第1話
目を覚ますと、目の前がふわふわした毛並みでいっぱいだった。
狭い巣の中で、つがいのメスがボクに覆い被さるように眠っている。丸い耳は長い髪に半ば隠れ、柔らかな毛並みの頬がボクの肩に寄り添っていた。丸みのある体つきはボクよりひと回り小さい。大きなお腹が、寝息に合わせてゆっくりと上下している。
その中には、ボクたちの子供がいる。
そろそろ、生まれるかもしれない。
起こさないように、そっと巣を抜け出した。手に取ったのは、いつもの石槍だ。
もっと栄養のあるものを食べさせよう。
そう思って、今日はいつもより遠くまで出かけた。
途中、水たまりを見つけて足を止めた。喉が渇いていたので、身をかがめて水を飲む。両手ですくうのも面倒で、ボクは舌を出して水面へ口を近づけた。
水に映ったのは、小柄なノルン族のオスだった。
金色がかったブロンドの毛並みは、寝起きのせいで少し乱れている。大きな耳に、短い手足。丸みのある体の額には、光を受けてきらめく宝石質の部位がある。首元の豊かな毛に埋もれるようにして、首飾りが揺れていた。
この首飾りは、昔このダンジョンで拾ったものだ。淡い翠色の光を放つ、生命力に満ちた樹が描かれている。気に入ったので、ずっと身につけていた。
水を飲み終え、顔を上げる。
ここには、外から光が差し込む場所がある。けれど、ボクたちが暮らしているのはダンジョンの中だ。ノルン族は、ダンジョンの外に出てはいけない。それが掟だった。
外には恐ろしいものがたくさんいる。
ボクたちを食べる魔獣。病。そして、額の宝石を狙うニンゲンという生き物。
そう教えられてきた。けれど、ボクはその掟を、ずっと不思議に思っていた。
脆い巣を作り、石を使ってその日の食料を取る。お腹いっぱい食べたら、尾を重ねる。そして、また同じ暮らしを繰り返す。
もちろん、ボクもそうしてきた。
でも、生まれてくる子供も同じように生きて、同じように死んでいくのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、美味しそうな木の実を見つけた。手に取って確かめると、甘い匂いがする。
これなら、喜んでくれるだろう。
ボクは木の実を抱えて、満足しながら巣へ戻った。子供の名前を考えながら。
◇
巣に戻ると、いつもと様子が違っていた。
木の実を抱えたまま、ボクは足を止めた。
巣が壊れている。
積み重ねていた枝や草は散らばり、奥まで荒らされていた。地面には、赤黒い血の跡が残っている。
「……ピュウ?」
呼んでも、返事はなかった。
つがいのメスが眠っていた場所には、乱れた草と血の跡だけが残っていた。あのお腹の中にいた子も、もういない。
さっきまで、子供の名前を考えていた。
生まれたら、どんな声で鳴くだろう。どんな毛並みをしているだろう。そんなことを思い浮かべながら、木の実を選んでいた。
腕の中の木の実が、急に重くなった。
ボクは巣の周りを探した。名を呼び、耳を澄ませた。いつもなら、誰かの鳴き声や足音が聞こえるはずだった。けれど返ってくるのは、ボクの声と、静けさだけだった。
ほかの巣にも向かった。
どこも壊れていた。草や枝は散乱し、血の跡が残っている。いつもノルン族が集まっていた場所にも、誰もいなかった。呼びかけても、姿を見せる者はいない。
ボクは、知っている場所をひとつずつ確かめた。
みんながいた巣。食べ物を探しに出る場所。身を寄せ合って休んでいた場所。
どこにも、ノルン族はいなかった。
残された巣の傷跡と血の匂いは、大型の肉食獣がここを襲ったことを告げていた。逃げ足の遅いノルン族が、あれに襲われて助かるはずがない。
つがいのメスも、お腹の子も、みんなも。
ボクだけが、ここに残ってしまった。
ダンジョンの中にノルン族はもういない。そう思うしかなかった。知っている場所をすべて探しても、誰ひとり見つからなかったのだから。
「……ピュウ……」
声がかすれた。
返事はなかった。
抱えていた木の実が、手からこぼれ落ちた。ひとつ、またひとつ。拾おうとは思えなかった。
もう、食べさせる相手はいない。
それでも、ほんの一握りの希望に縋るように、ボクは歩き出した。
もう誰もいない。巣は壊され、仲間の声も聞こえない。ここに残れば、ボクはひとりで生きるしかなかった。
外には恐ろしいものがいる。魔獣も、病も、額の宝石を狙うニンゲンもいる。掟を破れば、命を落とすかもしれない。
それでも、ここにいても何も変わらない。
もしかしたら、ダンジョンの外には、まだノルン族がいるかもしれない。ボクを助けてくれる誰かがいるかもしれない。そんな望みが本当にあるのかはわからなかった。けれど、確かめに行かなければ、何も見つけられない。
ボクには、もう帰る巣も、待っているつがいもいない。
だから、外へ出るしかなかった。
光の差す方へ進むにつれ、足元の地面が少しずつ明るくなっていく。やがて、頭上を覆っていた岩の天井が途切れた。
外は、どこまでも広かった。
淡い光が空いっぱいに広がり、風が頬の毛を揺らした。草が地面を覆い、その向こうには背の高い木々が連なっている。遠くに見える山並みは、ダンジョンの中では見たことのない大きさだった。
ボクは立ち止まり、初めて見る景色を見上げた。
怖くないわけじゃない。
それでも、ここから先へ進まなければ、ボクの知っている世界に希望があるのかさえわからない。
ボクは、ダンジョンの外へ踏み出した。
◇
今朝のことを思い出すと、今でも胸がざわつく。
フィールドワークの最中、見たことのないダンジョンを見つけた。地図にも記録にもない場所だった。私は入口を前にして、ここは未開のダンジョンなのかもしれないと思った。
そのとき、見慣れない生き物が中から出てきた。
小柄な体で、ふらふらと二本足で歩いている。金色がかった毛並みと大きな耳。首元には、何か飾りのようなものが見えた。
生き物は数歩進んだところで、二足歩行をやめた。四つ足になり、それでも進もうとしていたけれど、やがて力尽きたようにその場へぐったりと倒れ込んだ。
弱っている。そう感じた。
私は警戒させないよう、ゆっくり近づいた。敵意がないことを伝えるように動きを抑え、持っていた水を差し出す。生き物はかすかに反応し、水を飲んだ。
そのとき、額に光が走った。
太陽の光を受けて、宝石のようなものが輝いている。
見覚えがあった。学校で読んだ文献に、額に宝石を持つ種族の記述があった。ノルン族。かつて広く知られていたものの、とうに絶滅したと思われていた種族だ。
そのノルン族が、未知のダンジョンから出てきた。
その瞬間、付近から別の生き物の鳴き声が聞こえた。私は考えるより先に、弱ったノルン族を抱き上げた。
今は、この子を保護するのが先だ。
鳴き声のした方を気にしながら、私は拠点へと急いだ。
◇
拠点に戻ると、私はノルン族を毛布で包んだ。
小さな体は、毛布にくるまるといっそう頼りなく見えた。額の宝石が、布の隙間からのぞいている。
「私はオリヴィア。あなたを助けたいの」
ゆっくり、落ち着いた声で話しかけてみる。
けれど、言葉は通じない。ノルン族は返事をせず、毛布の中から私を見つめていた。
じっと、私の顔を見ている。髪や服、手の動きまで、確かめるようにじっくりと観察していた。
やがて、小さな口が開いた。
「ピュウ」
ノルン族は、そう鳴いた。
◇
翌日
拠点にしているコテージは、山の中にひっそりと建っている。
木の壁に囲まれた室内はこぢんまりとしていて、窓の外には朝の山景色が広がっていた。私はコーヒーを淹れ、黒いパン――夜空パンをひと口かじる。香ばしい苦みが、目の覚めきらない頭に染みていった。
ハイロニアは、女神アルマが築いた自然豊かな多種族国家だ。伝統魔法や学問を重んじる一方、空中都市や浮島、飛空艇が行き交い、結晶の灯りが街を照らす。森や山にも、まだ人の知らない場所が残されている。
今回のダンジョンも、そうした未踏の場所のひとつなのだろう。
毛布に包まったノルン族を前に、私は文献を調べてみた。けれど、ノルン族についての記録はほとんど残っていなかった。かつて存在し、すでに絶滅したと考えられている種族。手に入った情報は、そんな断片ばかりだった。
試しに、夜空パンを少しちぎって差し出してみる。
ノルン族は、ためらう様子もなくパンを受け取った。小さな手で持ち、夢中で食べている。よほどお腹が空いていたのか、美味しそうに頬張っていた。
人懐っこいのか、それとも無警戒なだけなのか。
私がそっと毛並みに触れても、嫌がる様子はなかった。むしろ気持ちよさそうに目を細め、ころんと寝返りを打つ。そのままお腹を見せて、毛布の上に身を預けた。
額には、太陽の光を受けて輝く宝石。体は小さく、手足も細い。見た目からして、戦う力が強いようには思えなかった。
無防備で、目を引く額に宝石を持ち、体も貧弱。絶滅したと言われていた理由が、少しわかった気がした。
「あなたはオスなの? メスなの?」
問いかけても、返事は鳴き声だけ。ノルン族は毛布の上で寝転がり、こちらを見上げていた。
私は身体の様子を確かめるうち、奇妙なことに気付いた。
私は牧場を営む両親のもとに生まれ、幼い頃から動物とふれあってきた。学校では生物学を専攻し、今はハイロニアの自然保護官として働いている。博士と呼ばれるほどではなくても、動物には詳しいつもりだった。
それでも、ノルン族の身体的な特徴は見たことがなかった。
小柄な体を覆う毛並みは、金色がかったブロンド。長い耳と、胸元を包む豊かなファーが目を引く。胸の毛をそっと分けてみると、その奥には乳房があった。
メスなのだろうか。
そう思って後ろ脚の間を確かめると、そこにはオスの特徴が見て取れた。
両性具有――確かに、そういった生態を持つ生き物もいる。けれど、かなり稀なことだ。
「ユン……」
私が毛並みを優しく撫でると、ノルン族は気持ちよさそうに鳴いた。本当に野生動物なのだろうか。
前足で器用に毛布をつかみ、身体に掛け直す。パンを持てば、小さくちぎってから食べていた。仕草を見ていると、少なくとも一定の知性があるように思える。
「ピュウ!」
「ミュ」
「ユン……」
「ムミュミュ!」
そんな鳴き声で、ノルン族は私に応えた。
名前がないままでは不便だ。そう思った私は、目の前の小さな生き物を見つめた。
「ユム……あなたはユムね」
そう名付けると、ユムは「ピュウ」と鳴いた。
◇
ボクは幸運だった。
ダンジョンを出たあと、緊張の糸が切れて倒れたボクに、二足歩行をする大きな毛の少ない生き物が水を飲ませてくれた。匂いからして、メスの大型生物だ。彼女はボクを捕まえ、巣へ連れ帰った。
最初は、雛に餌として与えられるのではないかと警戒していた。
けれど彼女は、柔らかくて食べたこともないほど美味しい黒いものをくれる。巣は大きく、暖かい。
それに、肉球のない五本の指は、ボクが気持ちいいと思うところを的確に撫でてくる。思わず寝転がってしまうほどだった。
彼女と過ごすうちに、少しは喪失の悲しみが紛れた。けれど、ボクが天涯孤独だという事実は変わらない。
このままここで養われていても、いつかボクは死ぬ。そうなれば、ノルン族はいなくなってしまう。
なんとしても、増やさないといけない。
この生き物の巣で共生し、交われる相手を探そう。ノルン族は同性でも交配できる。遺伝的に異なる別の種族がいるなら、交雑してでもノルン族を残したい。
そのとき、下腹部に重い違和感が走った。
久しく忘れていた感覚だった。お腹の奥が、ゆっくりと押し広げられていく。長いあいだ止まっていた産卵が、また始まろうとしているのだろうか。
力を入れても、すぐには産まれなかった。波のように強まる圧迫感に、ボクは毛布をぎゅっと握る。小さな身体に力を込めるたび、息が詰まり、額の宝石が毛の間で揺れた。
ひとりで耐えるのは心細かった。
以前なら、そばにはつがいがいた。苦しいときには寄り添い、産まれた卵を一緒に守る相手がいた。今はもう、誰もいない。
それでも、産まなければならない。
卵を産むことは、ノルン族が命をつなぐための大切な営みだ。けれど、この卵が無精卵なら、これだけではノルン族は増えない。いつか交われる相手を見つけ、子を残すためにも、ボクは生きていかなければならなかった。
毛布を握りしめ、もう一度、力を込める。
「……っ」
コロ。
ようやく、卵が産まれた。
糸を引く無精卵を見つめながら、ボクは荒い息を整えた。これで終わりではない。ノルン族を残すためには、有精卵を産まなければならない。
産まれたばかりの卵は、ボクの毛並みと同じように、きらきらと金色に輝いていた。
普段なら、ボクたちは無精卵を割り、中身を啜る。卵は勝手に産まれてしまう。そのぶん、身体の栄養も持っていかれるから、少しでも取り戻すために、みんなで食べるのだ。
ボクは卵を両方の前脚で抱え、大型生物に差し出した。
共生は、どちらか一方が与え続けるだけでは成り立たない。ボクが食べ物や寝床をもらうだけなら、いつか見放されるかもしれない。あるいは、食べられてしまうかもしれない。
ボクを生かし続けることにも、メリットがある。
そう思ってもらうために、産みたての卵を差し出した。
大型生物は、驚いたようにボクの産卵を見つめていた。
やがて、差し出した卵の意味を理解したのか、そっと受け取る。
ボクは床の木の板に爪を立て、カリカリと印を刻んだ。
ノルン族の目印だ。ここは安全に産卵できる場所。
その隣に、ノルン族の姿を模した印も描く。
仲間が欲しい……。
そんな気持ちを込めて、思い出せるだけ、つがいの姿を木に刻んでいった。
少しでも、忘れてしまわないように。
「ユム」
その音が聞こえてくると、大きな生き物はボクを見て、エサや水を差し出す。
ボクを呼ぶときの鳴き声だ。
ボクは、生き物の鳴き声をひとつずつ覚えていった。
「ゴハン」と鳴いたら、エサの時間。
「ダメ」と鳴くときは、顔をしかめている。おそらく、望ましくないことをしたのだろう。
胸に手を当て、難しい発音で「オリヴィア」と鳴くときは、自己紹介をしているようだった。
名前がないままでは不便だ。
そう思ったボクは、目の前の大きな生き物を、オリヴィアと認識した。
◇
ユムを家に残し、私は付近にある放棄された牧場の保全に来ていた。
本来の仕事ではない。それでも、誰も住まなくなった牧場を見ていると、幼い頃の記憶がよみがえり、少し寂しい気持ちになる。今は飼育している動物もいないけれど、いつか誰かがここに居を構えるかもしれない。そう思いながら、厩舎の方へ向かった。
そのとき、物音がした。
厩舎の中に、生き物がいた。
小柄で丸みのある体は、茶色と淡い褐色の斑模様をした柔らかな毛に覆われている。胸やお腹はクリーム色で、顔には大きな琥珀色の目と短い獣の鼻先。頭には桃色の耳が二本そびえ、太い尾もふわふわと膨らんでいる。
二足歩行するウサギのような獣――マダラビビのメスだ。毛並みからして、まだ若い。
ビビは珍しい種族ではない。深い森の中には数多く棲息していて、私もこれまで何度か見かけたことがある。
その個体は、私の姿を見るなり身をこわばらせた。逃げようとするが、片方の脚を引きずっている。足に怪我をしているようだった。
「大丈夫、私は敵じゃない」
もちろん、言葉は伝わらない。
私はそれ以上近づかず、その場にとどまった。相手が落ち着くまで、動かない。
ビビ族の聴覚は鋭い。私が不用意に物音を立てれば、驚いて逃げてしまうだろう。あの脚で逃げても、遠くへは行けない。やがて捕食されるか、傷口から感染症にかかって命を落とすかもしれない。
それなら、治るまで保護したい。
焦らず、じっと待つ。こちらが動かないとわかるまで、時間をかけた。やがてビビの体から少しずつ力が抜け、警戒しながらも、逃げ出そうとする動きは止まった。
私はゆっくりと距離を詰めた。目を合わせすぎないようにしながら、声をかけ続ける。ビビは耳をこちらへ向け、私の動きを追っていたが、もう脚を引きずって逃げようとはしなかった。
手の届くところまで近づいてから、怪我をした脚を確かめる。ビビが身じろぎするたびに手を止め、落ち着くのを待ってから、そっと抱き上げた。
腕の中で、ビビの体がこわばる。
「大丈夫。治るまで、私が保護するから」
その言葉が伝わらないことはわかっていた。それでも私は、怯えさせないように声をかけながら、ビビを抱えて拠点へ運んだ。
傷口に薬を塗ったとき、マダラビビは少し暴れた。けれど、包帯を巻く頃には落ち着いていた。
それでも、出口を探すように動き回ろうとする。怪我を悪化させないよう、動かないようにするだけで手一杯だった。
そんなビビに、ユムが「ピュウ」と鳴きながら近づいていった。
ビビは逃げなかった。
二匹は鼻をひくつかせ、互いの匂いを嗅いでいる。どうやら、お互いを危険ではないと判断したらしい。
ビビを保護したのは、怪我が治るまでのつもりだった。
けれど、数日もしないうちに、二匹は同じ寝床で重なるように眠るようになった。お互いに弱い種だからこそ、身体を寄せ合っているのだろうか。
学会で発表すれば、賞をもらえそうな事例だ。
それでも、ノルン族が生き残っていたことを公表する気にはなれなかった。かつて乱獲されたノルン族が、また狩られるのではないか。そう考えると、記録に残すことさえためらわれた。
動物を狩ること自体に異論はない。
生きるために、ほかの命をいただく。それは太古から続いてきた営みの一部だ。
けれど、種が絶滅するほど狩ることは許せなかった。
ノルン族だけではない。ハイロニアには、ほかにも多くの絶滅危惧種がいた。そのほとんどが数を増やせないまま、絶滅してしまった。
自然の摂理に反する、私のエゴなのかもしれない。
それでも、ノルン族だけは絶滅してほしくない。
いつしか、私はそう思うようになっていた。
◇
オリヴィアが、見たことのない生き物を連れてきた。
メスの彼女はひどく怯えていたので、ボクはそっと近づいてなだめた。脚の傷はオリヴィアが処置してくれたから、もう大丈夫。ここは安全だよ。
そう伝えるように、仕草と鳴き声を重ねる。彼女はボクの様子をうかがっていたが、やがて安心したのか、大きな耳をゆっくり下ろした。
あなたは誰?
そんなふうに聞かれた気がした。
ボクはノルン族。そう伝えるように鼻を近づけ、挨拶をした。彼女からは森の匂いがした。
ノルン族同士のように意思を通わせるのは難しい。それでも、彼女の気持ちがなんとなく分かるのは、ボクたちが近しい種だからだろうか。
彼女は、ここなら落ち着けるからと、ボクの隣で眠ることにした。この広い巣で、ボクの隣だけ少し狭くなった。けれど、嫌な気はしなかった。
彼女は出されたエサを、頬いっぱいにして食べる。だから、ボクは彼女をホホと呼ぶことにした。呼ぶたびに耳をこちらへ向けるので、ホホも自分の名前だと分かったようだった。
あるとき、ふと切なさが胸をよぎった。
ホホは背中を向けたまま、こちらに擦り寄ってきた。身体がぴたりと重なる。
いいの?
そうたずねるように、ボクはそっと鼻を寄せた。ホホは離れなかった。
その匂いを嗅いだとき、胸の奥で本能が目を覚ました。
夜、暗い巣の中で、ボクたちは互いの尾を絡めた。ホホも自分から身体を寄せ、ボクを受け入れてくれた。
ボクは増えたい。
ホホも増えたい。
言葉は違っても、互いの願いは重なっていた。
毎夜、寄り添い、尾を重ねるうちに、やがてホホのお腹に新しい命が宿った。
ノルン族以外にも、命を宿せる。
ボクの心に、希望が生まれた。




