Romeo & Juliette 少女たちの永遠
「さて――」
短い一言で教え子たちの注目を集めると、女教師は教室を見渡した。女生徒たちの生真面目な表情、伸ばした背筋、真っ直ぐに引き結ばれた口元を見て、彼女は深く頷いた。理想的な教室だった。
自らの手腕に満足しつつ、女教師は続けた。しんと静まり返った教室の中、さして声を張らなくても彼女の言葉は最後列の生徒まで届くだろう。
「皆さんには先日の芸術鑑賞会で観劇した『ロミオとジュリエット』の感想について話し合ってもらいました。そろそろ班ごとの意見がまとまったことと思います。代表の方、班員の意見をまとめて発表してください。それでは一斑からどうぞ」
言われて起立した一班のリーダーは女教師のお気に入りだった。きっちりと三つ編みにした栗色の髪に銀縁の眼鏡。真面目さへの信頼から、安心して耳を傾けることができる。
「私たちの班では、この物語が観客に伝えるメッセージについて話し合いました」
三つ編みの少女は、はきはきとした口調で切り出した。
「この物語の主題は明らかです。
親や家、公爵といった登場人物は、現在に当てはめると社会的なルールや常識、法律の喩えと考えることができます。各人がルールを守り、決められた役割を果たすことで社会を発展させなければなりません。逆に、個人の身勝手な感情でルールを破ると自分自身だけでなく周囲の人々に害を及ぼしてしまう可能性があります。マーキューシオとティボルトの死は、ロミオとジュリエットの無軌道がもたらした悲劇と言えるでしょう。
主人公二人の死も、秩序を軽視する者に対する当然の結末であり、私たち観客に対する警句であると考えます」
学校側の意図をよく汲んだ望ましい回答に、女教師は賛辞を送った。三つ編みの少女が着席すると、目線で次の班長を促す。
次の少女は、若い男性の移り気とそれに踊らされる若い娘の愚かさについて述べた。
ロミオは冒頭では違う女性に懸想していたのに、仮面ごしに一目見ただけのジュリエットに恋し、彼女とその家族に不幸を招いたのだ。とはいえ安易に彼の言葉を信じたジュリエットにも非がある。この物語の教訓から、私たちは自分自身の幸せと名誉のため、十分慎みを守らなければならない――。
三番目の少女は、先の二人の意見に賛同しつつ、さらにキャピュレット夫人とモンタギュー夫人の浅薄な言動に着目した。
ティボルトやマーキューシオ、身内の死に動揺したのだとしても、彼女たちの訴えはあまりに感情に偏った稚拙なもので夫や公爵を閉口させた。これは、女性には論理的な思考ができないということを如実に示したものである。女性は無知ゆえに守られるべき存在であり、表に出て意見を述べるというのは彼女たちを危険にさらし、評判を貶める行為だと知るべきである――。
二人の少女の意見は、女教師の教えが正しく伝わっていることの証左だった。年頃の娘たちを預かっている身としては、教育には慎重かつ万全を期さねばならない。たとえ厳しさを敬遠されたとしても。女教師は口元をわずかに緩めて自身の教育の成果を誇った。
更に次の少女は、パリス――親が決めたジュリエットの婚約者――が含意する役割について解釈した。
パリスはルールから逸脱したジュリエットに差し出された救いの手だった。彼女はパリスと結婚すれば公爵の一族に加わり幸せになれるはずだった。にもかかわらず父の計らいを拒んで非業の死を遂げた。パリスもジュリエットの死を悼んで霊廟にいたところをロミオと鉢合わせて殺されてしまった。
これは、違反を償う機会は限られていて決して見逃してはならないという、また、ルールを遵守する側からすれば逸脱者に関わってはならないという戒めである――。
この観点もまた、女教師の意にかなったものだった。上機嫌で、彼女は次の班長を指名した。
「とても素晴らしい。では、最後の人、どうぞ」
五人目の少女は、やや自信なげな表情をしていた。無理もない。彼女は、悪い子ではないが、言動が少々ぼんやりとしていてしばしば注意しなければならない。とはいえ、代表に選ばれた以上、班員たちは彼女を信頼しているということだ。
「私は――私たちは修道士ロレンスについて話し合いました。
彼は神に仕える者であり、君主や父親といった俗世の権威よりも上位にあると考えられます。ロレンスがロミオとジュリエットの仲を認めて祝福したということから、この物語の最も重要なテーマは『愛』であると思いました」
「愛? この物語を見て得た教訓が愛ですって!?」
不穏な内容に、女教師は思わず声を高めて反問してしまった。生徒の発言は遮ることなく最後まで聞かなければならないのだが。
教室の中にわずかながらさざめきが起きて、女教師は眉を顰めた。交わされる目配せ、机を叩く指先、声のない笑い。それらは起立した少女を励まし、適切な答えを思い出させるための符丁だと彼女は知っている。苛立ちつつも重々しく咳払いすると、雑音は瞬時に止んだ。
五人目の少女は女教師の同様も仲間たちの応援もさして気に留めていない様子で続けた。
「……ですが、ロレンス修道士の計画は結局失敗します。周囲の反対を無視し、親しい人を死に追いやりさえした二人のことを、神が祝福するはずがありません。
これは、聖職者でさえも愛や恋といった概念に惑わされることがあるということです。このことから、私たちの班は、ルールや法律を曲解してはならないということ、運用する人間ではなく条項そのものが重要なのだと知ることが大事であるという結論に達しました」
「そう、そうです。良い考察です。よくそこに気付いてくれました」
少女が穏当な結論に達したので女教師はやや大仰に褒め称えた。性急な相槌は教師らしい落ち着きからはかけ離れたものだったが、彼女は安堵のあまりに気付かなかった。彼女を見る女生徒たちの目に宿る感情も。
「少し時間が余りましたね。残りは自習とします。くれぐれも、私語は慎むように」
女教師は時計を確認するとそう言って教室を後にした。
女教師が退出し、足音が十分遠ざかったのを確認すると、生徒たちは一斉に吹き出した。
最後に発表した少女に、口々に賞賛が贈られる。教室の外に聞こえないように、抑えた声ではあったけれど。
「やったね」
「この女優!」
「あいつの顔見た?」
級友たちの言葉に、少女ははにかんだように微笑んだ。
「思った通りの反応だったね。面白かったけど」
「いつも鉄仮面みたいな顔してるくせに、慌てちゃって。あたしたちだって言って良いことぐらい分かってるってのにね」
教師への皮肉をまぶしたコメントに、少女たちはふたたびくすくすとしのび笑いを漏らした。
そして話題は芸術鑑賞会の本当の感想に移る。
「ロミオは……ないよね?」
「ないない」
「出会ったその日に部屋に押しかけてくる男はちょっと」
「じゃあパリスは?」
「あっちはあっちで……ねえ?」
「勘違いっぽくてヤダ」
「役者は格好良かったけど」
「出番少ないのに無駄遣いだよね」
「やっぱティボルトでしょ。幼馴染で情熱的で。背高いし」
「それは演じている人でしょ。ティボルトってDV気質ぽくない? 手が出るの早過ぎ」
「ジュリエットがお子様で相手にされない苛立ちと思えば萌え……ない?」
「あんた変な男に引っかかりそう」
「私は敢えてベンヴォーリオを推してみる」
「地味にもほどがあるわ!」
声を潜めてささやきあう生徒たちの楽しそうな笑顔、他愛のない本音は、教師たちに見せることはないものだ。
少女たちが語ることはいつの時代も変わらないのだ。