最終話 「That's all,folks」
向坂高校へ向かう生徒は皆、一様に辛そうな顔をしている。理由は高校の立地条件に由来する。学校自体が山を切り崩して作られているので、校舎までには長く緩やかに続く坂を上らなければいけないのだ。もちろん仁村藍子も例外じゃない……はずだった。
でも、彼女にとってはこの坂は苦にならなかった。それは隣を歩く立浪裕人がいるからである。
「裕人君、今日のお昼休み一組に行ってもいい? いっしょにお弁当食べよ」
「いや、それだったら僕が三組に行くよ」
「ホントに? じゃあ特等席用意して待っておくね!」
「普通の席でいいよ」
藍子にとってこんな他愛も無い会話ができること自体が幸せだった。なにせ今までは近づくことさえできなかったのだから。
藍子が裕人に薬を飲ませたことで、彼の症状は治まった。さらに関係者が黙っていたことで、町内に起きた事件は原因不明の事件として扱われた。今も世界中の研究者が訪れてフィールドワークしているようだが、なんの手がかりも掴めなかった。
「藍子ちゃん、あの時は本当にありがとう」
「気にしなくてもいいよ。キスもできたし役得、役得♪」
藍子は気になっていることがあった。それは裕人の部屋で告白したと同時に三メートル五十センチ以内に近づけたのは、裕人が心を許してテリトリ―に入れたからなのか、夕方が来たからか。今となっては検証しようもない。
だが、町内テリトリー事件以後、裕人は藍子のことを名前で呼ぶようになった。それだけで藍子にとっては心を開いてくれた証拠になったので、一応の結論としている。
「おい、立浪裕人。藍子とくっつきすぎだ! 今すぐ離れろ! 節操を知れ、節操を!」
藍子の隣頭一つ下で環が、抗議の声を上げた。環は事件後、ネット上に嘘の情報を流し、研究者たちをかく乱させてくれた実績を持つ。文句を言う割には結局藍子のためであれば一肌脱いでくれる親友なのだ。
坂を上りきった場所に校門がある。三人が到着すると、大またを開き、腰に手を当てて迎える女子生徒が一人。
「待ってましたよ、環さん。もっと学校のこと、地球のことを教えてください」
「お前は入江アン! 証拠にもなく、まだいたのか!」
入江アンも事件以来、環に怒られたことで、彼女を慕っているのだった。
「お前は星に帰れ!」
「ワクチンはもう送りましたから、私の自由ですよ」
「ぐぬぬぬ……藍子、私は先に行く」
「環さん、待ってくださいよ」
走り去る環においかける入江アン。藍子と裕人は笑いながら見送った。
「んじゃ、僕たちも行こうか」
「うん」
藍子がそっと手を前に出すと、裕人が包み込むように手を握る。暖かくて男らしいごつごつした感触に藍子はドキドキした。
小さく手を振りながら二人は歩き始める。
「ちょっと待った~!」
藍子と裕人が振り返ると、数人の男子が立っていた。そのなかでリーダー格の男が前に出る。リーダーは彦野悟だった。
「藍子ちゃん! コスプレはどうしたのさ!」
「えええっと」
「そろそろ、ネコミミよろしく!」
「あわわわ……」
藍子が悟の勢いに押され一歩二歩と後ろに下がると、同時に裕人が彼女の前に出る。
「僕の彼女なんだから、望まないコスプレはさせない」
「裕人君……」
藍子を守ろうとする裕人の背中が一段とたくましく見えた。
彼女は皆に見えないように、そっと裕人の背中へと手を触れさせる。
手の平からは背中の温かさと心臓の鼓動を感じられた。
「ふざけんな、みんなの藍子ちゃんに決まってるだろ!」
「行こ、藍子ちゃん」
「うん」
「ちょっと待てよ!」
裕人が走り出して力強く藍子の手を引っ張り走り出した。
いつまでも手を握っててくれないかなぁと藍子が思う。
心地よく手を引かれ、校舎の中へ入っていった。
『テリトリープリンセス』完
活動報告に「あとがき」を載せました。
よろしければ、お読みください。