麻雀
1.
奉天(現・瀋陽)郊外で線路が爆破されたのは、昭和6年9月18日のことだった。
その報を週明けに聞いた河村少佐は、海軍省医務局の一角で静かに唸った。
「これは今週あたり呼び出しが来るな……」
机上には未決の書類が積まれ、窓の外には秋の気配が忍び寄っていた。河村は一つ深く息をつくと、ペンを置いた。
程なくして、彼の予想は的中する。夕刻、海軍歴史編纂室に籍を置く竹内中佐が、痛風の相談という名目で医務局を訪れた。
竹内はかつて南洋群島で負傷し、一線を退いた身であるが、その実、海軍情報部に属し、河村の直属の上司でもあった。表向きは温厚で昼行燈を装い、よく将棋に誘ってくるが、それが単なる娯楽で終わることはほとんどない。
今回も将棋の誘いかと思ったが、竹内は意外な言葉を口にした。
「今夜、麻布のクラブで麻雀の個室をとってある。八時からどうだ?」
竹内は、指先で虚空に牌を並べる仕草をする。その意味は、河村にも察しがついた。断れるはずもない。
「承知しました。」
そう答えたものの、竹内が立ち去った後で河村は天を仰いだ。
──最悪だ。
2.
私服に着替えた河村は、約束の時間に合わせて麻布の高級クラブへ向かった。
麻雀は大正時代から流行し、昭和五年には東京だけで千七百を超える麻雀店が乱立するほどであった。軍人たちが卓を囲むことも珍しくはない。
クラブの奥に通されると、すでに卓には竹内のほかに一人が座っていた。
「久しぶりですね、河村少佐。」
軍帽を傍らに置き、静かに微笑むのは市田大尉であった。彼は人事課勤務の情報将校であり、河村とは何度か任務で顔を合わせたことがある。
「もう一人は?」
河村が尋ねると、竹内は軽く笑った。
「成田中佐だ。」
この言葉に、河村は内心舌打ちした。
──本丸からじゃないか!
間もなくして、海軍省情報部作戦情報課の課長代理、成田中佐が現れた。鋭い視線で部屋を見回し、席に着くなり端的に言った。
「満州の混乱は我々海軍にとって新たな試練だ。陸軍が暴走する前に、我々が情報を握らねばならん。」
竹内も神妙な顔で頷く。
「そうだな。陸軍を野放しにはできん。満州の情勢は一刻を争う。我々が先手を打たなければ、国益に大打撃だ。」
成田は手元の書類を軽く叩き、続けた。
「今日二人を呼んだのは他でもない。二人のどちらかは満州へ行ってもらう。陸軍の動向を探るためにな。」
その言葉に、河村と市川は沈黙した。
先に口を開いたのは市田だった。
「自分は熊本出身でして、寒いのは苦手です。」
竹内が意味ありげに微笑んだ。
「河村は秋田の生まれだったよな。」
「……ええ、まあ。」
河村は曖昧に言葉を濁した。二人の様子を見た竹内が提案する。
「遺恨なく決めるのに麻雀はどうだ?」
突飛な提案に、市田も河村も思わず顔を見合わせた。成田が目を閉じて静かに口を開く。
「二人がそれで良いのなら。」
「異論はありません。」
と市田が言った。
「小官もです。」
河村も続けた。
こうして、満州行きをかけた運命の半荘が始まった。
3.
それから一時間が経過し、南三局。市田が親だが、持ち点は四千点。河村は手堅く二万五千点を確保していた。
──このまま軽く和了って、早く終局に持ち込むのが得策だ。
河村はそう考えながら、合間に金平糖を摘む。奥歯で噛むと、微かな甘みが口に広がった。竹内が六萬を切り、それを見た河村は、手牌の六萬を右端に移した。
市田がかったるそうに自摸切る。
河村は金平糖をもう一つ取ろうとしたが、器は空になっていた。軽くため息をつきながら、先程の六萬を場に置いた。
その瞬間、市田の口角がわずかに上がった。河村はしまった、と思った。だが、もう遅い。
「ロン。」
市田が静かに牌を倒す。
「断么九、三色、一盃口……」
河村は息を飲んだ。
「逆転ですね。」
次の局はノーテンで流れ、最終局では竹内が平和のみで上がった。結局、市田が僅差で勝利を収める。勝負が決まった後、河村はしばし無言だった。
「お前の方が戦地に向いているんじゃないか?」
牌を片付けながらつぶやく河村に、市田がにやりと笑った。
「本場で麻雀も鍛えてきてくださいね、少佐。」
成田が手帳をめくる。
「河村なら医療支援団として派遣だな。」
そう言うと、彼は淡々と命じた。
「期限は半年。準備期間は三週間だ」
河村は立ち上がり、敬礼する。
「了解しました。」
その時、成田が付け加えた。
「ああ、それと——」
視線を鋭くしたまま、静かに告げる。
「今後、羊羹が食べたい場合は、直接私に言うように。」
間宮の件はしっかりバレていたらしい。河村はそっと視線を逸らすのだった。
この話は、麻雀シーンを科学する麻雀の
とつげき東北さんに相談して書きました。
なのでリアルです。
私が最初に書いたやつはちょんぼしてました(笑)




