毒(後編)
6.
河村はリストを折り畳み、佐々木に昨日の出席者を集めてもらった。河村が周囲の将校たちを見渡しながら聞く。
「渡邊少将は、アザラシの肝臓を食べていませんでしたか?」
「確かに食べていたな。」
一人が答えると、他の者も次々に頷いた。
「少将は好奇心が強く、持ち込んだ者から珍味だと聞いて、箸を進めていたよ。独特の味が気に入ったようだった。」
河村は一呼吸おいて話はじめた。
「これは毒殺ではありません。ビタミンA中毒です。」
その場にいた者たちがざわつく。
「アザラシやシロクマの肝臓には、人間の致死量を超えるビタミンAが含まれることがあります。大量に摂取すれば急性中毒を引き起こし、肝不全、神経症状、皮膚の剥離、最悪の場合は死に至ります。」
事態を理解した佐々木が、そっと腕を組んだ。
「鈴村、どうなんだ?」
「ええ、北極探検隊が食して死亡した記録があります。ですが——」
鈴村は言葉を濁し、周囲を見回す。
「珍味を食べて死亡、というのは軍の記録には残せませんね。」
結局、渡邉の死因は「急性心不全」として処理されることとなった。
7.
疑惑が解け、自室に戻った河村。ドアを開けると、二階堂が椅子に腰掛けていた。
「少佐、大変でしたね。」
二階堂はいつもの頼りなげな笑みを浮かべている。
河村は、扉を閉めるなり二階堂を睨みつけた。
「酒に何を混ぜた?」
二階堂は目を瞬かせ、しばらく沈黙する。
「……何のことですか?」
わざとらしいとぼけ方だった。河村は腕を組み、静かに言葉を続けた。
「アイツらには言っていないが、ビタミンA中毒だけでは説明がつかない部分がある。それに——俺の悪酔いだ。」
二階堂は目を細めると、くすりと笑った。
「さすがですね、少佐。」
そう言って、二階堂は机の上にあった瓶を投げた。河村は片手で受け取り、ラベルを確認した。
「……ジギタリスか。」
ジギタリス——心不全の治療薬。しかし、有効域と中毒域が極めて近い。慎重に使わなければ毒となる薬だ。二階堂は、ジギタリスを少量日本酒に混ぜ、ビタミンA中毒に陥った者の死亡率を引き上げようとしたのだ。
「アザラシを納入させたのも僕ですよ。いやぁ、陸軍の拡大作戦に歯止めをかけろって言われてたんです。軍拡派幹部の誰かが死んだら儲け物くらいの気持ちだったんですけど、こうも上手くいくとは。渡邊少将のついでに二、三人死んでくれればもっと良かったんですけどね。」
二階堂はどこか楽しそうに言った。
「……俺が切り抜けられると思ったのか?」
河村が低い声で問いかけると、二階堂はひょうひょうとした態度で笑った。
「ああ、少佐なら問題ないと思いましたよ。ま、もし切り抜けられなかったとしても、僕じゃなくて少佐が処分されて終わりですし。」
河村はゆっくりと息を吐いた。
「……俺のことをどこで知った?」
「同室者を調べるのは基本中の基本じゃないですか?本省はアホの集まりですか?」
二階堂は笑顔を崩さぬまま言った。
「満洲海軍特設機関所属、二階堂修。以後、お見知り置きを。」
二階堂は、わざとらしく河村に敬礼した。河村は初めて、目の前の男の本性を知ったのだった。
二階堂修
明治36年10月7日
海軍中尉 軍医(呼吸器内科)
広島県呉市出身。実家は開業医で兄が跡を継いでいる。




