生首ランデブー
生首がしゃべりますが残酷なものではありません。最後まで読んでいただければ生首のことがよくわかります。また百合的要素や性的な会話が多少あります。苦手な方にはおすすめしません。
私、雪見ナツは深夜になってからこっそりと家を出た。二階にある自分の部屋の窓からだ。
高校生が外出していい時間はとっくに過ぎている。だから大人っぽい格好を心掛けている。でも今日は杞憂に終わった。世界は静寂に包まれていた。
雪がひどく積もったせいで、ぽつりぽつりと点在する周囲の民家はすべて一階建てになってしまっていた。木の幹も埋もれてしまって、三角屋根のもみの木や天蓋型の手入れされた松の木が異様なオブジェとなって雪原を彩っていた。踏みしめる雪は柔らかくて埋まってしまわないように私は飛ぶように歩いた。
こんな寒い夜にこんな状況の外を出歩く人はいない。つーか、田舎だし、普段から夜道で人に出会うことなんてほとんどないのだからますますいるわけもなく、どこに道があったのか、どこが川なのか、どこが畑なのか全然わからない。このどこまでも続く雪原には今、私ひとりしかいない。真っ白で、銀色で、風がなくて、静かだ。静かで気持ちがいい。息を吸い込むと澄んだ空気が私の肺の末端を刺激した。張り詰めた空は宇宙の果てまで望めそうだ。月の表面のウサギのアザがよく見える。私はそのウサギの月灯りを頼りに、ひときわ大きなシラカンバの枯れ木を目指した。
この静寂の世界の住人がもう一人いる。私はその人と待ち合わせをしていた。
シラカンバの木の下にはもうすでに先輩の姿があった。でも今日はどこかおかしい。
なんと先輩には体がなかった。
ただそこに、生首があった。
雪につかないようにしているのか、長い髪の毛をお団子状にまとめている。顔の位置がおかしい雪だるまのようでとても精神的に不安定になる。しかし彼女は安らかな顔で月を見ていた。たとえ生首だとしても鼻先が尖っている綺麗な横顔に変わりはなかった。私は生首の隣に腰掛けた。
「体どうしたんですか」
「家に忘れてきてしまった。パイルダーオンし忘れた」
マジンガーだったのか、先輩は。初代だろうかグレートだろうか。いやいや。
「……それは大変でしたね」
「いや、大変だったのはその前さ」
はて。私はジャケットの襟をたてて膝を抱えた。寒い。
「私はここに来る前、暴れん坊将軍という名の本能と戦ってきた」
「はあ、大変でしたね」
「まあ聞け」
私は膝の隙間に顎を乗せた。寒い。
「ナツの色素の薄い瞳、癖のある栗毛色の髪、砂糖菓子のような肌、パスタみたいな小さな耳、マシュマロよりも柔らかそうな唇、片手で収まる控え目で上品な乳房、桃のような瑞々しい尻、水鳥のようなしなやかな足、それを思い出していたら、ナツがイタリアンのフルコースよりも美味しそうだと思ってしまったのだ。きっとナツはおいしいぞ。だが、勝ったのは本能ではなく理性だった」
何を言っているのだろう、この人は。変態だ。
「はあ……、それは変態でしたね」
「そうなんだ私は変態だったのだ」
「認めるんですか、先輩」
「ああ、大変なことに変態だった。だから首から下を爆発させてきた」
「や、色々な論理まで吹き飛ばしてますよそれ! てか、さっき家に置いてきたって言ったじゃないですか」
「ふむ、そういえば言ったな」
「言いましたよ! もう! どっちなんですか!」
爆発が本当だとしたら大変どころの騒ぎじゃないって!
「爆発させて置いてきたのだ」
「ええっ!?」
どっちもだった。つーか、先輩の行動がエキセントリック過ぎる。
その行動に驚くことは驚くけど、驚きの初期微動しかまだ伝わってこない。
私は膝に頬をぐりぐりとあてた。寒い。
先輩はこれからどうするのだろう。
「まあ聞け」
「聞きますけど」
私は先輩の話に耳を傾けた。
「ありがとう、人類の珍味よ。私はだな、そうしないといけなかったのだ。私にとって今日この日はとても難しい日だった」
人類の珍味はともかく、先輩は左右に少し揺れた。私の気持ちがようやく追いついてきたのかもしれない。
生首でこれからどうやって生きていくのだろうと私は考えた。
「もしも私の首から下をここに連れてきたら大変なことが起こっていた」
「……どんなことですか」
生首になるよりも大変なことなのだろうか。
先輩は目を閉じて言った。
「ナツを抱きしめていた」
「ん?」
今、先輩はなんと言ったのだろう。
私は生首を見つめた。
「ナツを抱きしめていた」
私の名前はナツだ。夏に生まれたからナツと名付けられた。ナツは私のことだ。
え……?
私を、抱きしめていた……?
「な、なななななななななななななな何言ってんですかっ!?」
だ、抱きしめられたら、抱きしめられたら……私は……私は……!!
私は気が動転して生首を持ち上げようとした。私の近くでもう一度その言葉を聞きたかったのだ。が、あれ、重たくて持ち上がらない。仕方がないので抱きついた。生首は血の臭いなんかしなくて、お風呂上がりの匂いがした。きっとここに来る前に血を洗い流してきたのだろう。すると私の耳元で先輩は言った。
「そう、そんなふうにナツを抱きしめていただろうな。そして服を剥き唇を奪い乳房を揉みしだき甘い蜜をすすりまくっていただろう。私はしかしそうしたい気持ちとは裏腹にナツを汚したくなかったのだ」
「だからって、体を爆発させるなんておかしいですよ」
爆発させる必要なんてないじゃないか。それなら私を汚せばよかったのだ。汚されてもいいように私はここに来る前に体を隅々まで綺麗にしていたのだから。肌が乾燥しないように保湿クリームも念入りに塗った。すっぴんで会うのは、そういうしたたかな行動がバレてしまうと思って学校にいるときと同じ薄いメイクをした。それもしたたか過ぎるとは思ったけど、そうしないと怖かった。
先輩の生首から体を離す。
私は気がついた。もしかして、先輩が体を洗ってきていたのは、私と同じ理由だったのではないか?
こんなふうに夜に会うようになってずいぶん経つけど、私の誘いに先輩がずっと応じてくれるのはおかしいと思っていたんだ。好きでもないのに会ってくれるなんて優しいって最初は思っていた。でもそれだけじゃ満足できない自分がいることに気がついた。先輩は私のことを好きなんじゃないのか? だから会ってくれるのではないのか? でも、そうやって疑り深くなっていくのも、私の自意識過剰かもしれないと思うと、先輩の本心を探るのは気が引けた。
こんなことになるなら早く素直になればよかった。でも、もう過ぎてしまったこと。後戻りはできない。失ったものは還ってこない。
私はがっくりとうなだれた。
取り返しのつかないものを失って、両思いだったことを知るなんて、皮肉過ぎないか神様。ねえ神様。
「ナツ……、ナツもそんなふうに考えていたのか」
先輩の優しい声。私ははっとした。
「さ、叫んでました? もしかして」
「はっはっは」
笑われてしまった。先輩は笑う余裕なんかないはずなのに。
「ああ、そのもしかしてだ。耳が痛いくらいだ。これ以上耳元で叫ばれたらショック死してしまいそうだ」
「そ、そんな……」
「死ぬのは冗談だ。まぁ、嬉れションくらいならしてしまうかもしれんが」
「犬じゃないんですから。それにもうその……排泄できないじゃないですか。先輩はバカヤロウです」
「やめろよ、変な顔するな。冗談だよ」
そして先輩は顔を少しだけこちらに向けた。いや、向けてくれたように感じたのだろう。動けるわけがないのだから。
「君の先輩である私は、ナツにとってずっと先輩でなくてはならないのだと思っていたよ」
先輩は少し間をおいて、当てが外れたか? と付け足した。私は首を振った。
違うんです先輩。とても気まずいのです。私の気持ちがバレてしまったことも、先輩が私のせいで苦しんでいたことも、私たちの距離感も、これから先のことも、何もかも。
「ところで。ありがとう、ナツ。ナツの気持ちを知ることができて私は幸せだ」
「そんなこと言わないでください。私どうすればいいのかわかりません……」
「いいや、ありがとう。その気持ちが嬉しいんだよ」
「先輩……、私……」
私は他にどうすることもできなくてやはり生首を抱きしめた。
愛おしい先輩の綺麗な顔。家に持ち帰って、部屋に飾ろうか。そうすれば先輩は一生私のものだ。
でも、できることなら先輩の体を抱きしめたかった。そして抱きしめて欲しかった。だって、その体で先輩はいつも私を正しい道へ導いてくれた。私にできないことを先輩はできたから、私はいつも先輩の背中を見つめていた。憧れだった。私にとって先輩は必要だったけど、先輩は私のこと、必要だったのだろうか。
「どうして体を爆発させたんですか。そうしなきゃ、ダメだったんですか」
どうしても気持ちが込み上げてきてしまう。
こうならなければできなかった真情の吐露。
これは私と先輩の罪だ。だから私は罪を受け入れなければならない。ここでこうして会うことだけが唯一許された時間だと思っていた。けれどそれは気持ちから逃げていただけだ。たとえ生首の先輩でも私は彼女を愛していける。私は彼女を守っていける。私は覚悟を決めた。
「先輩、さっきの返事です」
私は先輩の名を呼んだ。とても恥ずかしくてほろ苦くて、チョコレートよりも甘い言葉だった。
しばらく二人で夜空の星を眺めた。晴れているのに雪が降っているような空だった。なんだかおかしかった。
「ところでナツよ」
なんですか――。と名前を呼ぶ。名を呼ぶたびにお腹が痛いほど締め付けられる。それは愛おしさだ。
「これから私はナツの貞操を奪おうと思うから、私の体を掘り起こしてくれないか」
「…………っ!?」
「はっはっは。そんなに驚くな。体を吹き飛ばしたら普通に死んでしまうだろう」
生首が不倒翁みたいに前後左右に小気味よく揺れる。
「………………」
確かに一理ある。
「こうでもしないとナツの本心は聞き出せないと思ったのだ。騙してごめんな」
「あ、う……」
それも一理あった。
つまりこれは、騙されたのだ。
これは言い逃れようのない爆発詐欺だ!
私はまんまと騙されたのだ!
顔に血が上ってくるのがわかった。私の乙女心が爆発した! してしまった! なんだか色々なモノを奪われた気がする!
先輩はニコニコしながら言う。
「寒いせいか膀胱が刺激されておしっこしたいのだ。あ、そうそうスコップならその辺に転がっているだろう」
「わ、私の力じゃすぐに引っ張り出せませんから。別にお漏らしした程度じゃ嫌いになりませんから」
「そうか、じゃ、遠慮なく」
「生理現象なんですから限界まで我慢してください」
「もちろん、性的な我慢はしているぞ」
「一生埋まっててください先輩」
「何っ!? 本当に死ぬぞ! 私、死んじゃうぞ! そしたらすぐにお葬式だぞ! いいのか!?」
「いいわけないじゃないですか、もう」
でも、私は当分のあいだ先輩と呼ぶことにした。次に私が先輩を先輩と呼ばないときが、そういうときになるだろう。
立ち上がると心に留まっていた不思議な温かさが全身に行き渡った。
たぶん、私たち以外に誰もいないこの世界で、私はいちばんにやけている。
スコップを探し始めるにはちょうどいい体温になっていた。
おしまい
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