Jubilation 家族の記念日
出産ネタ注意。
「頑張って! もうすぐよ!」
顔を真っ赤にしていきむ彼女に、私は必死に声援を送る。
彼女は分娩台の上で脚を開き、新しい生命をこの世に送り出そうと懸命に戦っている。
その右手を私が、左手を夫が握って励ましている。
産みの苦しみに悶える彼女の力は強く、爪が私の手に食い込んで跡を残す。でも彼女の痛みに比べれば何ほどのことだろう? その痛みを代わってあげられないことが歯がゆくてならない。
だって、彼女が産み落とそうとしているのは、私と夫の子供なのだから。
生まれながらに高い知性と能力を持った――そのように遺伝子に手を加えられた――私たちには、多くの義務と同時に特権もある。
女性にとっては、妊娠出産の重責の免除もその一つ。常に万全の体調で仕事に臨まなければならないのだから、心身ともに多大な影響があるこの期間は私たちには許されていない。一方で優秀な人間を再生産する義務も厳然として存在するから、受精卵を創りだす以降の負担は別の人間に負ってもらうことになる。それが彼女だ。
女性性の放棄だとか。貧しい女性に金の力で危険な仕事をさせるだとか。そんな批判もある。実態を知らない人に限ってそういうことを言う。大変に不本意なことだと思う。
私だって、許されるなら自分のお腹で我が子を育てたい。しかし、かつての女性と違って、私たちには家庭に生きるという選択肢はありえない。能力のある者は全身全霊で社会に貢献するのが現代のノブレス・オブリージュだ。
彼女に対する感情も、よく下世話な想像をされるようなものとは違う。我が子の生命を九ヶ月もの間預ける相手だ。見下している人間、どうでも良いと思っている人間に任せられることではない。
彼女を採用するにあたって、何人もの候補者の中から面接と調査を繰り返した。その上で、我が子を託すに足る人間だと、夫と二人で認められた唯一の人だ。
彼女は確かに貧しい家庭に生まれ、学歴も低い。しかし、人間としての知性は高いと判断した。犯罪歴がないのは当然のこととして、礼儀正しく気遣いができるところに好感を持った。何より学ぶ意欲があって、我が家に迎え入れてからは貪欲に蔵書を読み耽っていた。彼女の姿勢は、きっと子供にも良い影響を与えたことと思う。
厳しい栄養や運動量の管理も頑張ってこなしてくれた。実験的な処置を施したこの子には、通常の妊娠とは違う――彼女にも自分自身の子供がいる。そうでなければ候補にもなれないから――も多かっただろうが、戸惑いながらも受け入れてくれた。
この仕事をする他の女性がよくするように、私たちに馴れ馴れしい態度を取ったり、胎児に勝手な呼び名をつけたりすることもなかった。
そんな彼女だからこそ、私も夫も今では家族同然に思っている。彼女のことをただの器、子供のための道具だなんて思えない。
家族の一員が家族の一員を産み落とそうとして苦しんでいるのだ。この痛みを体験できないことが特権だなんて、誰が言うのだろう?
せめてこの思いを伝えたいと、私はガーゼをもらって彼女の額の汗を拭う。
夫も同じ思いなのだろう、スポイトをとって補水液を彼女の唇に含ませている。男性がお産に関して無力なのは今も昔も変わらない。しかし、私などは彼にとって守るべき妻というよりは共に戦うパートナーといった位置づけのはずで。励ましあいこそすれ労られた記憶などついぞないし、仮に私が分娩台の上にいたところで、その発想に至るとは思えない。か弱い彼女が奮闘する様が彼に父性を呼び覚まさせたようで――その点でも彼女の存在が私たちを繋いでくれているとも言える。
「頭が見えています。思いきりいきんで!」
看護師の声に応えて、彼女は全身に力を入れる。それに伴って私の手を握る力も強くなる。
いつしか私は片手で彼女の、片手で夫の手を握っていた。遺伝的なつながりのない三人が、一堂に会して新しい生命の誕生に立ち会っている。それを通して家族になろうとしていると感じた。三位一体。神聖なトライアングル。
彼女が一際強く私の手を握り、食いしばった歯の間からうめきが漏れる。そして。
室内に産声が響いた。
同時に私の胸に奔流のように歓喜が流れ込む。
たゆたう羊水から掬い上げられた我が子が、この世界で最初の呼吸をしたのだ。出られて嬉しいと、これから成長するのが楽しみでならないと全身で伝えるかのよう元気な泣き声だった。
「まずはお母様に」
臍の緒の処置を済ませると、医者が赤ちゃんを渡してきた。生まれたばかりの我が子は泣き声の割に小さく、しわくちゃで顔立ちもはっきりしなかった。遺伝子設計の段階で、私と夫の良いとこ取りの容姿になるようにしてあるはずだけど。
いえ、顔かたちなんてどうでも良い。今の技術ではそのレベルの調整が失敗することなどありえないのははっきりしている。
問題は、この子に実験的に植え付けた因子がちゃんと根付いてくれているかどうか。私や夫と同じ程度の人間では困る。次の世代の人間は、次の次元の能力を持っていてくれなくては。
「先生、どうでしょうか」
私らしくもない愚かな問いだった。新生児の段階で因子の発現が確認できることは稀なのを分かっているはずなのに。親になるということが私を愚かにさせている。
不安と緊張を和らげるように、医者は頼もしく微笑んだ。
「抱いてみてください。分かります」
恐る恐る、小さな赤ちゃんを腕の中に抱く。赤ちゃんはまだ素裸で、柔らかく温かい皮膚の感触に涙が出そうになった。
触れ合った肌から、産声を聞いた時の歓喜が、今度は頭の中に直接流れ込んだ。
――やっと出られた。ママ。会えた。嬉しい!
今度こそ、涙がこぼれた。成功したのだ。
「あなたも」
雫が頬を流れるのに任せたまま、私は夫に赤ちゃんを渡す。
私よりも更におぼつかない手つきで受け取った夫は、赤ちゃんと触れ合った瞬間、やはり表情を変えた。喜びと驚きに。
「先生、これは」
医者は重々しく頷いた。
「精神感応です。それも、かなり強い」
また子供の声を聞きたくて、私は赤ちゃんの頬にそっと指先を伸ばす。すると、触れた指の先からさっきと同じように喜びの感情が伝わってきて、私の目に涙をあふれさせた。
――パパ。ママ。ずっと一緒。
これこそ、次のステージの人間だ。
オカルトの分野と思われていたいわゆる超能力を、科学の次元で解き明かし、子供たちに与えるのだ。まだ分からないことも多い分野で、処置を施したからといって必ず能力が発現するとは限らないが。私たち夫婦は、今の世代の義務として子供を実験に差し出し――そして見事に勝ったのだ。
――あの子も。ありがとう。言いたい。
誰のことかを察して、私たちは彼女に向き直る。
大役を果たした彼女は、憔悴し疲れきってはいたものの、その表情は達成感に満ちていた。
「本当にありがとう。この子もお礼を言いたいそうよ」
そっと彼女の胸に赤ちゃんを乗せると、何を伝えられたのか、彼女は慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。彼女は整った顔をしている――遺伝子に手を加えていないというのが意外なほど――ので、その姿は古代の画家の聖母子像のようにとても神々しく美しかった。
「私こそ。お子さんを任せていただいてありがとうございました。
すごい子だって、私には分かってました。ずいぶん前から、早く出たいって言ってて」
そう、彼女の証言からして、この子に多少なりとも精神感応があることは分かっていた。しかし、臍の緒という物理的なつながりを失った途端にその能力を失った例も複数見られたので、生まれるまで安心できなかったのだ。
「この子は生まれたばかりだというのにちゃんと感情を伝えることができている。きっと胎教が良かったのでしょう。そして漠然とした思いではなく、単語を使って伝えている。知性も高いようです」
お世辞かもしれないが、医者の言葉に私の心は躍る。知性が高いのは私たちの子供だから当然として、彼女の努力も認めてくれたのが嬉しかった。
「僕たち三人の合作ですから」
夫の答えは、冗談めかしていても本気だろう。労うように肩に手を置かれて、彼女の顔が誇らしい笑みに彩られた。
今日は私たちの子供が、次世代を担う優れた子が生まれた日。私たち四人が家族になった日。
私は生涯、この日の喜びを忘れないだろう。
Gと同じ世界観ですが違う家庭の話になります。