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サーカス(前編)

1.

 東京の夜は今日もふけ、街灯の光が霧の中でぼんやりと揺れていた。昭和初期、東京魔術倶楽部は、知識人や貴族たちの隠れ家として静かにその存在感を放っていた。


 倶楽部の一室で橘薫と伊達政弘がトランプを手にし、言葉少なにカードゲームに興じていた。

 

 橘は子爵家の次男であり、趣味で探偵まがいの活動を行う青年。一方、伊達は帝国大学の化学科教授で、冷静な頭脳と鋭い分析力で知られていた。数々の事件を解決してきた二人の名コンビも、今宵はただカードに向かっていた。


「また君の勝ちか、橘。」

 伊達は微笑を浮かべ、カードをテーブルに置いた。その目には、計算し尽くしたはずの確率が外れる不思議への興味が宿っていた。


「どうやら、数字だけでは測れない『運命』というものがあるらしい。」

 橘は優雅にカードをシャッフルしながら、どこか得意げに答えた。その指先の動きには、経験と直感が宿っているように見えた。


 蓄音機から流れるクラシックの調べが、部屋の空気に一層の静寂をもたらしていた。天井のシャンデリアから降り注ぐ柔らかな光が、二人を囲むカードの上に複雑な影を落とす。


「君の勘には、いつも驚かされるよ。」

 伊達はウイスキーを一口含み、琥珀色の液体が喉を滑り落ちる感覚を味わった。


「科学では説明できない領域が、確かに存在するのかもしれない。」

「だからこそ、解き明かす価値があるのではないかな。」

 橘は伊達を見つめながら言った。


「未知を探ることが、我々を前に進ませる原動力だ。」

 伊達は静かに頷いた。外では霧がますます深まり、窓ガラスを白く染めていた。


「もう一勝負どうだい?」

 橘が提案する。

「もちろん。次こそは君の直感を超えてみせよう。」

 伊達がカードを手に取った瞬間、橘がにやりと笑みを浮かべた。

「どうせなら、何か賭けないか?」


「俺が勝ったら、週末に付き合ってくれ。姉に甥と姪を預かれと言われていてね。伊達にも手伝ってもらいたいんだ。」

「で、君が負けたら?」

 と伊達が聞く。

「何でも伊達先生の言うことを聞こう。」

 橘は挑発的に微笑んだ。結果は橘の勝利に終わり、伊達は肩をすくめながら言った。

「仕方ない、約束は約束だ。」


2.

 週末、二人は橘の姉の家を訪れた。

「お久しぶりです。」

 と挨拶する伊達に、橘の姉は微笑みを返した。

「薫さん、先生を巻き込むなんて……普段から迷惑をかけていないと良いのだけれど。」


 甥と姪は無邪気な笑顔で二人を迎え、目を輝かせた。

「サーカスに行きたい!」

「サーカスか。それは叔父さんも見たいね!」 

 と橘が二人を撫でながら言った。


 サーカスのテントは色とりどりの光で彩られ、観客たちの期待が渦巻いていた。空中ブランコや猛獣使いの演技が続き、マジックショーの時間が訪れた。

 舞台上の奇術師が黒いマントを翻しながら様々なトリックを駆使して観客を魅了する。何もない空中から花束を取り出し、白い布からは鳩が飛び出す。子ども達は目をキラキラさせて手品ショーに夢中になっていた。


「次は人体消失のマジックです。」

 司会が低い声で告げると、観客がドッと沸いた。大掛かりな仕掛けを使ったメインの演目だった。

客の中から一人の令嬢が選ばれ、ピエロに手をひかれて舞台に上がった。


 奇術師は彼女を箱の中に誘導し、前の扉を閉じた。奇術師が大袈裟な身振りを交えながら呪文を唱え、杖を振ると、箱の中が闇に包まれた。助手のピエロが扉を開けた時、令嬢は忽然と姿を消していた。


「すごい!どこに行ったの?」

 姪が目を輝かせて尋ねる。橘は笑みを浮かべながら答えた。

「どこだろうね、不思議の国かもしれないよ。」

 鋭く分析する目でショーを見ていた伊達に、橘が小声で釘を刺した。

「子どもたちにトリックを教えるなよ。興ざめになる。」

「そんなに大人げなく見えるか?」

 伊達は苦笑しながら反論した。


 サーカスが終わり、子どもたちは大満足で家に帰り着いた。二人はまたトランプゲームをと東京魔術倶楽部に足を運んだ。


「さて、再戦といこうじゃないか。」

 橘が微笑を浮かべながら手にしたカードを軽く弾く。その動作は堂に入っており、彼の浮世離れした遊び人ぶりを如実に物語っていた。



「橘君、あまり調子に乗ると痛い目を見ますよ。」

 対する伊達は冷静に応じた。男爵としての身分もさることながら、帝大で教鞭を執る化学教授としての知性が、彼の仕草の端々に滲み出ていた。


 橘がカードをシャッフルしていると、倶楽部の女性スタッフが滑るように近寄り、その手を止めた。

「橘様、こちらでお預かりします。」

 橘はその声に聞き覚えがあった。カーテンの向こうで出会った紅いドレスの女だ。橘は気づかないふりをしてカードを女に渡した。


 カードは、女の手の中で音もなく裏返され、鮮やかに扇状に広げられた。その所作には、場を支配する魔術師めいた威厳さえ漂っていた。


「伊達様、お好きなカードをお引きください。」

 誘うような声に促され、伊達は扇の中から一枚を選び取った。それはスペードのエースだったが、その表面には奇妙な一文が書かれていた。


『支配人室へ』


 二人は顔を見合わせ、橘が肩を竦めた。


「どうやら遊びは後回しだな。」


個人的にカードマジックのシーンが気に入っております。

手品屋さん行きたいなぁ。


【馬渕からのお願い】


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