第10話 「藍子たんハァハァ」
裕人は居間でテレビを見ながら考え事をしていた。それは姉にどうやってこの状況を説明するかであった。帰ってきたら、いきなり弟の彼女が料理作ってるなんて状況が面白いはずがない。食事当番は裕人の仕事なので、料理については何も言わないかもしれないが、嫁と小姑の対決が結婚もしていないのに繰り広げられるかもしれない恐怖に身震いした。
彼の心配が頂点に達した頃、家のチャイムが軽快なリズムをとって鳴る。チャイムの鳴らし方からして裕人は姉が帰ってきたと分かり、そっと玄関を開けた。
「姉貴、お帰り」
「ただいま。さっき庭先でこんなの拾ってきた」
裕人の視界には姉の横で肩を落としている同じ学校の女子生徒が立っていた。彼はその子に見覚えがあった。
「君は井端環さん?」
「私の名前を知っているとはさすが藍子の――」
環の言葉を裕人の姉は遮った。
「不法侵入者が偉そうに言わないで」
「す、すいません」
「あれ? タマちゃん?」
玄関が騒がしいので様子を見に来た藍子は環の姿に驚いた。とはいえ、裕人がいるので奥から顔を出すことしかできない。
裕人の姉は大袈裟に口を歪ませると、嫌味たっぷりに裕人へ話しかけた。
「なんだか今日の我が家は賑やかね……どういうことか説明してくれる?」
「あ、あの。これはね……」
「いや、話をさせてくれ。元々作戦を立てたのは私だ」
ということで、リビングにて環が事情を説明する事になった。藍子だけが家の奥で座っている。
環は比較的簡素に事の成り行きを説明した。そこで重要視したのは、あくまでも自分がそそのかした事と藍子が裕人の事を本当に好きだということだった。
腕組みしまま裕人の姉は頷いた。
「なるほど。だいたい事情はわかった」
「藍子、悪かった! 悪ふざけが過ぎたようだ!」
携帯電話を片手に環は頭を下げた。
かなり離れた先で携帯電話もった藍子は首を振る。
「大丈夫。もともと、妹になるつもりで来たんじゃないよ。私もそんなにバカじゃないし。ただ、裕人君にお料理を作りたかっただけだから。だから、お姉さん環を叱らないでください」
「……藍子」
「電話で話すな。ほとんど聞こえないでしょ」
環が携帯電話を裕人の姉に渡すと藍子はさっきと同じ言葉を姉に告げた。
腕組みをしながら姉は少し考えるとポツリと言った。
「まず、私の名前は立浪真理亜といいます」
『はい! 私は仁村藍子といいます!』
「元気がいいな。まぁ、まず自己紹介したのは、これからの付き合いのためだからね」
『どういうことですか?』
「しばらくウチの妹になる?」
「姉貴、なにいってるんだよ」
裕人の抗議を手で制し、話を続ける。
「私も常々弟の体質を心配していたの。どの医者に見せても原因は不明だというし。将来、こんなヤツ好きなってくれる物好きがいるのか? と思ってた」
「自分の弟に無茶苦茶言ってるな」
環が思わず呟くと真理亜が睨みを利かせる。すると環は横を向いて大袈裟に口笛を吹きだした。環を見て「ベタな仕草だなぁ」と裕人は思った。
真理亜は視線を家の奥にいる藍子に向けると、話を続ける。
「ここまでして裕人を好きになってくれる人間……いや、藍子ちゃんがいることが分かって少し安心したよ。良かったな裕人」
裕人は何も答えられずに姉を見つめた。真理亜は優しく微笑み、しかし口調は厳しく弟に話しかけた。
「彼女を大切にしなさい」
「……うん」
裕人自身は自分の体質に対して諦めにも似た気持を抱いていた。しかし、『裕人君の体質を治すために……戦う』といった彼女の気持ちも大切にしたいと思えた。
真理亜から携帯電話を受け取り、裕人は藍子へ話しかける。
「ありがとう。気持は嬉しいよ。姉貴もこう言っていることだし、今日ぐらいは泊まっていかない? 妹として」
しかし、裕人の言葉を聞いた藍子は首を振る。
「折角だけど遠慮しておくね。良く考えたら今、私がなりたいのは妹でもなく家族でもなくて……裕人君の恋人だから」
「藍子ちゃん」
立浪まりあは携帯電話に耳を当てて、二人のやり取りを聞いていた。「うあああっ」と思わず言葉を漏らす。
「……裕人。彼女を私にくれ」
「なに言ってんの? 姉貴」
「藍子ちゃん。いや、藍子たんを私の世界にご招待したい」
裕人が姉の目つきが血走っているのを目撃した。前々から、姉は女友達ばかりを家に連れてくるなぁと裕人は思っていたが、まさか……
「藍子たん、私のことはお姉様と呼んでくれてよくてよ」
裕人は自分の姉がそういう趣味だと確信した。
「止めてくれ。というか仁村さんはモノじゃない」
「チッ」
わざとらしく大袈裟に舌打ちする真理亜に裕人と環は「うわっ。この人マジだ」と身震いした。部屋の奥で藍子は首をかしげた。
その後、四人は藍子の作ったカレーを食べる事になった。
「うーん、上手い。藍子たんのカレーは美味しいねぇ」
「ありがとうございます!」
「藍子たん、今日だけじゃなくて、いつでも夕食つくりに来て良いからね」
「はい! お姉さん」
「ちちちっ。お姉さんじゃなくてお姉様。本当に可愛いなぁ……」
「ありがとうございます。お姉様!」
「うはぁww藍子たんハァハァ」
笑顔の藍子対して舌なめずりする真理亜。二人の状況をデジカメを忍ばせて待機する環。
すると別の部屋から大きな声が聞こえてきた。
「姉貴。それ以上近づくなよ!」
「お前はその距離で一生悔しがってなさい。私と藍子たんは……」
「待て―――――いっ!」
「きゃああああっ!」
「裕人! こっちに来るなっ! 藍子たんが吹き飛ぶだろう!」
「わわわっ、ごめん!」
「よし、ネタゲット!(この状況をデジカメに収める環)」
慌しくも楽しい団欒の時間はあっというまに過ぎていった。食事の片付けを終えた藍子と環は帰る事にした。玄関には藍子と環、そして真理亜が立っている。
「藍子ちゃん、送っていこうか?」
「……ううん、心配しないで」
電話越しに裕人の声が聞こえてきた。彼だけは別室で待機しているのだ。いつもの半分ぐらいの笑顔で応える藍子の反応を見て環が口を挟む。
「お前じゃあ何の役にもたたんだろ、近づけないんだから」
「タマちゃん!」
「ホントの事を言ったまでだ」
「気にしないで裕人君……って凄い肩落として落ち込んでる」
今回はテレビ電話なので裕人の姿は携帯電話に映っていた。
「藍子、気にするな。アイツはもうちょっと落ち込んだほうが良い」
「でも……」
環が藍子の腕を引っ張って帰ろうと玄関を開けた。
ドアが開かれると同時にとてつもない大量の光が辺りが差し込み始める。
「ええっ!」
「なんだ?」
ドアが自然に勢い良く開かれると家の中まで光に包まれ、家の中にいる四人は手で瞳を覆って遮るのが精一杯だった。
あまりの眩しさに誰もが目を瞑らなくてはいけなかったが、しばらくすると少しずつ視界が開けてきて周りが見えるようになった。
「ようやく見えるようになった……はぁぁ? なんだあれは!」
「タマちゃん、なんなの一体……」
「あれは……世界も進んだなぁ。こんなものが現れるなんて」
藍子達が見たものは自分達の予想をはるかに超えたものだった。