Quill 遺物
私の恋人は変わった人だった。書くことを趣味にしていたのだ。
といっても、詩を詠んだり小説を発表したり、といったことではない。それはそれで珍しく人に言いづらい部類の趣味には違いないが、彼の趣味は更に変わっていた。
彼は執着を示していたのは、書くこと自体に対してだった。
紙、布、木。ボールペンや万年筆、鉛筆。書く対象も媒体も、彼は様々なものを取り揃えていた。
「手が疲れるでしょうに。メモなら端末に入れておけば十分でしょう?」
私は彼に尋ねたものだ。
確かに文字を覚えるのにタッチパネルをなぞらせるのは効率が良い方法だと知られている。しかし、それはあくまで小さな子供のためのものだし、ペンを握らせるのではなく指先で文字を書かせるのが普通だ。覚書の類なら端末に入力したほうが紛失の恐れもないし手っ取り早いはず。
かつてはサインという文化があったことは知識として知っているが、指紋や虹彩認識の方が偽造の恐れも少ないし専門家に頼らずとも機械一つで鑑定できる。
彼の趣味は、まったくもって必要のないものに思えたのだ。
「そうなんだけどね」
彼は必ず笑って答えた。
「ペンを紙に走らせる感触、というか。ペン先が紙を削る感触、インクの滑らかさ、文字の曲線やドットが美しく書けるかどうか。ほんの些細なことではあるけど、とても楽しいと思うんだ」
それに、と彼は続けた。
「遭難して、あるいは大地震でも起きて。あらゆる電子機器がダメになった時を想像してご覧。君は大怪我をして、助けを待っているが間に合うか分からない。そんな時、遺言を残せる手段がなかったとしたら絶望するんじゃないかな?」
「その状況なら都合よく紙やペンがあるとも思えないけど」
私の懐疑的なコメントにも彼はめげなかった。
「だから、僕はこれを持ち歩いている」
そういうと、彼は小さなナイフを示して白い刃先を煌めかせた。
彼の偏執的なところがそのナイフに象徴されていたように思う。彼の趣味は、今になって思えば、書くこと、よりも書き遺すこと、だったのだろう。自分の思想、意見、存在したという事実そのものを。
私には理解しがたいことだが、彼の同好の士も世の中にはそこそこいるらしい。しかし、好きが高じて鉛筆や、果ては羽軸(!)を削るためにナイフの扱いを覚え、持ち歩く人というのは多分かなり珍しいのではないかと思う。鉛筆は――その原始的な機構にもかかわらず――まだしもかなり長い間人類の友であったけれど、羽根ペンとは。骨董品を越えて歴史的遺物とでも呼ぶべきものだ。彼にはそこがまた魅力だったのだろうか。
理想的な羽根の長さや太さ、羽軸に切れ込みを入れる角度を熱弁されて、私は少なからず閉口した。彼の熱のこもった瞳や無邪気な微笑みは、私にはとても好ましいものだったが、それが私に向けられたものでないというのは中々に寂しいものだった。鳥の死体の一片に嫉妬した、などと口が裂けても言えるものではないが。
彼は、とても子供っぽい人でもあったのだ。
廃墟、荒野、あるいは森の中。ナイフ一本を振るって自分の生きた証を残そう、などと。運がよければ持ち歩いていたペンで。なければ羽根ペンを削り出して、血をインクの代わりにして。最悪の場合は岩や木の幹に刻んで。少年らしい空想という他ない。
私としては、ナイフを持ち歩いているのを見つかって、変な疑いを掛けられたり捕まったりしないで欲しい、としか思わなかったが。
彼は変わり者で、無邪気で、子供っぽくて、善良な人だった。そして底抜けのバカだった。
私は何度も忠告したのに。ナイフを、武器を持ち歩くのが趣味や冗談では済まない時代になったというのに。彼は自分の世界を変えることができなかった。美しく楽しく夢に満ちた世界は彼の頭の中にしかなくなっていたのに。
もう長い間会っていない彼は、今どこにいるのだろうか。生きているのか、それとも死んでしまったのか。
そういう私もバカには違いないのだが。
今になって彼の趣味に付き合って良かったと思い、彼に感謝している。
あらゆる電子的な通信や記録は監視されているから。何かしら自分の考えを安全に残そうと思ったら、古風に自分の手で文字を記すしかない。嫌々、形ばかりに彼に付き合ったのが役に立つなんて。彼がいなかったら、私はペンを持つ方法も知らなかったに違いない。
今、この瞬間だって。危険だと分かっているけど書かずにはいられない。思ったこと考えたことを形に残さずにはいられない。こんな状況になって初めて、彼の気持ち、書き遺すことへの執着が理解できるなんて。
ああ、なんて書きづらい。紙などというものが生産されなくなって、少なくとも一般家庭から消えて久しい。だから、服を割いて適当な大きさの四角形に仕立てた。筆記用具も当然ないから、化粧品で代用している。もう必要のないものでもあるし。
最初は口紅やアイライン、アイブロー。私を魅力的に見せるための使い方はよく知っていたはずなのに、文字を書くのはまったく別の話だった。折れたり、先を潰してしまったりしてだいぶ無駄にしてしまった。
次はアイシャドーやチークに水や油を混ぜてみたり。それを、キッチンで見つけたピックに付けてインク代わりにするのだ。指先で書くのでは線が太すぎるから。
それもなくなったらどうしよう。彼が夢想したように、インクは血で代用できるだろうか。ピックは残り少なくなった。彼に教わったやり方で、私にも羽根ペンが作れるだろうか。私は彼ほどナイフに慣れていないのだけど。裏庭ではまだ何かの鳥が鳴いていた。見咎められずに羽根を拾いにいくことができるだろうか。
これを見る人はいるのだろうか。分からないけれど。字が歪んで滲んでいるのを許して欲しい。単に慣れていないからというだけではないのだ。意味のないこととは分かっていても、涙が頬を伝うのを止められない。
彼がしていたように、自分の考えを書いて残すという習慣がなくなったのがいけないのだろうか。電子上のやり取りで十分だから、と。規制を嫌がるのは後ろめたいことがある人たちだけだと思っていた。別に恥じることがないなら公に残してしまっても、誰に見られても問題ない、と。それが命取りになる時代になるとは想像もしないで。当たり前が当たり前でなくなる日が来るなどと夢にも見ないで。
もしも時間を巻戻せたら、私は同じことはしないだろう。もっと世界のことに目を向けて。自分の頭で考えて。彼を、自分自身を危険から守る。決してこんなことにはならないように力を尽くすだろう。
叫びたい。誰にか分からないけど許しを乞いたい。助けを求めたい。けれどできない。だから、せめて書き残す。私の遺言、私の心からの痛みの声を。
どうか誰か助けて欲しい。