初詣(後編)
4.
河村はその文字をじっと見つめた後、笑って言った。
「呪いが本当にあるなら、わざわざ手紙なんか寄越しませんよ。まずは今年の新酒を飲ませてください。」
田中はハッとしたように奥に向かって酒を持ってくるように大声で呼びかけた。
運ばれてきた新酒は素晴らしい出来だった。田中は荒ばしりに加えて中汲みも二人に出した。日本酒が好きな河村は一口飲んで、
「これは美味い。」
と顔を綻ばせた。
「ふくよかな味っていうのかな? 旨みが良いね。」
橘も相槌をうった。
田中は河村の説明に安心したのか、酒を褒められた嬉しさからか、いつもの調子を取り戻し、
「そうでしょう、そうでしょう。お出しした酒は今年の新酒鑑評会に出す予定なんです。いつもの年より良い出来で。ちょうど来週に出品登録をする予定だったんです。」
そこまで喋って手紙のことを思い出したのか、
「でも、呪われているという手紙や丑の刻参りを考えると、出品を取りやめた方が良いかもしれないと思って。」
田中は少し不安そうな顔を見せた。
「いやぁ、こんなにうまいんだから呪われてませんよ。」
橘が大きく笑った。河村も横で頷くのだった。
結局、明日が日曜日ということもあり、遅くまで酒を飲んだ橘と河村はそのまま田中の家に泊まった。
5.
翌日の早朝、橘が頭から布団をかぶり寝ている時間、河村は服を整えると、朝食を作っている妻と女中に散歩に行く と声をかけ、丑の刻参りがあった神社へと出かけた。
御神木など目ぼしい木を見てまわったが、藁人形はおろか、釘の跡さえ見当たらなかった。
「やはり、そうか。」
河村が小さくつぶやいたとき、背後から視線を感じた。
河村は振り向かず、何食わぬ顔で国民保健体操を始めた。後ろにひねる動きをする際に周りを確認し、視線の主を探し当てた。おそらく、鳥居の陰にいる女性だろう。気配が動いた後、しばらくして河村はそちらの方へ歩いた。視線の主が入った家を確認すると、神社の向かいにある酒造だった。
朝食の時間になり、河村はそれとなく神社の向かいにある酒造について聞いてみた。
「ああ、水谷さんね。先代の時は仲が良くて、神社への奉納酒も一緒にやってきたんですが……」
田中が寂しげに言った。跡を継いだ息子は野心家で、近代的な酒造りを始め、それに伴い井戸を深掘りしたため、地下水の位置が下がり、田中酒造も困っているとのことだった。
「仲良くやりたいもんですが、歳が近いせいか、やたらとこちらをライバル視してきてね。」
田中は苦笑いを浮かべた。河村は呪いの噂など気にせず、酒を鑑評会に出すように勧め、もてなしへの礼を述べて橘と一緒に田中家を後にした。
6.
都心へ帰る電車で、橘が河村に
「結局、あの手紙は何だったんだろうな。」
と話しかけた。
河村は丑の刻参りが神社に人の来る可能性の高い松の内だったこと、酒造の会合帰りだったこと、そして神社に丑の刻参りの跡がなかったこととそれを探る自分をライバルの水谷酒造の家人が見ていたことを話した。
「決定的な証拠はないですが、おそらく水谷酒造の仕業ですよ。呪いの話で怖がらせて鑑評会を断念させる気だったんでしょうが、幼稚な手ですね。」
河村があきれたように言った。
呪いを手段にしたわりに、呪詛返しが怖いのか、実際には丑の刻参りをしていないところも小物だと話したところで、電車が目的地に着き、河村と橘はそれぞれの家へと帰っていった。
7.
新酒の出荷に忙しいのか、それからしばらく東京魔術倶楽部で田中の姿を見かけなかったが、二月の初めに一升瓶を抱えてひょっこりと顔を出した。
「いやぁ、怯えて損しましたよ。結局、うちには何も起こらずでした。」
田中は橘と河村に酒を渡しながら、そう言った。
『うちには』という表現に違和感を覚えた河村が田中に聞くと、
「近所の水谷酒造さんで火落ちが出ましてね。まあ、飛んでこないように消毒したり、人の出入りを制限したり、だいぶ用心はしましたけど、結果的に何事もなく良い酒ができました。」
田中の顔には安堵の表情が浮かんでいた。火落ちとは、ある種の乳酸菌が原因で、製造している日本酒が貯蔵中に白濁して腐造することをいい、酒造を悩ませる災害であった。
田中が帰った後、橘と河村はもらったばかりの日本酒を飲みながら今回の件について話をした。
「人を呪わば穴二つだな。」
橘が言うと、河村は酒を注ぎながら、
「酒の神様が見てたのかもしれませんよ?」と肩をすくめた。
田中の酒は近年で一番の出来であった。
何気に田中さんは準レギュラーだと思います。
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