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Love Child 野蛮の園 ②

注意:ごく淡白ですが性的な描写があります。

 娯楽も何もない場所で十日は長すぎる、と最初は思っていた。しかし、森の中の原始的な生活では、時間は思いの外早く流れていった。

 娯楽以前に文明的な技術の類が――僕の価値観からすれば――非常に限られていたため、人の手でやらなければならないことが多すぎるのだ。おかげで僕は疲労と筋肉痛の取れる暇がなく、頑張りさえすれば身体の悲鳴を無視して働けるということを学んだ。

 何が潜んでいるか分からない冷たい川で汚れを落とすなんて有り得ない、と思っていたのも最初だけのこと。汗臭さに耐え兼ねて行水してみれば、固形石鹸とタオルだけでも驚く程さっぱりと生き返る気分がした。髪がきしむのも気にならない。

 普段の僕からは考えられないほど原始的な、けれど充実した毎日だった。生涯この生活をしろと言われたら――一度はそれを覚悟しかけた訳だが――さすがに考えるが、プリミティブの主義主張も悪くないと、その程度には事態を満喫している自分がいた。


 ただ、些細ではあるが問題が一つ。()()の管理がさっぱりできていない。


 どうしたものか。

 川の流れに身を任せて石鹸の泡を落としながら、僕はぼんやりと考えた。この星を出発したとしても、目的地まではまだまだ時間がかかる。だから今慌てて調節する必要はない。大体、薄すぎるならまだしも濃い分には文句を言われることはないのではないか。


 だが、僕は今ひとりきりで。絶好の機会と言えなくもない。イグリットとエンジニアの彼らと。別に四六時中一緒にいる訳ではないが、森があまりに深くて人が出入りできる範囲は限られているため、自然と視界の中には誰かしらいる時が多いのだ。


 青空の下で、っていうのは気が引けるけど……。


 意を決して下肢に手を伸ばそうとした時。僕のすぐそばで大きな水しぶきが上がった。

 何かが飛び込んできたんだ。それは人で。赤っぽい長い髪で。


「イグリット!?」


 認識すると同時に僕は叫んでいた。次いで慌てて背を向ける。僕自身が裸なのはもちろん大問題だが、それ以上に彼女を直視できなかった。水滴滴る髪、それが張り付いて露にする胸元のライン、濡れたシャツから透ける肌。一瞬でも目に焼き付いて、たった今しようとしていたこともあって、決まりの悪い姿を晒すことになってしまう。


「一人? 邪魔だった?」


 当然! 


「何で服を着たまま飛び込むんだ? と、言うか、男がいるのに入ってくるなよ!」


 狼狽しきった声は我ながら情けない。不意打ちが成功したことを喜ぶように、イグリットは声を立ててけらけらと笑った。


「これ、もう洗うのよ! だからもう着たままで良いや、って」

「僕がいるのに入ってくる説明になってない……いや良い、僕が出るから後ろを向いててくれ」


 川底に足をつけて立つと水深はちょうど僕の臍あたりで、都合の悪いところを隠してくれた。醜態を晒す前に立ち去ろうと岸へ向かう。


「待ってよ。あなたの()()のこと、聞いたわ。管理が必要、ってとこも。私に手伝わせてくれない? 私、貴方のことが好きみたい」


 僕の足が止まる。それはイグリットの手が腰に絡んでいるからだ。濡れた布地と温かい肌の感触。そして彼女が示唆するところを察して、全身の血が燃える。


「何を言ってるんだ!」


 手を引き剥がしつつ振り向き、彼女の肢体を正面から見てしまってまた顔を背ける。この場を離れなければ、と思うのに、イグリットはまた腕を回して引き止めてくる。


「ここと外では倫理観が違うのかしら。私たちは貴方たちよりも感情に忠実よ。好きになったから子供が欲しい、とっても単純。ここでは愛の子(ラブチャイルド)って言うの」


 不思議そうな口調で呟きながら僕の背に触れる指先は優しく、脊髄を何かの衝動が上下した。


「会って数日で好きもなにも……それに、愛の子だって? それはもともと――」

「私生児って意味。知ってるわよ。でも良いじゃない。言葉の意味なんて変わるものよ」

「それだけじゃない。僕たちは――外では――考えなしの結果って意味で使う」


 愛し合う二人から愛すべき子供が産まれるとは限らない。遺伝病やリスク因子の検査もしないで快楽だけ貪るなんて人間のすることじゃない。後先考えずに遊んだ結果、子供を抱えて途方にくれる女の子はいまだに多い。もちろん男の責任も問われるべきだし、僕は恩人のイグリットに対してそんな真似をするつもりはない。


「五体満足じゃなきゃ生まれるべきじゃないってこと? 障害があっても助け合って生きることは可能よ。たとえプリミティブの星でもね」

「それに。それに……精子提供するってことは、どこかの女性が僕の遺伝子を引いた子を作るってことだ。その子たちも、僕自身の子も、皆登録することになってる。近親相姦を防ぐために。だからこんなところでルールを破るわけには――」

「実のところ、もう百年以上、ここを離れた子はいないの。気にするほどの可能性かしら?」


 同じ言葉を使っているのに、まったく通じていない。僕は自分の倫理感が崩れ落ちつつあるのを感じた。

 流れる水が体温を奪っても良いはずなのに、身体が熱く脈打ち額には汗さえにじむ。依然背を向けているが、彼女はどんな顔をしているのだろう。その表情を見たい。けれど、見たらもう戻れない気がする。


「私が怖い? もしかして初めてなのかしら?」

「――っ!」


 また背筋をなぞられた。言葉と指先と。同時の挑発に、僕の中の何かに火が着いた。

 振り返りざまにイグリットを抱きしめる。僕よりも遥かに体力があるようなのに、その肢体は確かに女性らしい柔らかさを残していた。


「君のせいだぞ。嫌だと言っても止められないからな」


 背に回された手は熱く、耳元に囁かれる吐息は一層熱かった。


「そんなこと、言う訳ないじゃない」




 地面に直に寝転ぶのをためらったのはほんの一瞬だった。そんな躊躇は彼女の裸身を前に霧散した。

 身体が引き潰す草の青臭い臭い、濡れた身体を汚す泥。そういったものも気にならなかった。むしろそういった野蛮さがイグリットの魅力を惹き立てた。この星は、僕の知る世界より何もかも生命力に満ちている。


「初めてじゃないのね。悪いこと言っちゃった」


 笑いを含んだ声が耳をくすぐり、高まる熱が汗を滲ませる。きっとそれは彼女も同じで、まるで花が雌蕊を晒して虫を誘うように漂う香りが僕を惑わす。多分この星に来て僕の五感も研ぎ澄まされている。

 荒い息の合間に言葉を交わす。明瞭に発音できている訳ではない。でも、指先や肌、唇を通して気持ちが伝わってくる。


「でもこんなになったのは初めてだ」

「嬉しいお世辞ね」

「お世辞じゃない」


 恋人なら何人かいた。それなりの関係も持ったことがある。

 しかし、彼女たちとのことを形容するならルールを守ったスポーツと言ったところ。イグリットは――何だろう。格闘? それも違う。そうだ、猛獣が交尾の時に雌の首筋に牙を立てるような。何かの資料で見たことがある。生々しくて本能的な命を削るぶつかり合いだ。


 それでもことが終われば人の理性と感情が戻ってくる。波が引くように激情は収まって、僕たちはその場に横たわった。汗で身体にちぎれた草なんかが張り付いていて、また水浴びが必要だろう。


「子供、できちゃったかもしれない」

「別に良いわ。欲しかったもの」

「君たちには結婚という制度はないの?」

「あるようなないような……好きな者同士がずっと一緒に暮らすこともあるし、一人で、あるいは親や友達の力を借りて子育てする人もいる」


 そんな他愛もないことを話しながら、僕たちは夜まで過ごした。誰も探しに来なかったのは、空気を読んでくれたからに違いない。

 けれど、僕たちがそうと気付くのはもっと後のことで。かなりの時間を、抱き合ったままで過ごした。




 救助の船はきっかり十日後に到着した。

 彼らはごくあっさりと僕の船を直し、保障についての話をし、今回の事故は僕の責任ではないという証明の書面と新しい船を持ってきてくれた。ボロ船は証拠としてなんとかいう部署に提出する必要があるので、そっちで目的地に向かって欲しいということだった。


「落ち着いたら医療物資でも送るよ。それならいらないということはないだろう」

「そうね、助かるわ。ありがとう」


 イグリットの声も態度もごく平静だった。握手を交わした時も、特別体温が高いとか汗ばんでいるということはない。まるであのことはなかったかのように。


 不満と寂しさ、名残惜しさを感じながら手を離す。所詮この感情も自分勝手なものに過ぎない。僕が彼女と会うことはもう二度とないだろう。僕から背を向けて去っていくのだ。ここに残るという道は――つかの間頭をかすめはしたが、僕には選ぶことができなかった。


「……身体に気をつけて。君たちの方が僕よりよっぽど丈夫なんだろうけど」

「あなたも道中気をつけて。もうどこかに不時着したりしないでね?」


 一人ひとりに挨拶を済ませて、もう別れるという間際。迷った末に、イグリットに再び声を掛けた。


「君たちの幸せを願っている。君も、その子供たちもずっと」


 彼女は軽く目を瞠ると、輝くように微笑んだ。いつもの皮肉っぽい雰囲気ではない、あの時のように蠱惑的なものでもない。こういうのを母性に満ちた表情と言うのだろう。


 彼女に僕の子が宿っていて欲しいというのは本心だ。

僕の遺伝子を受け継いだ子供たちはきっと沢山産まれるだろう。僕のあずかり知らないところで、けれどしっかりと管理されて。皆、便利だが味気ない世界の中だけで育っていく。

 一人くらい、この野蛮だが生気に満ちた世界で、原始の暮らしをする子がいるのも悪くない。その子を育てるのがイグリットなら尚更だ。

 今では無謀の類義語になってしまった愛の子が、文字通りの意味でいられる星。僕が住むことはできないが、宇宙のどこかには存在していて欲しい。


 イグリットの引き締まって平らな腹を最後に一瞥すると、僕は船に乗り込んだ。

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