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兄(前編)

1.

ダンスホールから一夜明けた日曜日の夕方、橘、伊達、河村、二階堂の四人は春日にある橘子爵の屋敷に向かってゆっくりと歩いていた。


 陽は傾いてもまだ暑く、橘は薄手のシャツに薄い水色のズボンを履き、サンダルをつっかけパナマ帽をかぶっていた。伊達は灰色のスラックスに薄手の麻のジャケットで、珍しくネクタイをつけていない。


 河村は濃紺のパンツに開襟の白い夏シャツを着ていたが、袖口をダブルカフに仕立てて青いカフスボタンを付けており、軍服の雰囲気は抜けないが、遊び心も覗かせている。二階堂は薄いグレーのサマースーツに、白いシャツと細いネクタイを合わせていた。


「橘さんのご実家ってやっぱり大きいんですか?」

 河村が尋ねた。

「んー、伊達ん家よりは小さいぞ。」

 橘がのんびりと返事をした。

「華族のお宅を訪問させていただくのは初めてなので緊張しますね。」

 二階堂が全く緊張していない口調で言った。


2.

 橘家の門をくぐる。いつもなら柴犬のキャンディが元気に出迎えてくれるはずだが、姿が見えない。


「キャンディなら優子と散歩中だ。」

 玄関から出てきた男性が橘に声をかけた。優子とは橘薫の姪である。今声をかけてきた人物は優子の父であり、橘薫の兄である橘梓だった。橘より背が高く、少し年上した雰囲気で、一目で兄弟とわかる。


「全くお前は仕事もせずに……」

梓はそう言いかけたが、視界の端に伊達を捉え舌打ちをした。

「政弘、お前も来てたのか。」


「久しぶりだな、梓。」

 伊達は土産の入った紙袋を渡しながら、

「しかし、あの梓が今は弁護士先生とは。」

 とからかうように薄く笑った。


「おい、薫。こいつを黙らせろ。」

 梓が橘の方を向いて言ったが、橘は面白そうにニヤニヤして梓を見つめていた。


「今から遊戯室を使うんだけど、兄貴も来ない?」

 橘が梓を誘った。梓の眉がぴくりと動いた。

「い、いや、俺は遠慮しておく。」

 梓は言ったが、どこか未練がましい様子だった。


「金は賭けないから大丈夫だぜ。それともまだ賭け事にハマり過ぎて家宝の掛け軸を質入れしたこと引きずってんのか?」

 橘が少し挑発的に梓を誘った。


 伊達は「お前そこまで馬鹿だったのか」という視線を送り、河村は笑いを噛み殺していた。


 二階堂は少し離れたところで兄弟のやり取りを眩しそうに見つめていた。


「ふっふっふ。」

 梓がやけくそっぽく笑いはじめた。

「梓さまを本気にさせたことを後悔させてやる!」

 梓は芝居がかったポーズを取り、

「薫、ついて来い!」

 と屋敷の方へ駆けていった。


「伊達さんは、あの人と友達だったんですか?」

 河村が笑いながら聞いた。

「中学までの同級生ではあるが……」

 そこまで言って、伊達も吹き出した。

「ガキの頃と全く変わってないな。」


 二階堂は自分の泣きそうな顔を見られ無いように河村の背後に回った。

「早くついていきましょうよ。」

二階堂は河村の袖を引きながら言った。


3.

 橘家の遊戯室は小さなカジノさながらだった。天井のシャンデリアは柔らかな光を投げかけ、部屋の中央にはポーカーテーブルが置かれ、ルーレットや小さなバーカウンターまであった。


「さてと。」

 梓がポーカーのディーラーの位置に立った。

「薫、チップを用意しろ。俺もディーラー兼で参加する。」

 梓がトランプを切り始めた。普段、東京魔術倶楽部で橘がトランプをいじる姿を見慣れていた伊達だが、思わず驚嘆の声を上げた。


 橘のトランプを扱う手つきも素人離れしていたが、梓はそれを遥かに凌駕していた。ただ、伊達は知っていた。梓は人よりもかなり運が悪いということも。


 ポーカーが始まった。本物のディーラーのようにカードを配る梓。伊達、河村、二階堂は場のカードや相手の心理を読み、慎重に仕掛けるが、橘はほぼ何も考えず適当にチップを賭ける。そして勝つのはなぜか橘だ。


「これ、一体何のゲームなんでしょうね。」

 河村が苦笑した。

「お前がいるとゲームにならん。」

 梓が言うと、橘は

「じゃあ、俺は夕食のサンドイッチをもらってくるわ。」

 と食堂に降りていった。


 橘が抜けて勝負が正常に回り始めたが、四人とも腹の探り合いと駆け引きが尋常ではなかった。伊達は確率を駆使し、河村は軍隊で培った洞察力を活かし、梓はギャンブルの経験を生かしてゲームを進めた。二階堂は誰にも読めない思考で場をかき乱しつつ、拾える勝ちを確実に拾っていった。勝負は一進一退だったが、二階堂がやや勝ち越し、梓が少し負けていた。


4.

「そろそろ、夕食のサンドイッチを食べようぜ。」

 キリのいいところで梓が提案した。

 バーカウンターでは橘がカクテルをいろいろ試して遊んでいた。

「みんなのイメージに合うカクテルを作ろうと思ったんだけどな、あんまり酒に詳しくないんで作れんかったわ。」

 橘は笑いながらビールを飲んでいた。


「何のためにカウンターに立ってるんだよ。」と梓が苦笑した後、

「よし、一番勝った宝塚くんに私がカクテルを作ってあげよう。」

 と二階堂の方を見て言った。


「宝塚ではありません……二階堂です。」

 二階堂が不満げに言ったが、梓は構わずカクテルの用意をはじめる。

「おい、薫。下にスダチがあったろ?取ってこいよ。」

 梓は橘に声をかけた。橘はどたばたと階段を降りて行った。

 スダチが届くと、梓は慣れた手つきでグラスに絞り、氷を入れてからジンを注ぎ、最後に炭酸水を加えた。

 仕上げに搾った後のスダチを縁に添え、

「ジンリッキーだ。甘くない酒だよ。まぁ、スダチだけどな。」

 と二階堂に差し出した。


一口飲むと、ジンの辛さが喉を刺した。

「僕はこんなに大人じゃない。」

 二階堂はそう感じたが、細かく湧いては消える泡が今の自分と重なる気もした。

薫の兄なので一文字にしています。

なかなか愉快な人です。

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