終身雇用
「結婚したら、一生安泰でしょ」
ユリは友人たちに、何度もそう言っていた。
仕事はほどほどでいい。
資格もいらない。
貯金も最低限。
「だって、夫がいるから」
恋愛は就職活動。
結婚は内定。
婚姻届は終身雇用契約。
それがユリの人生設計だった。
結婚して最初の数年は、思い描いた通りだった。
夫は毎日働き、給料を家に入れる。
「生活費足りない」
「旅行に行きたい」
「新しいバッグが欲しい」
そう言えば、夫は黙って働いた。
ありがとう、と言ったことはほとんどない。
「家族なんだから当たり前でしょ」
それが口癖だった。
だが、夫は少しずつ笑わなくなった。
会話は減り、休日も一人で出かけるようになった。
それでもユリは気づかない。
会社員が会社を辞めるように、夫が家庭を辞めることなどあるはずがないと思っていた。
ある日、一枚の封筒が置かれていた。
離婚届だった。
「どういうこと?」
夫は静かに言った。
「僕は夫で、君の生活保証係じゃない。」
ユリは初めて焦った。
「生活費は?家賃は?これからどうするの?」
夫はため息をつく。
「最後まで、お金の話なんだね。」
その一言が、すべてだった。
離婚は成立した。
久しぶりに履歴書を書こうとしたユリは、空白だらけの職歴を見つめる。
結婚は終身雇用先じゃなかった。
互いに支え合う共同経営者だった。
そのことを知ったのは、契約が終わった後だった。
……夫目線……
結婚したとき、俺は「一生守る」と誓った。
その言葉を、彼女は「一生養う」と受け取ったらしい。
最初は気にならなかった。
「生活費お願い。」
「今月も頑張ってね。」
「あなたなら昇給するでしょ。」
そう言われるたびに、「期待されてるんだ」と思っていた。
でも、違った。
昇給しても「おめでとう」はない。
ボーナスが出れば、「旅行に行こう」「バッグを買おう」。
残業で帰りが遅くなれば、「もっと稼げる会社に転職すれば?」。
俺の体調より、給料明細の数字のほうが大事だった。
ある夜、熱を出してソファで横になっていると、彼女が言った。
「明日休むの?」
「ああ……三十九度ある。」
「有給減るね。」
ユリが心配したのは、それだけだった。
その瞬間、ようやく気づいた。
俺は夫じゃない。
ATMでもない。
ユリの生活保証のため、終身雇用契約をしてしまった社畜だ。
仕事なら、退職届を出せる。
同じ…だ。
静かに離婚届を机へ置いた。
彼女は驚いた顔で叫ぶ。
「生活費は? 家賃は? 私、どうすればいいの?」
やっぱり最後まで、俺じゃなかった。
心配していたのは、失う夫ではなく、失う生活費だった。
俺は苦笑した。
「会社でも、社員は給料が安いってだけじゃ辞めない。でも、会社から自分を人として見てもらえていないと思ったら、躊躇なく辞めていくんだよ。」
彼女は何も言い返せなかった。
数か月後。
俺は小さなアパートで一人暮らしを始めた。
豪華な家具も、高いブランド品もない。
でも、不思議なくらい静かで、ここ数年で一番よく眠れた。




