Beethoven 歓喜に寄す
歓喜よ、美しい神々の閃きよ Freude, schöner Götterfunken,
楽園から訪れた乙女よ Tochter aus Elysium
我らは炎に酔いしれて Wir betreten feuertrunken.
天なる汝の聖所に足を踏み入れる Himmlische, dein Heiligtum!
汝の魔術は再び結びつける Deine Zauber binden wieder,
時流が厳しく分かったものを Was die Mode streng geteilt;
全ての人は兄弟になる Alle Menschen werden Brüder,
汝の柔らかな翼の留まるところで Wo dein sanfter Flügel weilt.
ベートーベンの交響曲第九番第四楽章の歌詞――元はシラーの「歓喜に寄す」――の、原詞ですね。
現代の感覚からすると、なんというか古臭くて蒙昧さえ感じる。この歌と詞が多くの時代の多くの場所で自由や融和の象徴だったと理解するには、歴史への深い造詣が必要になってしまいますね。
意外ですか? 私は懐古主義者ではないのですよ。古いものなら何でも良いなどとは思わないし、当時の楽器に使われた木や動物性の繊維を合成物質で再現しようとしたり、木管楽器のリードのために貴重な水耕栽培施設を使ったりするような試みは、敢えて言ってしまえば金持ちの道楽でしょう。
ではなぜ今、この太古の音楽の翻案を発表したのか? 疑問に思われることでしょう。
それはひとえにこの曲を歌い継いできた旧人類の想いを尊重したからに他なりません。確かに現代の我々にとってこの原詞には理解しがたい部分があります。しかし、それを理由に忘れ去ってしまうには、彼らが直面し、対立や争いを経て乗り越えた困難、その先にある「歓喜」の記憶はあまりに――母星のある一地域の言い回しを借りれば――もったいない。
時節に合わせて多少表現を変えることで、この曲に宿る精神を伝えられたら幸いと考えています。結局、理想というものは時代によって変わるものなのですから。
では、私の手による現代版の歌詞を見ていただきましょう。パンフレットをご覧下さい。
そうそう、今日のためにわざわざ紙媒体のパンフレットを用意してくださったこと、主催者に感謝しております。
歓喜よ、美しい知識の閃きよ Freude, schöner Wissensfunken,
記憶を受け継ぐ子よ Kind, das erbt Gedächtnis
我らは炎を携えて Wir betreten feuertragen.
深遠なる汝の秘密に足を踏み入れる Tiefste, dein Geheimnis!
汝の意思は再び結びつける Deine Willen binden wieder,
時流が厳しく分かったものを Was die Mode streng geteilt;
全ての人は更に前進する Alle marschen immer weiter,
汝の翼の示すところへと Wohin dein Flügel zeigt.
まず考慮しなければならないのは、古い言語にありがちな単語の性というものの存在です。「歓喜」は女性名詞であるがゆえに「乙女」に喩えられるわけですが、まずここからして解りづらい。現代社会において、性別による区別は忌避すべきものですからね。歓喜を表すのに女性だけで受けるなどとあってはならないのです。同様の理由で、「兄弟」という単語も変えています。
「神」「魔術」といった単語も排除しなければなりませんでした。宗教というものは、科学で全てを解き明かすことができなかった時代に、人々の恐怖を和らげるために考え出されたものだというのが現在の常識です。無知と諦めの象徴である言葉を残すわけにはいきません。そこで宗教に代わって敬意を払われるべき知識や人の意思に置き換えました。
旧時代の悪徳を想起させる表現もありました。そう、「酔いしれて」ですね。
「生命の水」「百薬の長」などと欺瞞に満ちた隠語もある一方で、アルコール飲料が多くの人の健康を損ない、家計を破綻させ、友情や愛情を破壊した例は歴史を顧みれば枚挙に暇がありません。私たちの肉体がそのような――非科学的な表現を採用してしまうのをお許しいただきたいですが――悪魔の液体の影響を受けることは最早ありません。それに、幸いにも、より健全で安全な娯楽の選択肢がいくらでもあります。
そこで、プロメテウスの逸話にもあるように、知識を与え暗闇を照らす炎を「携えて」とさせていただきました。
いかがでしょうか。観客の皆さまにも理解しやすいものに仕上がったのではないでしょうか。いささか詩性に欠けるのはご愛嬌というものでしょう。何しろ一度失われた言語を紐解いて意味の通った歌詞に嵌め込むというのは一大事業だったのですから。
とはいえ、歌詞に対する評価を下すのは曲に乗せたものを聞いてからにしていただきたい。かの楽聖の音楽の魅力はかつても今も変わるものではありません。曲と合わせて初めて、私が伝えたいこと――人間の意志の力や未来への希望といったものに生命が吹き込まれることでしょう。
それでは、指揮者の方、お願いします。
音楽家でもあり歴史家、詩人でもある話者は礼をすると、万雷の拍手を浴びながら壇上を降りた。拍手はすぐに止んで、期待と緊張に満ちた静寂が会場を包んだ。
古い時代の者が見たら天上の風景と呼ぶかもしれない。
会場は地上のものでない、白く淡く光る素材でできていた。
観客は一様に似通った美しい容貌と均整のとれた身体つきを持ち、一人として病や障害を負う者はいなかった。これから始まる音楽を待ちわびて浮かべる微笑みさえ一様だった。神の号令を待つ天使のように。
個を否定して種族としての進歩を目指す統制された意思。
性別、人種、能力による差別を防ぐため、そもそも全ての人間を同じに創ることにした。いまだに残るわずかな違いは必要とされる役割のためにすぎない。
それらを可能にするための医学と科学技術の進歩の追求。妨げる神の教えは忘却の彼方へ押しやった。
争いと不和の歴史に膿んだ人類が長い時を掛けて導きだした、答えの一つだった。
シラーの「歓喜に寄す」は著作権保護期間である著作者の死後五十年を過ぎているので引用に権利的な問題はありません。
翻訳、翻案および翻案の訳は自作のものです。