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嵐(中編)

4.

 支配人室に通されると、すぐに重厚な木製の机の上に広げられた名簿が目に入った。部屋には独特の重苦しい空気が漂い、どこか閉塞感を感じさせる。


 支配人は深く頭を下げてから、静かに口を開いた。

「実は、倶楽部で厳重に保管していた“呪われた品”のいくつかが、紛失していることが判明しました。」

「呪われた品?」

 河村が聞き返す。

「ああ、あれね。」

 橘が思い出したように言った。

「安岡さんが以前持って帰ったペンダントとか?」


「ああ、あれか。」

 伊達は苦笑しながら何かを思い出しているようだった。

「あの時、水浸しになったんだっけ?」

 その会話を聞きながら、河村はますます分からないという表情をした。

「それは一体どういうものなのです?」


 支配人は、河村に向き直り丁寧に説明を始めた。

「東京魔術倶楽部には、呪われた品々――人を不幸にする力を持つとされる品を厳重に封印して保管しております。それらは、正しい管理がなされていれば安全ですが、意図的に利用されれば大変危険です。」


「誰が何の目的でそんなものを盗むんだ?」

 伊達が思案するようにつぶやいた。

「相手を呪うためか?それとも換金目的か……」

「あるいは、自暴自棄になったのかもしれませんね。」

 河村が静かに答える。


 支配人は名簿を手に取り、三人に見せた。

「倉庫を最終確認したのが一週間前。それから本日までに倶楽部を利用した方々のリストです。」

 河村が手に取ってざっと目を通す。

「常連のお二人は、様子がおかしかった方がいなかったか思い出してください。」

「誰が常連だ。」

 憮然として伊達が言った。

「様子がおかしいってどういうこと?」

 橘が河村に聞いた。


「そうですね。表情が暗く落ち込んでいたり、逆に妙に明るかったり、多弁だったり……何か普段と違う様子が見られた方を思い出していただければ。」

 河村が冷静に補足した。


 橘が数名の名前を挙げると、伊達も続けて名前を幾人か挙げた。河村はメモを取りながら頷いた。

「その方々の事業の具合については、私が調べますね。」

「そんなことができるのか?」

 橘が疑問を口にすると、河村は少し微笑んだ。

「情報を集めるのは得意ですから。」


5.

 その夜、河村は情報網を駆使し、倶楽部の会員たちの動向を調べ始めた。名前があがった者の多くが何らかの理由で不況の波に飲まれていた。


 三人は河村が調べた情報を加味して、さらに怪しい人物を絞り込む作業を進めていた。昭和恐慌によって財産を失い、それぞれが追い詰められた状況に置かれている候補者たち。特に行動や発言に不審な点がある三人が浮かび上がった。


「安田さんは、人生をやり直したいってぼやいてたってね。」

 橘が言うと、河村が名簿に目を落としながら答える。

「ええ、確かに経営していた貿易会社が倒産し、追い詰められていましたね。でも、現在彼は新たな事業を起こそうと必死です。まだ希望を捨てていない人は、呪いの品を盗む動機が薄い気もします。」

 伊達もそれと同意見だった。

「確かに。あのしぶとい性格からすれば、他人を呪うよりも生き残る手段を探しそうだな。」



「高島さんは?」

 伊達が次の名前に目を向ける。橘が指でページをなぞりながら説明する。

「製糸工場が潰れて、夫が自死したようだけど……借金は清算済みで、保険でなんとか生活を立て直してるみたいだ。夫が亡くなった後にひどく落ち込んで、呪いの品に興味を持っていたのは確かだが、それは過去の話だろう。」

「夫の分も生きようと頑張っている人間が、物騒な品をわざわざ盗むとは思えませんね。」

 河村が補足する。


 三人が最も疑わしいと思ったのは松下だった。

「問題はこの人だ。数年前の取り付け騒ぎをどうにか乗り切ったと思ったら今回の不況で自身の銀行が倒産。『失うものはない』なんて言葉、かなり危険だぞ。」

 伊達が低く言った。橘が倶楽部での口論について語る。

「『お前たちは何も分かっていない』なんて怒鳴るのも普通じゃない。呪いの力も信じている節があったし、動機としては十分だ。」

 河村が腕を組んで深く考え込む。


「支配人に聞いたところ、彼は熱海に別荘を持っているそうです。家人の話では、昨日から姿が見えないとか。」

「愛車もないらしい。目立つ車だそうだな。熱海に向かった可能性が高い。」

 伊達が地図を広げて確認する。

「私たちも熱海に向かおう。」


6.

 伊達の実家で車を借りた三人は、松下が向かったとされる熱海へ急行する。夜明け前、熱海港に到着した彼らは、すぐに松下の車を見つけた。古びた黒塗りのダットサンで、停められた状態から見て、港に着いたのはそれほど前ではないようだ。


「まだ、この辺りにいるはずだ。」

 伊達が指示を出し、三人は港周辺を手分けして探し始めた。


 港の先端、波止場に近い場所で、松下は何かを抱えていた。白い布で包まれた品をひとつずつ取り出し、海に向けて何かを呟いている。波音にかき消されるが、その表情には狂気とも呼べるほどの執念が浮かんでいた。


「松下さん!」

河村が声をかける。

振り返った松下の顔は疲弊し切っているものの、その目は異様な光を放っていた。

「来るな!」

 と叫び、呪いの品を手に持ち直す。

「その品は危険です!」

 河村が一歩近づく。

「今、海に投げればさらに危険を広げるだけです!」

 松下は笑った。

「危険だと?この国はもう死んでいるんだ。俺も、すべてを失った。だったらいっそ、この国と心中してやる!」


「落ち着け、松下さん!」

 伊達が鋭く声を上げる。

「あなたがどれだけ辛い状況にあろうと、呪いの品で解決できる問題じゃない!」

 橘も追い打ちをかける。

「もし呪いの品を海に放れば、誰が巻き添えになるか分からない。やるべきことを間違えるな!」


 松下は手を震わせながら、涙をこぼした。

「もう何も残っていない……」

「残っているさ!」

 河村が声を張る。

「あなたを待っている人がいるはずです。倶楽部の会員として、我々はあなたを見捨てません。」

 その言葉に松下の手が緩み、最後の呪いの品を取り落とした瞬間、伊達が一気に間合いを詰めてそれを奪い取った。


 松下を車に乗せ、三人は彼を家族の元に送り届けた。冷静さを取り戻した松下は深く頭を下げ、涙ながらに感謝を述べた。


 管理人から渡された簡易の封印袋に呪いの品を入れて倶楽部に帰った伊達たちだが、確認すると封印されていたはずの品の数が三つ足りないことに気づく。


「海に捨てられた後なのか、それとも別の誰かが持ち去ったのか……」

 橘がつぶやいた。

「まだ終わっちゃいない、ってことだな」

伊達も低く深刻な口調で続いた。


 こうして事件はひとまず幕を下ろしたものの、背後に潜むさらなる謎の影が、彼らの背中に暗い予感を落とすのだった。

割と不穏な話になっておりますが……


よろしければ⭐︎ください。

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