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死神

1.

 不動産業を営む細谷が、浮かない顔をして伊達のもとへ近づいてきた。伊達は、東京魔術倶楽部の片隅で書類をめくっていたが、その様子に気づき、視線を上げる。


「伊達さん……ちょっと、相談があるんです。」

 細谷は低い声で切り出した。

「数年前に手に入れた物件のことなんですがね。ある部屋、13号室に入居した人が次々と体調を崩し、ついには死者まで出てしまったんです。」


「死因は?」

「病死です。ただの偶然ならいいんですが、こう体調不良が続くとなると……。しかも最近は『死神が住む部屋』とか『枕元に死神が立つ』なんて噂まで流れ始めてしまって。」


 細谷の声には、焦りがにじんでいた。伊達家も不動産業を営んでおり、実務は弟が担当しているが、こうした相談には少なからず関心がある。

「週末、その部屋を見に行こう。」

 伊達は顎に手を当て、少し考えたあとで答えた。


2.

 週末、伊達は橘とともに件のアパートを訪れた。建物はもともと使われなくなった酒蔵を改築したものだった。不景気のため、新築ではなく改装でアパートにしたという話だが、外観はしっかりしている。


「採光や通気には気を遣ったつもりなんですがね……。」

 細谷が汗を拭きながら説明する。

 中に入ると、柱は古く、歴史を感じさせるが、改装された部屋自体は明るく嫌な雰囲気はない。


「ここが13号室です。」

 扉を開けると、普通のワンルームが広がっていた。壁紙も新しく、設備も整っている。少し湿度が高いように感じるが、それ以外に異変はない。


 伊達と橘は温度計、湿度計、カメラなどを設置し、一晩を過ごすことにした。しかし、特に異常は起こらず、夜が明けた。


3.

 翌日、東京魔術倶楽部の一角で、伊達と橘は頭を抱えていた。

「何も起こらなかったな。」

 橘が拍子抜けして言う。

「強いて言えば、湿度が少し高いくらいだ。死神が出るにしては、あまりにも静かすぎる。」


 行き詰まりを感じた伊達は、弟、政道に電話をかけた。

「こういうケースはどうする?」

 電話口の政道は淡々と答えた。

「そうですね。原因不明ならお祓いをします。」

 伊達は溜息をついた。安直な解決策だが、論理的な根拠がない以上、選択肢として考えざるを得ない。


4.

 その時、倶楽部にしばらくぶりの河村が現れた。いつもと様子が違いどこかしら浮ついて見える。

「なんだか、ちょっとテンションがおかしくないか?」

 橘が怪訝そうに尋ねると、河村は一瞬考えたあと、支配人に奥の個室が空いているかを確認し、そのまま移動するよう促した。


 部屋に入り、ドアを閉めると、河村は声を潜めた。

「給糧艦、間宮ってご存知ですか?」

「将兵に愛される補給艦だっけ?」

 橘が言うと河村は大きく頷いた。

「その間宮がですね、横須賀に停泊してたんですよ。」


 河村は目を細め、遠くを見るような表情をした。伊達と橘は互いに顔を見合わせた。こんなに嬉しそうな河村を見るのは珍しい。

「それで?」

「ありとあらゆるコネを駆使して、これを手に入れました。」

 河村はカバンから、包みを取り出した。

「間宮の羊羹です。」

 伊達と橘は再び目を見合わせた。


「一緒に食べませんか?」

「では。」

 伊達が短く答え誘いに応じた。

「玉露も買ってきたんですよね。」

 河村はそう言ってカバンから茶葉を取り出し、さらに、

「あとこれも赤坂で買いました。」

 と、虎屋の羊羹まで取り出した。


「急須とお湯をもらってきますね。」

 そう言って河村は軽い足取りで部屋を出ていった。

「……食べる前から胸焼けするんだけど。」

 橘はテーブルの上に並べられた大量の羊羹の見つめ、呆れたようにつぶやいた。


 戻ってきた河村は、上機嫌で茶を淹れ、羊羹を切り分けた。

「食べ比べといきましょう。」

 そう言って、間宮羊羹と虎屋の羊羹を並べる。

 伊達が間宮羊羹を一口食べ、目を細めた。

「美味いな。」


「男爵様のお口にも合いますか、ふふ。」

 河村が嬉しそうに言った。

橘も一口食べて、

「うまいわ。」

 と感嘆した。

「そうでしょう、そうでしょう。」

 満足げな河村は、微笑を浮かべながらさらに切り分けた。


「味わって食べないと、枕元に立って祟りますから。」

 その言葉を聞いた瞬間、伊達はハッとした。

「……枕元に立つ?」


 アパートの噂を思い出した伊達は、すぐに河村に相談しようとした。しかし、河村はあからさまに嫌そうな顔をして、

「食べ終わってから聞きますので。」

 とぴしゃりと遮った。

「……だろうな。」

 伊達は溜息をつきながら、黙ってもう一口、羊羹を口に運んだ。


 河村は羊羹を食べ終えると、満足げに玉露をすすった。ゆっくりと湯呑を置き、ふぅと小さく息を吐く。その様子を見て、伊達は再び細谷から相談されたアパートの話を切り出した。


「……それで、細谷の物件なんだがな。」


 河村は何も言わず、ただ静かにお茶をすすりながら話を聞いていた。伊達は、13号室に入った者が次々と体調を崩し、ついには病死したこと、死神の噂が広まっていること、一晩泊まっても特に異変はなかったことを簡潔に説明した。

「湿度は少し高めだったが、他に異常はなかった。夜も普通に過ごせたしな。」

 橘が少し補足をした。


 河村は少しの間、黙したまま考えていた。そして、湯呑を置くと、ぼそりと一言。

「……屋根裏、見ました?」

 伊達と橘は思わず顔を見合わせた。

「いや、見てないが……。」

「なら、見てみましょう。」


 河村は淡々と言い、すっと立ち上がった。倶楽部で懐中電灯を借り、三人は再びアパートへ向かうことにした。


5.

夜のアパートは静かだった。13号室の扉を開けると、昼間と変わらず、特に異常はないように見える。


 河村は迷いなく押し入れを開け、中板にのぼると、ハンケチを取り出し、口元を覆った。


「俺たちも?」

 橘が尋ねると、河村は

「まぁ、念のため。」

 と言い残し、点検口を開けると懐中電灯を片手に、静かに天井裏を覗き込んだ。しばらく何も言わず、ゆっくりと光を動かしながら内部を観察していた。


 やがて、何かを見つけたのか、河村は手招きをして、2人を順番に呼んだ。伊達が先に覗き込み、次に橘も見た。


 そこには、薄暗い屋根裏に、白くふわふわとしたものが広がっていた。それは壁や梁にびっしりと生え、どこか湿っぽい気配を感じさせる。

「……カビ?」

 橘が眉をひそめる。

 河村はゆっくりと頷いた。

「たぶん麹菌ですね。」

「麹?」

 伊達が首を傾げると、河村は懐中電灯を消しながら説明を続けた。


「もともとこの建物は酒蔵だったんでしょう?長年使われた環境の影響で、屋根裏に麹菌が残っていたんでしょうね。」

「それがどう関係する?」

「肺です。」

 河村は淡々と言った。


「前に、結核関連の論文を読んだ時、肺の真菌感染についての文献も見たんです。それでピンときました。おそらく、この部屋に長く住んだ人たちは、屋根裏に繁殖していた麹菌を吸い込み続けた結果、肺に感染を起こしたんでしょう。」


 伊達と橘は顔を見合わせた。

「つまり……」

「まぁ、原因はこいつでしょうね。」

 河村はつまらなそうに肩をすくめた。


「今のところ、真菌感染の治療法は限られているんで、予防が重要です。徹底的に掃除して、換気を良くすること。ただ……この部屋を使わなくて済むなら、それが一番手っ取り早いですね。」


 橘が天井を見上げながら、ふと口を開いた。

「……昨日泊まっちゃったけど、大丈夫かな?」

「一日やそこらで感染するものじゃありません。」

 河村はめんどくさそうに答えた。

「ましてや、殺しても死なないくらい健康体の橘さんなら心配いりませんよ。」

「……なんか雑に扱われてる気がする。」

「気のせいですよ。」

 河村は押し入れから出ながら答えた。


 屋根裏の異変を確認した三人は、細谷のアパートを後にした。外へ出ると、夜の空気が肌を撫で、ほのかに湿った風が吹き抜ける。昼間は気づかなかったが、建物の古びた雰囲気がより際立っていた。


 扉をしっかりと閉め、鍵を戻しながら、伊達は一度アパートを振り返る。

「死神の正体がカビだったとはな。」

 ぽつりとつぶやくと、橘が苦笑いを浮かべた。

「まぁ、幽霊じゃなくて何よりだが……住んでた人間にとっては冗談じゃない話だな。」


 河村は懐中電灯を手にしながら、腕時計をちらりと確認した。短く時間を読み取り、すぐに目線を戻す。

「明日、論文をお持ちしますよ。」

 淡々とした口調でそう言いながら、懐中電灯をポケットに収める。

「助かる。」

 伊達が礼を述べた。


 河村はふっと小さく息を吐き、どこか満足げな表情を浮かべた。そして、何気ない調子でぽつりと言った。

「この時間なら、まだあそこのあんみつ屋が開いてるな。」

 まるで独り言のように、しかし明らかに伊達に聞こえるような声の大きさで。


 橘は呆れたように

「さっき羊羹を山ほど食べたばかりだろうが。」

 と小さくぼやくが、伊達は微かに笑みを浮かべた。


「どちらの方向だ?」

 その問いに、河村は満足そうに伊達を一瞥し、にこりと微笑んだ。

「ついて来れば分かりますよ。」

 そう言って歩き出す。

 

 夜の街灯がぼんやりと照らす道の先、甘い報酬を求め三人は肩を並べて歩いていった。


(⭐︎アスペルギルス症は通常日和見感染症ですが、昭和初期の結核感染率を考えて話を作りました。)

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