Pygmalion 理想の……
保護された少女はとても整った顔立ちをしていた。腰まで届く金色の髪は絹糸のよう、青い瞳は宝石のよう。身体の線を露にする薄い生地の衣装を着せられていることとも相俟って、まるで妖精のような風情だった。髪から覗く耳が尖っていないのが意外なほどに。
年齢は十代の半ばといったところ。普通なら友達やボーイフレンドが一番で、親を冷たくあしらう年頃、ファッションと恋愛と遊びにしか興味がない年頃だろう。
しかし彼女は幼子のように泣きじゃくり、どこか舌足らずな口調でひたすらに繰り返した。
「パパはどこ? パパに会わせて!」
「まったくもう信じられない!」
彼女は声高に叫ぶとコーヒーを飲み干して空になったマグカップを机に叩きつけた。よくあることではあるがそれでも無体な扱いに、木材と陶器がぶつかり合って硬い悲鳴をあげた。机はともかく、いつかカップが割れないと良いが、と彼女の部下である青年は思った。
「今日の、あの女の子のことですか?」
上司を無視する訳にもいかないので話しかけると、彼女はここぞとばかりに大きく頷いて彼に向かってまくし立てた。
「そう! あの子が幾つか聞いた? 十四よ十四! なのに語彙も知識も幼児並み。肌が真っ白なのは閉じ込められてたから。友達もいないし、筋肉も発達してないから走るのもままならないかもって話だし……。なにより……」
言い淀んだ上司の表情から、青年はおおよその事情を察した。これもまた、よくあることではある。
「……つまり、あれですよね。性的な……」
上司はこの上なく苦いものを呑んだように顔を顰めると首肯した。
「そう……未成年、それも血のつながった娘相手に! 本当に信じられない。何とか死刑にできないかしら」
彼女は嫌悪も露に法の番人らしからぬことを吐き捨てた。青年はコーヒーを啜りながら相槌を打つ。
「典型的なピグマリオン案件ですねえ」
彼が口にしたのはギリシャ神話に登場する王の名だった。理想の女性を彫刻に表現し、彼女に恋して愛を語った。後に彼を哀れんだアフロディテにより彫刻は生命を得、彼らは夫婦となったという。
なお、今ではピグマリオンとは変態の代名詞でもある。
理想の人形に命を吹き込むのは、今の時代別に神の御技には限らないのだ。
現代では受精卵、もっと言うなら精子と卵子の段階で子供の将来の容姿・能力のかなりの部分が予測できるようになっている。子供のためにより良い精子あるいは卵子を求めること、受精卵の段階で障害や病気に関する因子を取り除いたり逆に好ましい因子を付加したりすることはごく一般的な処置だ。
そして、話を更にややこしくするのが現代の性と家族のあり方の多様性だ。
不妊に悩む夫婦、恋人や配偶者と死別した者が精子あるいは卵子提供を受けたり冷凍した生殖細胞を使用したりするのは、まあ自然な感情として納得できる。その際に子供の遺伝子をいじるのも良いだろう。皆やっていることだし、子供の見た目や能力は良いに越したことはない。
同性愛カップルが同じことを望むことも――部の主義や宗教を奉じる一派にとっては耐え難いことではあるらしいが――受け入れるべきだとされている。個人のジェンダー意識というは尊重すべきものなのだから。
だが、結婚はしたくないが子供は欲しい、という願望はどうだろう。それも、自身とは違う性別の子供、容姿を美しく整えた子供が欲しい、という声に対しては? とたんにキナ臭さが漂ってくる。
長年に渡る議論の末に、一応はそういった人生設計も容認されるべきであるとの結論に達した。結局のところ、少子化への対策は何であっても必要だし、両親が揃った家庭でも虐待や育児放棄といった悲劇はままあるのだ。
とはいえ特に美しい娘を一人で育てたいという男性への偏見あるいは警戒は根強い。よって、卵子提供までには多くのカウンセリングや講習が義務付けられているし、子供の誕生後も定期的な観察の場が設けられている。……ということになっている。
「体制が甘いのよね。全然チェックできてないってことじゃない」
そう、確かに。
無垢な、従順な。法の目をくぐって密かに理想の娘を育てようという輩は多い。そして彼らの目的はしばしば子供ではなく、ひたすら自分に都合の良い妻を得ることにある。ピグマリオンと呼ばれる所以だ。
「でも、女の子を一から育てるのは、それはそれで大変ですよね。いい歳した独身男が離乳食やらトイレトレーニング、髪や肌のお手入れについて一生懸命検索しているところを考えると笑えませんか? 愛情がない訳じゃないんでしょうね」
青年はほんの冗談のつもりで言った。「ピグマリオン」の所業は虐待には違いないし、罪は罪として裁かれるべきではある。しかし、彼らの涙ぐましい努力と情熱には、男として一片の理解と同情さえ覚える。自立した現代の女性は何かと怖い。実例を目の前にすると尚更思う。
しかし、彼の上司にそうした機微は通じなかった。
「何ですって?」
整った顔立ちの彼女が眉をつり上げて頬を紅潮させる様は、美しいが、鬼気迫るものがある。
彼女が勢いよく掌を机に叩きつけると、派手な音がしてカップや書類が再び踊った。
「育ててやったから何しても良いって? 肉体的に育てるのだけが親の役目なの? 教育は子供に等しく与えられた権利じゃないの? 何も教えず触らせず、思い通りの型に嵌めるのが愛情と言える?」
上司の逆鱗に触れてしまったのを悟って、青年は素直に謝罪した。
「いえ、仰る通りです。すみませんでした」
彼女は分かればよろしい、というように頷いた。
「冗談でも言って良いことと悪いことがあるんだから。男って皆そうなの?
……まったく、ああいうヤツらのせいでまともな家庭も白い目で見られるのよ!」
その口ぶりから、青年には察するものがあった。
「失礼ですが、先輩のお宅も……」
「そう! 私は父に作ってもらったの」
不躾か、と思いつつ切り出したのだが、上司は目を輝かせた。
「もちろん、ピグマリオンみたいなヤツらとは全然違うのよ。父は本当に素晴らしい人。物質面だけじゃなく、教育も、愛情も、私の人格を形成する全てを与えてくれたの。この仕事を志したのも父の影響だし、悩んだ時にはいつも指針を示してくれたの。
今日の私があるのもみんな父のおかげ。父のこと、心から尊敬しているわ。皆が父のようなら批判なんて起きないでしょうにね。
私たち、いわゆる普通の家庭よりも仲が良いと思うの。二人だけの家族だし? 今でも一緒に旅行に行ったりするのよ」
先ほどとは打って変わった上機嫌である。青年が若干引くほどに。彼女の熱意に追いつけなくて、彼はごく無難な返答をした。
「お父上が好きなんですねえ」
「ええ。おかげで順調に行き遅れよ。パパ以上の男なんていないもの」
大変デリケートな自虐に青年が絶句したのを見て、上司はいたずらっぽく微笑んだ。そして腕時計に目をやると軽く眉を上げた。
「今日はパパとディナーの予定なの。悪いけどもう行かなくちゃ。明日は早めに出勤するから」
「……了解です、どうぞ楽しんできてください」
最後まで自分のペースを保ったまま、上司は慌ただしく去っていった。扉が閉まり、彼女のハイヒールの足音が遠ざかるのを確認してから、彼は深く溜息をついた。
「思い通りの型に嵌めるのが愛情と言えるんですかねえ……」
彼女は有能で公正、正義感の強い尊敬すべき上司だ。出会った時からそう思ってきた。たった今彼女の父親の趣味によるものだと判明した訳だが。
いや、それは彼女の美徳をなんら損なうものではない。社会に貢献する人材を育て上げるのは、褒められこそすれ、何も犯罪ではないのだ。問題などどこにもない、はずなのだが。
子供の外見をいじるだけなら、多かれ少なかれどんな親でもやることだ。しかし、性格や嗜好までも理想通りに仕立て上げられたのだとしたら?
青年の中で、彼女に対する認識が魅力的な女性から出来の良い人形に転じた。