第6話 「イヂメがいある奴じゃ」
スク水事件が起きた放課後、教室に残ってノートパソコンを広げている環に藍子が近寄ってきた。藍子は口を一文字に眉間にシワを寄せている。
「あれ? 一目散に立浪裕人の元へ向かうんじゃないのか?」
「タマちゃん、お話があります」
「どうした? 一緒にネットする気になったか?」
「違うよ! 私、ネットのことよく知らないし」
「ふっ、情弱が。だったらさっさと行け。目障りだ」
「駄目、ちゃんと話があるの」
すると藍子は肩幅に足を開き腕組みをして環をにらみつける。環は構わずにノートパソコンの画面を見ていた。「むむ~っ」という非難にも似た藍子の声が聞こえたが気にした様子はない。
「タマちゃん、私は怒っています」
「ほほう。しかしなぁ、怒った人が怒ったって言うか?」
環がニヤニヤしながらノートパソコンから視線を移すと、藍子は涙目になって震えていた。しかし、頬も膨らませているので、悲壮感はまったくなかった。むしろ環のイヂメたい指数を上げたに過ぎない。
「もう嫌! 絶対にあんなこと嫌だからね!
「ほう、どんな誤解だ」
「どんなって、知ってるでしょ?」
「うーん、お前との認識が違うかもしれないだろ。説明してくれ」
「えー。えっとね、朝一番に人前で……」
「人前で?」
「コートの中にね……ごにょごにょ」
朝のことを思い出したのか、藍子は顔を真っ赤にしながら言葉を濁すのがやっとだった。赤面した藍子を見て環の口の端が釣りあがる。
「あ~そうだったな。コート開いたら扇情的な水着で、まるで露出きょ――」
「うわああぁぁんっ! タマちゃん、それ以上言ったらパソコンかち割るっ!」
藍子が涙目のまま近くにあったイスを持ち上げたのを見て環はノートパソコンに覆いかぶさった。
「わ、悪かった。今日のはちょっとやり過ぎだったな」
なんとか藍子をなだめにかかる環。口を尖らせながら藍子は文句を言った。
「あんな人前で水着姿なんて……エッチだよ」
「少しぐらいエッチな女の子が私は好きだぞ」
「タマちゃんの意見は聞いてません! あれじゃあ裕人君に誤解されちゃうよ」
「まぁ、裕人に嫌われたら、私とネットでもして過ごせばいいだろ」
「……うん、そうする」
「ふん。その気もないくせに」
「バレた?」
さっきまでのお怒りはどこへやら、藍子は小さく舌をだして誤魔化す。「まったく。こういう仕草を普通にやってのけるなんてな」環はため息をつきながらノートパソコンへと視線を戻した。彼女は基本的に一人でパソコンをする事が楽しいのだが、あまりにも藍子がネット関係に無関心なので、少しは自分と遊ぶ気はないのかとも思ったりする。こんな感情は矛盾しているし、なんだかんだで人恋しいのかよと自分に突っ込みを入れてしまうのが常だった。
藍子はしゃがみ込んで環と視線を合わせる。環には真剣な話をする合図のように思えた。
「タマちゃん、ちゃんと説明して。大体、ぱーそなるすぺーすの肥大ってどれぐらいになればいいの?」
「それはだなぁ。かなり大きくなるまでだ」
「むう~。具体的には?」
すると環は両手を左右に広げた。しかし環は体が小さいのであまり大きくは感じない。
「とにかくでっかくなるまでだ」
「いつ大きくなるの?」
すると環は言葉につまり、無言のまま藍子を見つめた。藍子も黙って見つめ返す。時間にして三十秒ぐらい続いた。堪えきれなくなった環は手をぽんと叩く。
「あっ、そうそう。ネットしなきゃ。ネトゲの仲間達が私を呼んでいる」
「誤魔化さないで!」
「まぁ、そう悲観するな。パーソナルスペースが大きくなるか否かは、立浪裕人が藍子をより意識するかどうかにかかっているだろ。つまりはお前次第だ」
「そうだけど」
顎に手を当てて考え込む藍子を見ると環はなんともいえない気持になった。恋人の悩みを聞くなんて友人だとよくある事なのかもしれない。友人だから応援するのが普通だろう。でも、同時に嫉妬のような感情も芽生える。藍子を独り占めしているのに取り残されたような感覚。だから嫌なんだ、人と関わるのは。環はノートパソコンの無機質な画面へ目をやると優しい口調で藍子へ答えた。
「とにかく、今日は良く頑張った。約束どおり褒美はちゃんとやるよ」
「なに?」
環は藍子を見ずにポケットから紙を取り出す。紙を受け取った藍子は黙読した。
「ほれ。これを読め」
「なにこれ?」
「今、駅前のネットカフェでカップルキャンペーンを行なっていてな。なんでもカップルで入店して二時間いるだけで、モンハンのレアアイテムゲットのイベントコードをもらえるらしい」
「モンハン?」
「『モンテスキューハンティング』というネットゲームのことだ。主人公はヤンキーで小難しいことをいう哲学者に焼きを入れるというゲームでな。かくいう私も……」
さらに説明を加えようとする環を藍子が手で制した。
「ようするに、裕人君とネットカフェに行ってイベントコードをもらってきて欲しいというわけだ」
「要するにそうだ。ちなみにキャンペーンは今日まで」
「タマちゃん!」
「な、なんだよ」
環は怒られるかと思い、ノートパソコンを庇うように手を伸ばした。同時に藍子も手を伸ばし、環の手を握る。環は体を強張らせた。
「タマちゃん、ありがとう!」
「え?」
「カップルで入るって事はカップルシートなんかに座ってカップルストローなんかで飲み物飲んで、それで、それで……」
藍子は顔を火照らせ、上を向いて両手で頬を覆った。妄想でおなか一杯になった姿を見た環は小さく笑ってノートパソコンへ視線を落とす。
「早く立浪裕人を誘ったらどうだ? プリンセスタイムが終わるぞ」
「――はっ! そうだった。 じゃあ行ってくるね!」
藍子は駆け足で教室を出て行った。一人残された教室で環は机に肘をついてため息をついた。