鏡
1.
誘拐未遂事件の翌日は土曜日だった。河村は昼過ぎまで仕事をした後、私服に着替えて夕方早くから東京魔術倶楽部に出向き、お茶と甘味を楽しんでいた。日が傾く頃に伊達と橘がやってきて、昨日の件について礼を言われた。
「いえ、上司がいなければどうなっていたか。」
河村は苦笑いした。
伊達の話によると、被害にあったのは優子と同じく女子学習院に通う伯爵家の娘だったようで、伊達と橘は大いに感謝されたそうだ。
上司の竹内が出てきたということは、身代金の流れに軍が関わる要素があったのか?と考えながら、河村は伊達の話を聞いていた。
一通りの話を終えた伊達が何かを思い出したようにポケットに手を入れた。
「稲葉嬢から預かった品だ。」
伊達は神田明神のお守りを河村に差し出した。河村が受け取ろうと腕を伸ばした拍子に湯呑みを倒してしまい、袖口にこぼれたお茶がかかってしまった。
「あ、さい!」
河村は舌打ちした。幸いお茶はぬるくなっていて火傷はしなくて済んだが、お気に入りのシャツが汚れてしまい少し落ち込んだ。
「大丈夫か?」
伊達が声をかけ、橘が給仕からタオルを借りてきた。
「だいぶ冷めていたのでやけどは無いです。洗面台で洗ってきますね。」
河村はタオルを受け取り歩いて行った。カフスを外して袖口を洗い、タオルで水気を拭き取ると、染みは残っていなかった。
河村が元の席に戻ると、橘が外出を提案しているところだった。
「まだ早い時間だし、外行かねえ?土曜日なんだし。」
結局、三人は連れ立って、倶楽部の外のカフェで軽い夕食をとり、ダーツができるバーへと足を運ぶことにした。夕食を終え、バーに向かう途中で、河村は倶楽部の洗面台にカフスを置き忘れたことに気づいた。
2.
「すぐ取りに取ってくるので、先に行ってダーツ始めて下さい。」
河村は足早に倶楽部へと引き返した。入り口まで着くと、なぜか支配人が扉の前に立っていた。
「河村様、お待ちしておりました。」
河村の顔が引き締まった。わざわざ支配人が待っているとはただ事ではない。そもそもなぜ自分が来ることが分かったのか。
その時、倶楽部の扉が開き、中から稲葉美月が姿を現した。河村とは正月に神田明神で偶然会って以来、二人は会っていなかった。支配人も驚いた顔で美月を見つめた。
「二人ともそんな顔しないでください。」
美月は右手を伸ばして手のひらを見せた。そこには、河村が忘れた青いカフスが握られていた。
「これを取りに来たんですよね?時間は取らせませんから、ホテルのカフェに行きましょう。」
美月は河村の横をすり抜けて歩き始めた。
「あ、俺のカフス……」
慌てて河村は後を追った。支配人は歩き去る二人を困惑した顔で見送った。
3.
カフェで美月はコーヒー、河村は紅茶とチーズケーキを注文した。
「人を待たせているので手短にしてください。」
河村が美月に言った。美月は笑いながらカフスをテーブルに置いた。
「その割にはきっちりケーキを食べるのね。」
届いたらコーヒーを飲みながら美月が要件を切り出した。
「三年前に倶楽部で失われた鏡を探して欲しいの。前にも探したことがあるでしょ?」
「ああ、松下さんが海に捨てた呪いの鏡のことですか?」
実はその鏡は捨てられておらず河村が回収したのだが、そのことを魔術倶楽部にも海軍にも言い出せずにいた。
「そう、その鏡。見つけた経緯は一切問わないわ。そもそも倶楽部には河村さんに頼み事があるとしか言ってないから。」
美月が少し声を潜めて言った。
「そんなもの何に使うんですか?」
河村が、運ばれてきたばかりのケーキをつつきながら尋ねた。河村にとってそれは手放したいものだったが、危険なものであることも充分分かっていた。
「詳しくは言えないけど、稼業かな?」
美月は少し困った顔で答えた。
「見つかったら好きにして良いって許可は支配人からもらってあるから。」
河村は無言でチーズケーキをゆっくりと食べ終わると美月に聞いた。
「期限は?」
「明日、お茶しましょっか。」
美月はにっこりと微笑んだ。
4.
翌日の午後、河村は美月に指定されたカフェにいた。美月はまたコーヒーを頼み、河村は紅茶とプリンを頼んだ。
「鏡は見つかりました?」
「ええ…。」
気のない返事をして、河村は無言で袋を渡した。
美月が中をのぞくと、赤い布に包まれ鎖で封印された何かが入っていた。
「さすが、仕事がお早い。」
美月は袋の中に手を入れ鏡に触れた。美月はちょっと悩んだ様子で、
「河村さんは、厄介ごとに好かれるタチかしら?鏡と縁ができちゃってる……」
とため息交じりにつぶやいた。
「縁?」
「ええ、このままだと封印を解いた時に河村さんに呪いが及ぶというか、まぁ、おそらく……」
美月が言葉を濁した。
そこから沈黙が続いたが、しばらくして、美月が河村に声をかけた。
「ちょっと手を出していただけますか?」
河村は黙って右手を差し出した。
美月は河村の手に指で×印を書いた。
「鏡との縁の代わりに幾つか縁が結ばれるようにしました。良縁か悪縁かはわからないけど。」
その後、また二人の間にしばらく会話はなく、コーヒーを飲み終わった美月が、
「ごめんなさい。」
と小さく言った。
「長く持っていた自分が悪いですから、気にしないでください。」
河村は紅茶を飲み干して、伝票をつかむと静かに席を立った。
秋分を過ぎた太陽は、これから冬に向かう気配を少しだけ漂わせていた。
「良縁か悪縁か……そんなもの、もう選ぶ立場にないのかもしれないな。」
河村はそう思いながら、うっすらと笑った。
何年か前の伏線をようやく回収いたしました。
伏線ノートつけているのですが、たまに忘れます。
河村さんの良縁を願って⭐︎下さいませ!




