刀(中編)
4.
「この後は会議室で取り調べだ。」
熊野がそう言うと、鈴村が僅かに眉をひそめた。しかし、何も言わずに立ち上がる。
「鈴村には自分が付き添います。」
上司である佐々木がそう申し出ると、熊野は無言で頷いた。
一方、河村はしばらく考えた後、日沖に声をかけた。
「クローゼットを見せていただけますか?」
日沖は一瞬驚いたようだったが、すぐに敬礼をし、河村を部屋の奥へと案内した。
「皆さんは先に会議室で待っていてください。」
熊野たちが部屋を出ると、河村はクローゼットの扉を開けた。軍服が整然と並んでいる。乱れはない。だが、あるはずの物が一つだけ欠けていた。
河村は静かに目を閉じた。やはり――。
5.
十分後、会議室。
すでに熊野、鈴村、佐々木、そして田中の第一発見者である岡本伍長が揃っていた。加えて、新たに通信隊の長坂少佐、情報部の谷口中尉の姿もあった。
河村と日沖が部屋に入ると、熊野が視線を向ける。
「まだ容疑者が一人揃っていないが、河村も来たことだし、始めよう。」
そう言うと、熊野は岡本伍長に目を向けた。
岡本伍長の証言によれば、彼の見回り役は前々から決まっていた。宿舎の周りを巡回していた彼の話によると十三時から十六時までの間、遺体があった現場に関して特に異常はなかったという。
田中大尉の遺体を発見したのは十七時半。すぐに憲兵隊を呼び、その後はずっと行動を共にしていたため、岡本が山本中佐を殺害することは不可能だった。
また、田中を殺す時間的な余裕はあったものの、彼の服には返り血の跡が一切なかった。見回りの際に大きな荷物を持っていたわけでもなく、少なくとも現時点で犯人と疑わしい点はない。
「二人の殺害犯が同一人物なのか、別なのかは分からないが、少なくとも山本中佐についてはシロだな。」
熊野がつぶやき、河村の方をちらりと見る。河村は目を合わせて軽く笑った。
「まぁ、それでいいと思いますよ。」
熊野は次に、通信隊の長坂少佐に視線を向けた。
長坂少佐――三十代半ばの男で、舞台俳優のような整った顔立ちをしている。どこか余裕のある微笑を浮かべ、いかにも女にもてそうな雰囲気を醸し出している。
「外出記録によると、十時から十九時まで私的な外出となっているな。どこで何をしていた?」
熊野が問いかけると、長坂はため息をつきながら言った。
「個人的なことなので、答えたくありません。」
熊野の眉がぴくりと動く。
「殺人の容疑がかかっている。」
その言葉に、長坂の表情がわずかに揺らいだ。しかし、それでも口を割ろうとはしない。
その様子をじっと見ていた情報部の谷口中尉が、何か言いたげにちらちらと河村の方を窺っている。小柄で眼鏡をかけ、覇気がない男だった。
河村は谷口を手招きし、小声で何か話しかける。しばらく話をした後、河村は熊野に耳打ちした。
「長坂少佐はシロですね。痴情のもつれでそのうち何か起こるかもしれませんけど。」
熊野は少しだけ目を丸くしたが、すぐに納得したように頷く。
「さて、かくいう谷口中尉は何をされていましたか?」
河村の問いに、谷口は少し頬を赤らめながら小声で答えた。
「……映画を観ていました。」
「映画?」
「本日封切りの映画です……自転車で街まで行って、連続で二回観ました。」
「ほう、証拠は?」
「半券があります……それに……」
谷口は眼鏡を押し上げ、さらに小声で続けた。
「……映画のセリフ、…全部言えます。」
河村は一瞬言葉を失った。陸軍情報部には、恐ろしい人材がいるものだ。平静を装いながら河村は口を開いた。
「必要であれば映画館のスタッフに目撃証言を取るといい。」
熊野も呆れたようにため息をつき、
「異常な才能だな……」
とつぶやいた。
そのとき、会議室の扉が開いた。
遅れて入室してきたのは、寺迫中佐――殺された田中大尉の上司にあたる男だった。場の空気がわずかに変わる。熊野は静かに、寺迫を見つめた。
「さて、寺迫中佐。あなたの話を聞かせてもらおうか。」
6.
寺迫明中佐が席に着くと、室内に微かな緊張が走った。経理局補給部長である彼は、表向きは模範的な軍人であり、軍内部でも一定の影響力を持つ人物だ。しかし、軍の物資に関して黒い噂がないわけでは無い。
熊野大佐が彼を見やり、淡々と問いかける。
「お忙しいところ恐れ入る。いくつか質問をさせていただきたい。」
「話を聞くと言われても、一体何の要件だ?」
寺迫の声には苛立ちが滲んでいたが、それを意に介さず、河村が冷静に続けた。
「本日、ある人物が殺害されました。その時間帯に外出されていた方に、行動をお聞きしているのです。」
「なるほど。」
寺迫は腕を組み、静かに頷く。
「外出時間は十四時から十七時ですね。この間、どちらへ?」
熊野の問いに、寺迫は間を置いてから答えた。
「外で人に会っていた。機密に関わる案件だが、どうしても必要なら、相手と連絡を取り証言させよう。」
熊野は黙って彼を見つめた。寺迫ほどの人脈があれば、偽証を頼むことなど造作もないだろう。とはいえ、今この場で問い詰めるには材料が足りない。熊野が考えを巡らせる中、河村はあっさりと話題を変えた。
「鈴村大尉は、どちらへ行かれていましたか?」
突然の指名に、鈴村は驚いたように目を開いた。『それをあなたが聞くのですか?』と言いたげな視線を河村に向ける。しかし、問われた以上は答えねばならない。
「……明治屋に買い出しに行っていました。」
「何を買われましたか?」
河村の問いに、鈴村は静かに答えた。
「キャラメルを三十箱と、林檎を五つ、それに砂糖です。」
「甘いものが好きなのか?」
横から熊野が軽く茶化すように聞くと、鈴村は少し遠くを見つめて答えた。
「いえ。どこぞの少佐と賭けトランプをして負けた結果です。」
その答えを聞き、熊野は少し微笑んだが、すぐに真面目な表情に戻り、手元の記録を確認する。
鈴村の外出時間は十時から十四時。その後はずっと日沖に呼ばれるまで医務局で患者の対応をしていた。したがって山本中佐の殺害は不可能である。
更に佐々木の検視結果や岡本伍長の見回り記録と照らし合わせた結果、田中大尉殺害の時間帯と外出時間はかぶらない。つまり、彼はどちらの犯行にも関与していないと言えた。
「さて、証言の裏取りは明日以降にするとして、岡本伍長と鈴村大尉はもう問題ないでしょう。」
河村がそう言うと、鈴村は「やれやれ」といった表情を見せ、佐々木と共に会議室を後にした。
「ああ、岡本伍長には現場の解説をしてもらう必要がありますね……。日沖大尉にもお手伝いをお願いいたします。申し訳ありませんがもう少しお付き合いください。」
河村は岡本と日沖を引き留めた。
河村は、部屋に残った者たちを見渡し、ゆっくりと口を開いた。
「さて、皆さま。犯人の目星がつきました。」
室内の空気が、一瞬にして張り詰める。
「犯人は、田中大尉殺害の現場に重大なヒントを残していました。これから、それをお見せいたしましょう。」
「……現場へ行くというのか?」
熊野が確認すると、河村は微かに笑いながら頷いた。
「今夜は名残雪が降るそうです。寒くないよう、防寒をしっかりしてください。十分後にここに再集合しましょう。」
そして岡本の方を向く。
「すみませんが、岡本伍長は懐中電灯をいくつか借りてきてください。」
河村が指示を出すと、岡本は素早く敬礼し、部屋を出て行った。
他の者たちも、それぞれ防寒具を取りに散っていく。熊野と二人きりになったところで、河村は上着の内ポケットから小さなメモを取り出し、熊野に手渡した。
「皆が集まったら、これをお願いします。」
熊野はメモを受け取り、内容をざっと確認すると、ふっと笑った。
「お前はやっぱり面白いな。」
「光栄です。」
軽く言葉を交わすと、河村は踵を返し、自室へと向かった。




