第16話 「ファーストキスの相手は?」
アンを見送った藍子に背後から声が掛かった。
「なんだか大変そうだね」
「彦野君」
「オレの名前覚えててくれたんだ。ありがと。ちょっといいかな?」
藍子が環を見ると真理亜と真剣に話をしていた。今後のスケジュールでも話し合っているのだろうか。
「うん、いいよ」
悟について人気のない路地へとはいった。
「悪いな、裕人じゃなくて」
「そんなことないけど」
「さっきさ。偶然話を聞いちゃったんだけど。入江アンと裕人がキスした現場を見ちゃったんだって?」
「……うん」
「初めてのキスを取られたと思った?」
「えっ!? ……うん」
「それなら心配ないよ」
「どうして?」
「裕人のファーストキスの相手は俺だからさ!」
「えええぇぇぇっ!」
藍子は口許を手で押さえつつ後ずさりした。悟はすぐに意味を察知した。
「違う。違うんだよ! 中学の頃、修学旅行で酒飲んじゃって勢いでだよ! ホントだよ! あの後二人で泣いたんだよ! 初めてのキスがああぁぁって」
手をジタバタさせて弁解する悟を見ているうちに藍子はなんだか自分が変なこだわりを持っているのかもしれないと思えてきた。誤解が解けたと判断した悟は「いきなりだけど」といって真剣な表情で藍子へ質問した。
「不躾な事聞くけど藍子ちゃんから裕人へ告白したんだよね」
「うん」
藍子がうなずくと悟は小さく息を吐く。
「だろうね。アイツから告白するなんてありえない」
「どうして?」
彦野は場を和ませようとしているのか、笑顔で藍子に話しかける。
「すぐに『いいよ』って言ってくれたでしょ?」
「彦野君、何が言いたいの?」
「まぁまぁ、最後まで聞いて。実はアイツ、誰の告白でも受けているんだよ。断ったりすると逆にヤル気出したりするから。『いいよ』って言っておいて、相手が根負けするのを待つんだ」
ただえさえキス事件で傷ついてる心に塩を塗るような彦野の言動の意味が分からず、藍子は戸惑った。
「でも、それは多分、嘘だと思う」
「え?」
「アイツ、きっと何処かで自分を受け入れてくれる人が現れるのを待ってるんだと思う……あくまでも友達の勘だけど」
藍子は考えてみると自分の言うことになんでも「いいよ」と言ってくれる裕人の姿しか思い浮かばないことに気づいた。
「今までは皆、一・二週間で諦めたんだ。やっぱり、いつも近くにいる人が良いもんな。だから、藍子ちゃんが一番長い記録なんだぜ。自慢しても良い」
藍子は彦野が自分を励まそうとしているのだと分かった。そうした彼の気持ちが嬉しかった。
「話を少し変えようか」
「うん」
「アイツ、自分の体質が入江アンのせいだと分かってから、ずっと彼女と一緒にいるだろ? あれってさ彼女から自分の体質を治す方法を聞きだすためなんだって」
「――っ!」
「裕人も少しずつ君との事を本気になってきたんだろうな」
藍子の脳裏にオレンジ色に染まる水面が浮かんだ。これは裕人との思い出の光景だった。「あの風景を大切にしたい」藍子は自然に拳を握っていた。
待ってるだけじゃ駄目なんだ。今までのようにぶつかっていこう。裕人への想いを自分の頭に叩き込む。
「誤解は解けたかな?」
藍子は首を縦に何度も振った。
「悟君。ありがとう」
お礼を言いながら走り去る藍子を見送りながら、彦野は自分が本当に言いたかった事を思い出した。
「藍子ちゃん! 頼むからコスプレ復活してくれ~~~っ!!」
一方、騒ぎの元凶である立浪家は静まり返っていた。