2.その娘、神宮桜
神宮桜。
その娘は心優しい子だと村で評判が高い。
好かれる性格に加え、其れなりに整った顔立ち。美しく艶打つ髪は解けば背まで流れ落ちる。家族思いで二つ下の妹を可愛がる姿もこの村では見慣れた光景である。
代々漁師をして来た神宮家に長子として生まれた桜は、生まれた時にはもう海女として後を継ぐことが決められていた。それを、桜は一度も疑問に思ったことは無かった。彼女にとって海は生まれた時よりそばに在り、自分や家族に生きる糧を与えてくれる大いなるもの。時化で海女漁に出られない日があっても、治まれば更なる恵みを齎してくれる。母と同じ道を辿り海に潜る海女になる、それは桜にとって当たり前の事なのだから。
海は好きだ。
透明で、沢山の魚や生き物が居て。水中に居ると、まるで大きくて暖かなものに包まれている気分になる。
何処までも何処までも潜れて、その先にはいつも綺麗な世界が広がって。
13の齢から母と潜り始めてから、桜は海が大好きだ。天候が悪くとも、海中ならそんなに波の揺れは感じない。
まるで揺り籠のようで、心地良く感じることだってあるのだ。
海底の岩に付く牡蠣を取っては籠へ入れる。
“一つ取る度、感謝をしなさい”
素潜りで共に潜る母には、耳にタコが出来るのでは、と思う程に言われた。
“一つ貝を取れば、一つ命を頂くのと同じ事なのだから”
母の言葉の意味が分かってから、桜は一度たりとて感謝を忘れたことは無い。
今日生きられる事を感謝し、海に潜れる事を感謝し、生ける物を食する事に感謝する。
潜る前には、船上から必ず海に土下座で最上級の感謝を伝えてから潜水するのが彼女の儀式となった。
両親を思い妹を思い、自身の最上級の感謝を海に捧げて潜る。そんな彼女は、まるで海に愛されたかの様に潜水能力を花開かせた。
16になる頃には、既に潜水で桜の右に出る者は居なくなった。長年素潜りをしている大の大人でさえも、だ。
時に妹の澪も、目鼻立ちが整っている。
神宮家の娘は姉妹揃って美しいと、18に成らねば、結婚など出来ないのにも関わらず求婚する若人が絶えない。
「お姉ちゃんったら、あんなに格好良いのに断っちゃったの?」
「澪だってこの前断ってたじゃない」
「あたしはまだ早いもの。まだ14だよ?」
あと四年もあるのに、と呆れる仕草をする妹に、桜はくすくすと微笑った。
「こんなに可愛い妹を残して、お嫁には行くつもりは無いの、私は。行くなら澪と一緒が良い。澪が良い人と逢えたら、私もお嫁に行く」
「えー」
無邪気に笑い、道端の野草の花を愛でたりしながら帰途に着く二人を夕日が包んでいた。
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「ああ……何と美しいのだろう」
桜がその華奢な四肢を波打たせ、そこから潜水へと移行する見事なまでの泳ぎに、村人達が感嘆の声を上げる頃。
ほぼ同時刻、別の場所から彼女を遠目に見つめ、熱い視線を送る者が居た。