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Absent 人間性の不在

「――は不在にしております」


 通信機から聞こえた合成音声に、彼は軽く溜息をついた。


「それでは代理の人を」


 言うまでもないことと分かってはいたが、人間の性として口に出さずにはいられなかった。


「かしこまりました。少々お待ちください」


 柔らかく丁寧な割になぜか苛立たせる人工の声は空々しく快諾すると、保留音に切り替えた。


 理由は知らないがよく保留音に採用されている曲が二巡目に入るのを聞きながら、彼は再び溜息をつく。良くない徴候だった。


 労働管理局の割り当ては完璧だということになっているが、たまには担当者の不在中に当たってしまうこともないではない。

 だが、代理の人間にいつまでも繋がらないのはまずい。それは引き継ぎがうまくいっていないということであり、彼の業務が蔑ろにされているか、この取引先は管理が非常にずさんだということになる。あるいはその両方か。


 結局、代理の人間が出るまでに、彼は保留音をもう一巡聞いた。

 必要な事項を話しあった後、代理の者――識別番号を十回は更新したであろう、良い歳をした男だった――は曖昧な笑みを浮かべてなおざりに謝罪した。


「おたくとはあまり取引がないもので、引き継ぎが甘かったようです。すみませんでした」


 いえ別に、というようなことを言いながら、彼は次に連絡した時にはこいつも不在になっていそうだなと思った。




 その後は大した出来事もなく仕事を終えると、彼は家路に就いた。途中のデパートで一人分の惣菜と酒を買う。彼の妻も二週間ほど前から不在にしているのだ。


 会計担当の店員は不在から戻ったばかりのようで、少々手際が悪かった。この手の単純作業は、基礎学校を卒業したばかりの若者の中でも、能力に欠けるとみなされた者に割り当てられる仕事だ。

 とはいえ、あらゆる労働は平等に社会にとって必要なものであるということは誰もが弁えていることなので、彼は辛抱強く見守った。


 結局のところ、訓練では本当の資質というものは見えないものであり、しばしば実務を通して初めて隠れた適性が発見されるのだから。

 そう考えれば、関係者の不在に出くわすのはそう悪いことでもない。当局が各労働者の適正と能力を常時観察・記録し、定時更新の時期以外にも識別番号の再割り当てをより高い精度で行っているという証左といえるのだから。




 帰宅する疲れた顔の人ごみに紛れて、彼は一人歩く。


 また誰もいない暗い家に帰るのか。そう思うと、自然と彼の足取りは重くなった。

 妻とは気が合わないと思っていたが、不在となるとそれはそれで寂しいものがある。彼女の奇矯な言動を反芻すると、いつも煩わしさと妙な懐かしさが同時に湧き上がる。


 例えば、彼女は不在という表現に懐疑的だった。


『不在って言い方、何だか胡散臭いわ。ちょっと席を外しているだけ、すぐに戻るんですよってニュアンス。でも、誰も帰って来ないじゃない』

『帰ってくるじゃないか。より適性のある人間が』

『そう、ダメだった人には別の番号を割り当てて、また別の、もっと――ちゃんとした? できる? ――人を連れてくる』


 この手のことを言うとき、彼女は非常に活き活きとしていた。


『結局、番号ありきなのよね。

 番号から見れば不在で確かに間違いない。その番号を帯びる人が一時的にいないって状況なんだから。番号の奴隷だなんて人類も堕ちたものだわ』


 彼に言わせれば、彼女の見解は露悪的に過ぎる。


 番号が一番。人間は二番。


 現在の社会の形態を一言で表わす言葉である。

 社会に必要とされる役割に番号を振り、それぞれの番号に相応しい能力と適性を持った人間を割り当てる。先に完璧に世界が回る仕組みを作り、人間という歯車を埋め込む。


 野放図な個人のやる気や努力にまかせるよりも、遥かに効率的なやり方のはずだ。

 それに、不在の――番号の再割り当ての――理由は能力の欠如だけではない。より若い、即ちより社会の根幹に関わる役割の番号を勝ち取る可能性もあるのだ。

 彼も更新の度により若い番号をもらっている。それは彼の誇りであり、この制度に心から賛同する根拠でもある。


 しかし、それを言って元妻を納得させることができた試しがなく、一の反論に対して更に十の疑問が返ってくるのが常だった。


 ほとんどの場合、更新時により良い番号を割り当てられる。それなら番号を遡った先にいる人たちは、最後はどうなる? 栄光のゼロ番が実在するとして、その人間が不在になったらどこへ行くのか?


 逆に、どんな番号も背負えないと判断された無能力者は絶対にいないのか?


 そもそも全ての番号の数と人類の全人口は必ず一致しているのか?


 番号が余っているなら、なぜこの社会は問題なく動いているのか?


 人間が余っているなら、番号を持たない人間がどこかに存在しているのか?


 彼の適性は技術者であり、弁護士の適性を持つ元妻を説き伏せるのは土台無理難題だったと言える。

 お互いに刺激し合うことを期待して、配偶者として逆の性質を持つ者同士を組み合わせるのは良くあるパターンらしいが、彼に元妻を感化させることはついにできなかった。

 反社会的とも言われかねない彼女の性質を改善させるのを期待されているのかと思うと、いっそ恐怖さえ感じた。


 だから、彼女が不在になった時は、彼は一瞬安堵したのだ。やはり彼女を配偶者として割り当てたのは何かの間違いだったらしい。彼女も今は誰かもっと相応しい男のところにいるのだろう。




 ぼんやりとアブセント・マインデッド――これも不在、だ――回想に耽りながら、彼は玄関のドアを開けた。そして明かりが点いていることにぎょっとする。彼は慎重な質で、今朝出勤する際に照明を消すのも含めてしっかりと確認したはずだ。

 警報を鳴らそうとした瞬間、朗らかな声が掛けられた。


「お帰りなさい!」


 声の主は彼と同じ年頃の女だった。元妻より小柄だが、より色白で、髪が長い。


「……早かったんだね」


 家を開錠できるのは、家人以外に有り得ない。ゆえにこの女性は彼の妻だということになる。

 単純に早く仕事を上がったんだね、という意味もあったし、不在から戻るのが早かったね、という意味でもある。

 配偶者の割り当ては年齢だけでなく性格や嗜好など考慮事項が多いので、時間がかかると言われているのだ。


「疑っているの?」


 妻は少し不服げな表情をした。片手を腰にあて、もう片方の手で髪をかき上げる。


「見てよ」


 うなじに刻まれた識別番号。家族構成を示す後半の十桁は、確かに彼のものと連番だった。


「まさか、少し驚いただけだよ」


 彼は取り繕うように言って、買い物袋を掲げて見せた。


「夕食を買ってきてしまったんだけど、良いかな? 酒もある」


 妻は嬉しそうに笑った。


「作って待ってたんだけど……まあ良いわ、食べきれなかったら明日の朝に回しても良いし。

 私も飲んで良いわよね?」


 もちろん、と言って彼も笑った。今度は自然な、心からの笑顔だった。


 やはりこのシステムに間違いはない。帰ってきた妻とはうまくやっていけそうだった。

 何らかの理由で、彼か彼女が不在になるまで。しかしそうなったとしても悲しむべきことではない。より良い、よりしっくりとくる相手が必ず不在を埋めてくれる。




 不在。それはいるはずのものがいない状態。今ここにはいないけれど、ちょっと外しているだけ。すぐにちゃんと帰ってくる。


 社会はこうして回っていくのだ。

お読みいただいてありがとうございます。あなたのSFコンテスト参加作品です。

本作におけるSFは、いわゆるサイエンス・フィクションの他に、Sociolinguistic Fantasy(言葉と社会に関する想像)を目指しています。

どうぞよろしくお願いいたします。

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