第4話 「男の子ってこういうの好きでしょ」
環が渡してくれたA4の用紙。そこには裕人の体質についての考察が書かれていた。
藍子がさらに読み進めると、彼の体質への対策の記述を発見した。持っている紙にも力が入る。紙には以下のように記述されていた。
『一説には短時間で数多く接点を持つことらしい。長時間では駄目。ただ、これにはかなり長期間を要する。コツコツと家族的な愛に昇華させれば、自然と距離も縮まるだろう』
「うーん。やっぱり時間掛かるのか……」
藍子は肩を落とした。若い彼女には長期戦で物事を考えるということは苦痛でしかない。その点を見越して環の文章には続きがあった。
『どうせ藍子に待つ事を説いても無理なので、私が考えた結論を書く。それは……』
「ちょっと待って、ドキドキするからお茶を飲ませて!」
藍子はコップに入ったお茶を一気に飲み干すと、再び紙へ集中する。
『それは意識を最大限にまで肥大させて無力化させることだ』
「肥大? 無力化?」
『意識する感覚を麻痺させるのだ。例えるならば、サーバーへ一気に大量のアクセスをすることでシステムをダウンさせる要領だ』
「後の説明は分からないけど、裕人君にもっと私を意識させれば良いわけだね」
パソコンのことはちっともわからない藍子はなんとなくのイメージで物事を判断した。環に言わせると藍子の魅力の一つらしい。
「でも、具体的にはどうすれば……」
腕を組んで悩みだす藍子。しかし、紙にはまだ続きが書いてあったので、まずは読むことにした。
『ここからは自分で考えるのが一番だが特別に私がいくつかの例を書いておく。参考にしろ』
「さすが、タマちゃん!!」
環のアドバイスを元に彼女はその後、次の日のために徹夜した。
次の日。
向坂高校の長く緩やかな坂を上る生徒達。皆、一様に寒さと坂道でしかめっ面で歩く……はずだが今日は少し様子が違っていた。
「裕人くーん!!」
藍子が通るたびに皆が驚きの目を向ける。大声で呼ぶ彼女にいつもなら誰も気にしないのだが……
今日は事情が違った。
「あ、藍子ちゃん。おは…………」
裕人は振り返った格好のまま凍りついた。
黒のニーソ、白のペチコート、フリフリレースのミディアムエプロンに紺のミニスカートのワンピース。胸元には可愛らしいリボンが付いていて、極めつけは頭についているレースつきのカチューシャだった。誰がどう見てもメイド服。
「どどどどっどーしたのその格好!」
口をあんぐりと開けて、藍子を下から上にと視線を移す。
いつのまにか裕人と藍子の周りに人だかりができつつあった。
「あの、あんまり見られると恥ずかしい!……かも」
「ご、ごめん!」
状況が飲み込めないまま、裕人は藍子に背を向けた。「ああっ」と声をあげ、藍子は裕人へ呼びかける。
「でも、やっぱり見て欲しい!……かな」
裕人は正面で向き合うことができず、半身の体勢でチラチラと藍子へ視線を向けた。
「で、でも、なんでメイド服を着てるの!?」
すると藍子は顔を赤くした。さらに軽く拳を握った手を口元に当てて、腰をよじらせてしなをつけた。
「男の子ってこういうの好きでしょ」
囲んでいる生徒達から一斉に声が上がる。一際興奮している生徒が感極まって叫んだ。
「明らかに間違った解釈をしてる! しかし!! イイ!! いいよ!!」
叫んだ犯人は裕人の隣にいた彦野悟だった。拳を振り上げやたら興奮している。どうやら彼にはツボだったようだ。一方の裕人は藍子を直視できない。
環のアドバイスは立浪裕人の属性を掴み、欲望を直撃する事だった。例としてメイド、妹、スク水(スクール水着)、巫女など色々挙げられていた。根っからのネット人間である環らしい発想である。
環チョイスを信じつつも、その中で比較的無難なメイド服を藍子は選んだ。ちょうど文化祭でメイド喫茶をやったこともあって衣装が間に合ったという事情もある。
藍子はしゃがみ込みそうになる気持を押さえ、なんとか立っている。もちろん恥ずかしい。逃げ出したい。だが、これも全て裕人のためだと我慢している。
「裕人君、これじゃあ駄目? やっぱり体操着とかの方が……」
「いや、これで成功だ」
声の方向へ振り向くと、そこには環が立っていた。スマートフォンと裕人を交互に見ている。
「立浪裕人は藍子を直視できていないではないか。これこそ意識している証拠!」
「それじゃあパーソナルスペ――――きゃっ!」
話している途中、藍子は背中を押される感覚と共に弾き飛ばされ、メイド服のまま派手に転んだ。
それを見た環は素早い動作でスマートフォンをこちらへ向け撮影を始めた。
「ドジメイドキター!! もう我慢できん! うは~、早速、ネットにアップしよう。何人が釣れることやら……フフフッ」
不敵な笑みを浮かべて環はスマートフォンを操作する。どうやら彼女の狙いはここにあったようである。
反対にわけが分からないのは藍子である。上半身を起こし、肘辺りをさすりながら周りを見回した。
「痛っ……なんなの一体」
藍子が振り向くと、裕人が遥か遠くに立っているのが見えた。二人の間には何も邪魔するものはない。立ち上がって裕人に近づこうとするが、押し戻されるような感覚をおぼえて先に進めない。状況から考えてどうみても裕人の体質が原因。
彼女は裕人を意識させる事でパーソナルスペースを肥大化させることには成功した。距離にして七メートル。つまり、今までの倍。
「た、タマちゃ~ん!!」
「ふむ。刺激が中途半端だったようだな」
「え―――――っ!」
仁村藍子の戦いはまだ始まったばかりである。