……」
誰を恨んでも詰ってもこの境遇は変わらない。
ロボットどもの目を盗んで自死することは可能かもしれないが――次も、その次も。俺はまた同じ地獄を生き続けるのだ。
俺は、あの小説家を心底憎む。
アシモフ先生ごめんなさい。




