サーカス(後編)
6.
伊達は、恵梨を家人に頼むと橘を誘い再びサーカスに向った。
深夜のサーカスは、昼間の陽気さとは一線を画していた。明るい照明の下に浮かび上がるテントは、どこか不気味な陰を孕んでいる。
伊達と橘は、周囲の人目を避けるようにしてサーカスの裏手に回り込んだ。
「失踪した令嬢がどこかで囚われている可能性が高い。手分けして探すぞ。」
伊達が声を潜めて指示を出した。
サーカスの舞台裏は、煌びやかな衣装が乱雑に掛けられた控室、動物用の檻、そして積み上げられた謎の木箱など一見すると普通だが、どこか非日常の空気が漂っていた。
「この場所に来たのは初めてだが、裏側というのは案外雑然としているものだな。」
橘は興味深そうにきょろきょろと周囲を見渡した。
一方の伊達は冷静な目で細部を観察していた。
「橘、こっちだ。見てくれ。」
彼が指差した先には、床に奇妙な模様が描かれていた。白いチョークで描かれた円と、円の中に繊細な紋様が刻まれている。
「……魔術的な印象を与えたいのか、それとも本当に術式なのか。」
橘が眉を上げる。
「このサーカスの手口を考えると、ただの装飾とは思えない。」
伊達はその模様を慎重に記録しつつ言った。
「ここで失踪した女性たちに対して使われていた可能性がある。」
伊達と橘はさらに奥へと進み、やがて重厚な鉄扉にたどり着いた。
「この先に令嬢がいる可能性があるな。」
伊達が扉の取っ手に手をかけたが、扉は開かず、鍵がかかっているようだった。
「ここは俺に任せてくれ。」
橘が口笛を吹きながら懐から工具を取り出し、器用に鍵を開けた。伊達が再び取っ手を引くと扉は軋む音を立てて開いた。
鉄扉の先には、小さな部屋があった。そこに囚われていたのは、衰弱した様子の令嬢達だった。一人は比較的ましな様子で、壁に寄りかかって座っており、もう一人は目を閉じ床に倒れていた。伊達が近づいて確かめるとかすかに息をしていた。
「間に合ったな。」
伊達が安堵の声を漏らすと、橘は冗談めかして言った。
「彼女を連れて出る前に、僕たちが消失するマジックの餌食にならないことを祈るよ。」
しかし、伊達と橘が囚われた令嬢達を助け出そうとした瞬間、背後から複数の足音が響いた。二人が振り返ると、サーカス団の男たちが無言で彼らを取り囲んでいた。彼らの手にはナイフや鉄棒が握られている。
「どうやら、我々の活動を嗅ぎ回っている輩がいたようだな。」
先頭に立つ男が冷たく笑いながら言った。男は派手なジャケットを身にまとい、いかにもサーカスの団長といった派手さを漂わせている。
「この状況、実にサーカスらしいじゃないか。だけど、俺はアクロバティックな脱出術なんて持ち合わせていないんだよ。」
橘が皮肉たっぷりに言った。
「それなら心配はいらない。」
伊達が静かに言い、眼鏡を外して胸ポケットにしまった。
「君はここから令嬢たちを連れて逃げてくれ。」
「は?」
橘が驚いたように目を丸くした。
その瞬間、伊達は軽く足を引いて構えを取った。普段は穏やかな彼の姿が、一変して鋭い気迫を帯びた。
「さあ、やるなら早く来い。」
伊達の声には静かな闘志がこもっていた。
男たちは嘲笑いながら一斉に襲いかかってきたが、次の瞬間――。
伊達は、驚くほどの速さで動いた。最初の男の腕を掴むと、その勢いを利用して投げ飛ばし、続けざまに後ろに迫ってきた男に正拳突きを見舞った。鈍い音と共に、男が崩れ落ちる。
「伊達、……本当に大学教授か?」
橘は目を見張りながら、倒れる男たちを見た。
「学生時代、空手を少し嗜んでいた。」
伊達が言い、残りの男たちを睨みつけた。
「これ以上手を出すなら、骨の一本や二本折れる覚悟をすることだ。」
男たちは一瞬ひるんだが、団長が鋭い声を上げた。
「何をしている!奴を取り押さえろ!」
しかし、伊達の技はさらに冴えわたり、次々と男たちを叩き伏せていく。
「橘、まだそこにいるのか!」
伊達が声を張り上げた。
「彼女達を連れて早く出ろ!」
橘ははっと我に返り、歩ける一人にに早くここを出るように促し、もう一方の令嬢を抱きかかえるようにして部屋を後にした。テントの外は霧が深く立ち込め、怪しげな静寂が包み込んでいる。
数分後、伊達は最後の男を倒し、肩で息をしていた。床には団員たちが散らばって倒れ、戦いの痕跡が刻まれていた。団長だけが残り、憤怒の表情で彼を睨んでいる。
「お前たちの仕掛けはすべて見破った。」
伊達は冷たい目で団長を見据えた。
「これ以上無駄な抵抗をしても意味はない。」
「お前ごときが…何を分かった気になっている!」
団長は怒りの声を上げ、隠しスイッチに手を伸ばした。その瞬間、部屋の一角が大きく傾き、床が崩れ始めた。
「させるものか!」
伊達は素早く身を翻し、崩れ落ちる床を避けると同時に、団長に向かって一気に駆け寄った。団長の手からスイッチを弾き飛ばし、さらにその腕を押さえつけた。
「お前たちがどれだけ他人を欺いてきたとしても、この程度では逃げられない。」
伊達の冷徹な声が静まり返った部屋に響いた。団長はその言葉に押され、ついに膝をついて崩れ落ちた。
外では、橘が令嬢を抱きかかえながら、周囲を警戒していた。サーカス団の生き残りが襲ってくる可能性も考え、意識を集中させていたが、やがて伊達が姿を現した。肩には小さな切り傷があるものの、毅然とした表情は変わらない。
「終わったのか?」
橘が問いかける。伊達は静かに頷いた。
「全員無力化した。だが、連絡を取られる前にここを立ち去る必要がある。」
二人は急いで周囲の状況を確認しながら、令嬢を安全な場所に連れ出した。近くの無人の家屋に隠れ、橘は令嬢の家族に連絡を取り、信頼できる者が密かに迎えに来る手配を整えた。
「君がすべて手配するとはな。」
伊達は息を整えながら橘を称賛した。
「警察を使わず、ここまで収めるとは大したものだ。」
「俺たちに彼らの事情を暴露する余裕がないだけさ。」
橘は軽く肩をすくめた。
「魔術倶楽部の存在が外部に漏れることになれば、我々の活動は立ち行かなくなる。」
令嬢が家族と再会するまでその場を見守り、全てが無事に収まったことを確認すると、二人は夜の霧の中に姿を消した。
7.
後日、東京魔術倶楽部にて、伊達と橘は再びグラスを手にしていた。
「しかし、伊達が空手の達人だったとはな。」橘が笑いながら言った。
「最初に教えてくれていたら、俺の心臓も少しは楽だったのに。」
「必要以上に自分を売り込む趣味はない。」伊達が涼しげに言った。
「それに、君の軽口も悪くはなかった。」
二人は互いに微笑みながら、グラスを掲げた。
「結局さらって何がしたかったんだろう。」
橘が伊達に聞くと、伊達は少し困った顔をして
「これは推測だが、儀式で催眠をより深めてだな……まぁ、なんでも命令に従うように仕上げて、その後に人身売買ではないかな。」
と淀みがら言った。橘も何か気づいたららしく二人は無言のまま酒をあおるのであった。
この話を書いたきっかけは……
職場の休憩室にサーカスのチラシが貼ってあり、昭和っぽいと思ったから。
後で分かったのが、この時代はまだサーカスと言わなかったらしい(汗)
しかしサーカスの響きが好きなので残しました。