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Love Child 野蛮の園 ①

Love Child=私生児

 頭上から照りつける日差しは強く、周囲の木々の緑は暴力的なほどの鮮やかさで網膜に突き刺さった。

 鼻をつく臭いは、土の臭い、というやつなのか。生臭いというか湿った微生物の臭い。怖い。移民募集のパンフレットは何でこんなものを賛美するのか。


 生まれて初めて味わう大自然の中で、僕は途方にくれた。


 一体なぜこんなことになったのか――。濃密過ぎる酸素に目眩さえ覚えながら、僕はここに至る経緯を回想した。


 根本的な原因は、取引先が僕と直接会うことを望んだこと、だろうか。商品を送ればそれで済むというのに、その方がずっとコストがかからないというのに。だが、この機会に辺境をこの目で見てみようと思った僕の冒険心もまずかった、のかもしれない。

 より直接的な原因を言えば、チャーターできたのが二世代前の船だったということ、生体クルーの都合がつかなくて、人工知能頼りの航行になったこと。更にその人工知能のアップデートに不備があり、実質三世代前の技術で星の大海を渡ることになったことが挙げられるだろう。

 それでも何事もなければ無事に目的地にたどり着くのは可能だっただろう。しかし、そこへ最も直接的な原因――人工知能が拾い損ねた宇宙塵――との接触が発生した。素人の僕では対処しきれず、この名も知らない星に不時着を余儀なくされたという訳だ。


 総括すれば、運が悪かったということだ。結論を導くのに数分を要したあたり、まだ混乱しているらしい。


 とはいえ、僕は絶望している訳ではない。この荒々しく野蛮な森こそ、この星に人間の手が入っていることの証拠だからだ。宇宙がいかに広大とはいえ、母なる地球のように水と緑に恵まれた星はまず存在しないと誰でも知っている。偶然不時着したのが稀有なる天然の森が栄える星だった、なんて。不運な僕にはできすぎた奇跡だ。

 この星には絶対に人間がいる。都市か集落か、本格的な入植前で技術者数十人程度の研究所か。規模は分からないが、旧式の船の一つや二つ、修理するのは簡単なはずだ。

 幸い通信機能は生きている。水と食料も数日分はある。救難信号を発した後は、ゆっくり昼寝でもしていれば良い。休暇の過ごし方と一緒、友人連中にまたとない土産話ができたじゃないか……。




 だが、不時着から丸一日。それでも救助は来ていない。鳥だか獣だか分からない何かの鳴き声を不気味に聞きながら、僕の中で不安と焦りが募っていく。


 まさか、プリミティブの星なのか?


 自分で思いついたことに絶望して、僕は小さく悲鳴を上げた。それさえ誰も聞く人がいない。


 プリミティブは、現代のアーミッシュとでも呼ぶべき連中だ。数家族から数百人単位の集団で星を買取り、近代技術を一切拒んだ原始的(プリミティブ)な生活をしている。宗教ではなく思想信条としてそういった生活を選んでいるから、アーミッシュよりもなお理解しがたい。いや、そういう生き方があるのは、どこか遠い世界の話としては個人の自由だ。しかし、ことこの場、僕が陥った窮地において彼らに遭遇するのは困る。

 近代技術を使用しないということは、船の修理ができないということで。下手をすると外部への通信すら不可能かもしれない。

 僕が約束の日時に現れなかったら、取引先は契約を破棄するだろう。それは仕方がない。しかし、捜索願を出そうという発想には至ってくれるだろうか。家族や友人が僕の不在に気付くのは一体いつだ? 僕の航路を辿ったとして、この星にたどり着いてくれるだろうか。その時まで僕が生きている保証は?


 人知れず朽ち果てていく自身の死体を想像して、僕は絶叫した。

 鼓膜に刺さるはずの大声は、しかし、別の爆音にかき消された。機械の駆動音。慌てて窓に駆け寄れば、さっきまで晴れていたというのに影が落ちている。


「!?」


 爆音の元を探って頭上を仰ぐ。目に入ったモノの名前を思い出すのに数秒を要する。機体の上部に旋回する二機のプロペラ。そう、あれだ。ヘリコプター。今時こんなものが稼働しているのか。歴史物のドラマでも滅多に見ない。


 骨董品を呆然と見上げる僕の前に、ロープが降りてくる。これもまた、なんて古風な光景だ。


「待たせてごめんなさい! まだ生きてる?」


 ロープの先にぶら下がっていたのは若い女性だった。カーキ色のつなぎに身を包み、赤茶色の髪を無造作に束ねている。日に焼けた肌といい、アマゾネスといった雰囲気だ。窮地で美女と出会うなんて。どうやら僕は古典映画の世界にでも迷い込んでしまったらしい。


「ここだ、傷はない。救援感謝する!」

 

 久しぶりに意味のある文章を発するのがひどく嬉しかった。

 船から飛び出すと、ヘリコプターから吹き付ける強い風が髪をなぶった。ちぎられた草葉の青い臭いが鼻腔を刺す。

僕は女性が差し出した手を握り――その温かさにやっと助かったという実感が湧いた。




 僕の懸念通り、この星はプリミティブしか住んでいないということだった。人口は数千人程度、それも僕が不時着した地点とは異なる半球に集中して居住しているらしい。


「だから、信号そのものは受信してたんだけど。準備をして到着するのに時間がかかっちゃったのよね」


 最初に出会った女性――イグリットと名乗った――は、そう言って肩をすくめた。彼女はエンジニアで、修理に必要であろう資材を集めて駆けつけてくれたのだという。

 世紀単位で発展を拒んでいる彼らに修理が可能なのか甚だ疑問だったが、僕だってそれを口に出さない程度の礼儀は弁えていた。密林の奥で一人寂しく死んでいく、という最悪の結末を一度は覚悟したのだ。残りの一生を、数百年前レベルの文化水準で過ごすことになっても、まあ文句は言うまい。


「やっぱり駄目だ、イグリット。まるでUFОでも見てるようだ。俺たちの手には負えん」

「そう、じゃあ()から助けを呼ぶしかないわね。最寄りのターミナル星のコードはどこにメモったかしら」


 なので、悲壮な決意を無駄にする彼らの会話に僕は目を剥いた。


「星間通信が可能なのか!?」

「そうよ」

「そうだが」


 イグリットと、彼女が連れてきたエンジニアたちは当然のごとく頷いた。


「しかし君たちはプリミティブで……」

「どうしても対処不能な災害や疫病は有り得る。その場合は外部に助けを求める他ないだろう」

「若い子が外に出たいって言い出す可能性もあるし? 別に無理やり縛り付けてる訳じゃないのよ」


 さらりと説明されて脱力してしまう。


「そういうものか……」


 イグリットは慰めるように僕の背を叩いてくれた。


「プリミティブといっても色々だから。もっとガチガチにやってるところもあるでしょうね。不時着したのがここで、ラッキーと思っておけば良いんじゃない?」


 不幸中の幸いか。確かに不運の連続で今に至ったのだ。これくらいの幸運はあっても良いのかもしれない。




『事情は了解した、すぐにそちらへ向かう。十日後には着くはずだ』


 救援の依頼は驚くほど簡単に済んだ。広い宇宙ではこの程度の事故はありふれているのかもしれない。続けて僕は取引先へと連絡を試みる。


「……という訳で、到着が少々遅れます」

『致し方ありませんね。事故の証明に何かしら書面を取っておいていただけると助かります。言うまでもないでしょうが、なるべく早い到着をお待ちしています。それと、()()の管理も』

「当然です。努力します」


 無事に通話を終えて一息ついたところに、肩を叩かれる。振り向くと、イグリットが連れてきたエンジニアの一人が晴れやかに笑っていた。


「テントを張るのを手伝ってくれるか?」


 救援が来るまでの間、彼らも一緒に過ごしてくれるらしい。確かに彼らの町まで行って、数日後にまた帰ってくるのは手間だろう。後学のため船の修理の様子を見たいというが……それはプリミティブとしてどうなのだろう。




 高度に機械化が進んだ現代において肉体労働とは過去の遺物であり、結局のところ僕は足手まといにしかならなかった。汗に濡れるのも泥に塗れるのも初めての体験で、日が暮れる頃には僕はぐったりと地に横たわっていた。身体を這い回っているだろう小虫や、土に潜んだ微生物を気にすることもできないほどに疲労困憊して。


「情けない。外の男って体力ないのね」


 イグリットの揶揄に抗議する気力もない。

 焚き火(!)の炎に照らされた彼女は、赤茶の髪が燃えるようで、瞳も一層輝くようで。野性美という言葉の意味を教えられた思いがする。


「何か口に入れた方が良い」


 ぼんやりとイグリットに見蕩れていると、不意に身体を抱え起こされた。丸太を横たえただけの椅子に投げるように座らせられて、尻に痛みを感じたのも一瞬のこと。次は金属製の器を押し付けられる。


「労働の後の食事は格別だ」


 曇りない笑顔の青年から渡された器の中には、トマトとチキンの煮込み。これまた古風な缶詰を焚き火の炎で炙ったものだ。どう考えても煤や埃、下手をすれば虫が入っているであろうソレを口に入れるのにはためらいがある。しかし――


「美味しい……」


 疲れきった身体に肉の旨みと野菜の甘みが染み渡る。干からびるほどに汗をかいた気がするのにとめどなく唾液が湧く。全身の細胞が開いて貪欲にカロリーを吸収しようとしているよう。何より塩気が旨い。肉体の維持には塩分が必要なのだと、知識では知っていても実感するのは初めてだった。

 気がつくと器は空になっていた。栄養を取ったからか、真っ直ぐに座る体力と気力が戻っている。炎を囲むプリミティブたちの顔を見渡す余裕も出来て、僕は軽く咳払いすると声を発した。


「余所者の僕のために来てくれてありがとう。改めて礼を言わせてくれ。

 今は手持ちがないんだが……船のオーナー会社は保険に入っているはず。あなたたちへの保障もできるように必ず掛け合うよ」


 心からの謝辞であり決意だったのだが、微妙な温度の微笑みで迎えられた。


「ここではお金はあまり意味がないのよ。こういう生活だと助け合うのは当然のことだから。お礼なら言葉だけで十分」


 イグリットの苦笑はとりわけ突き刺さる。しかし、言われてみればそうなのだが、それでは僕の気がすまない。


「……それなら足りない物資や部品は? 金はいらなくてもモノなら――」

「そうね、考えておきましょ」


 彼女の軽い答えは僕を宥めるための方便に過ぎないのは明らかだった。更に食い下がる言葉はなくて、僕はただ唇を噛んだ。

 気まずい沈黙をとりなすように、先ほど食事を渡してくれた男が口を挟んだ。


「商品の管理とやら、大丈夫か? 落下の衝撃もあったろうし……ここじゃ温度管理なんかもできないが」

「あー……」


 エンジニアの彼らからすれば当然の懸念だろう。商品について話すのはまったくやぶさかではないし、きっと彼らとの距離を縮めることができるだろうと思う。しかし――


「それについては心配いらない。別に機密でもないし話しても良いんだが……ご婦人の前では憚られる」


 ちらりと視線を向けると、イグリットは何を想像したのか皮肉っぽく笑った。


「女は黙ってろ、って? なんて前時代的な。良いわよ、水浴びでもしてくるから」


 再びの沈黙は、先ほどとは気まずさの意味が異なる。男どもは皆してイグリットの裸体を想像したに違いない。

 不埒な妄想を振り払うため、僕は再び咳払いした。


「……精子提供という概念は知っているか?」


 意味もなく声を潜めて言えば、エンジニアたちは得心したように頷いた。


「ああ。ということは君はエリートなのか?」

「僕自身のスペックは大したことない。大事なのは僕の遺伝子、その中に潜む幾つかの因子、らしい」


 女性が優秀な男性の遺伝子を求める、という構図は今の時代必ずしも当てはまらない。容姿や能力をある程度整えるのは、受精卵の段階である程度可能だからだ。

 僕のような学生が遺伝情報を登録しておくのはもっと別の理由からだ。自分自身の性能は平凡でも、遺伝子上に持ち合わせた何らかの耐性や特性が、特定の環境で求められることがままある。そして、需要のある形質は往々にして儲けの種になるのだ。

 今回の取引もそうだった。僕の遺伝子はとある星系に特有の風土病に耐性があったらしく、某医療機関からお声がかかったのだ。


「ということは管理というのは……」


 察しがついたのか、彼らの顔に下品な笑いが広がった。思ったとおり、下半身に関することは男同士の距離を縮めるのに役に立つ。僕も笑うと努めて猥雑な口調を作った。


「濃すぎず薄すぎず。適度に溜めておけってことさ」


 弾けるような笑いが炎をかき立て、影を躍らせた。イグリットに聞こえたかもしれない、とちらりと思ったが、笑いは止められなかった。

 腹が痛くなるほど笑って――多分、こうして僕は彼らと友情を結んだ。

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