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1.

 東京魔術倶楽部のロビーは、昼間にもかかわらず豪華なシャンデリアが輝き、静かな上品さが漂っていた。橘がカウンターでトランプを弄りながら時間を潰していると、柔らかな声が背後から響いた。


「橘様、少しお時間をいただけますか?」

振り返ると、そこには伯爵令嬢・中院桜子なかのいん さくらこが立っていた。藍色のワンピースがその端正な顔立ちを引き立て、指には上品なデザインのダイヤのリングが輝いている。橘が軽く頭を下げると、桜子はどこか切迫した表情で口を開いた。


「実は、一昨日からうちの三毛猫、タマが行方不明なのです。もう十五歳になる老猫ですが……ずっと一緒に過ごしてきた家族同然の存在なのです。」

 桜子の瞳には焦りが浮かんでいた。橘はひとまず冷静に応じた。


「猫は年を取ると、死に場所を求めて姿を消すと言いますから、心配ですね。」

 その言葉に桜子は思わず首を横に振り、遮った。

「そうかもしれません。でも、たとえ亡くなっていても、せめて見つけ出して弔いたいのです。どうかお力を貸していただけませんか?報酬のことはもちろんお約束します。」


2.

 その真剣な眼差しに、橘は困ったように目を逸らし、部屋の隅にいる二人の仲間を見た。まず視線を送ったのは静かにコーヒーを飲んでいた帝大教授、伊達政弘へだ。

「すまないが、明日から京都で特別講義があるんだ。一週間は留守にする。」

 短く返され、橘は次に海軍少佐、河村学を見やる。


 しかし、河村はココアを飲みながら大げさに右手をさすった。

「ああ、この手が。草刈り鎌で切った手がまだ痛むんですよ。」

 橘はため息をつきながら肩をすくめ、桜子を振り返った。

「仕方ないですね。お手伝いできる範囲で探しますよ。」


 桜子の顔が明るくなり、感謝の言葉を繰り返す。タマの写真と、猫が愛用していたクッションが橘に手渡された。写真に写る三毛猫は、白と黒、茶色が見事に混ざり合った美しい毛並みをしていた。


3.

 翌日、橘は実家に向かい、幼い頃から飼っている愛犬キャンディの力を借りることを思いついた。キャンディは小さな柴犬で、子犬の頃から橘と過ごしてきた。


 玄関を開けると、キャンディが飛び跳ねながら小さな尻尾を激しく振って出迎えた。

「お前、相変わらず元気だな。」

 橘は微笑みながら抱き上げ、タマの匂いを覚えさせるべくクッションを鼻先に近づけた。しかし、キャンディはそっぽを向き、遊びたそうにじゃれつき始める。


「お前は本当に好きなことしかやらないんだな。」

 橘は苦笑いを浮かべ、キャンディの頭を撫でると一人でタマを探すことにした。


4.

 橘は二日間、近隣を歩き回り、聞き込みをしたが、手がかりは見つからなかった。桜子の熱心な願いを思い出しつつ、カフェで一息つきながら写真を見つめた。


「十五歳か……。もしかすると、本当に最期を迎えられる場所を探しているのかもしれないな。」


 その時、写真の背景に写る縁側が目に留まった。橘はある可能性を思いつき、すぐに中院家を訪れた。


 橘は、中院の屋敷に行き、桜子立ち会いの元タマが最後に撮影されたという縁側の周辺を調べ始めた。裏庭にある古びた物置小屋の床下を調べていると、硬いものに触れる感触があった。橘は慎重に掘り進めた。


「壺のようですが…なんだか嫌な感じがしますね。」

 橘が取り出したのは、表面には奇妙な模様が彫られているひび割れた古い壺だった。二階堂がおそるおそる蓋を開けると、干からびた虫の死骸がぎっしりと詰まっており思わず目を逸らした。

巫蠱ふこですわ…!」

 桜子の顔が青ざめ、声が震えた。


 桜子の説明によると巫蠱は古代から伝わる呪術の一種で、生き物を壺に閉じ込め、互いに殺し合わせることで呪詛の力を増幅させるものということだった。中には虫だけでなく、動物や人間を使ったという記録も残る。その呪いの対象者には不幸が降りかかり、やがて命を奪うと言われている。


「誰かが中院家に呪いをかけたに違いありません!」

 桜子は取り乱した様子で叫んだ。

「もしかしたら、タマはその呪いの儀式の生け贄にされて……」

 桜子は言葉の途中で嗚咽を漏らし、その場に泣き崩れた。


「伯爵令嬢。」

 橘は膝をつき、桜子と目線を合わせた。

「タマのためにも、まずは冷静になりましょう。この壺のことは後で調べます。でも今は、落ち着かれることが肝心です。」

 その真摯な声に、桜子は涙を拭いながら小さく頷いた。橘は壺に蓋をして庭の隅に置くと屋敷を後にした。


5.

 橘が中院家の門を出たところで、「ニャーン」というか細い鳴き声が聞こえた。橘は足を止め、あたりを見回す。すると、視界の端にチラリと三毛猫のような姿が映った。


「タマ……?」

 橘は声をかけながら、その姿を追いかけた。しかし猫は素早く逃げ去り、やがて裏手の空き地で姿を見失ってしまう。

「くそ、どこ行った……。」


 橘は草むらを掻き分けながら探していると、ふと嫌な臭いが鼻をついた。そして視界に飛び込んできたのは、草むらの中で冷たく横たわる三毛猫だった。


 橘が駆け寄ると、タマの小さな体のそばには、異様に大きなムカデの死骸が転がっていた。ムカデの体には何かに噛みちぎられた跡があり、橘はすぐに状況を察した。


「お前……あんなムカデ相手に、よくやったな。」

 橘はそっとタマの体に触れた。その毛は土と草で汚れていたが、どこか誇らしげにも見えた。


「頑張ったんだな。」


 橘は自分の上着を脱ぎ、タマの亡骸を丁寧に包んだ。抱き上げると、傷だらけでその小さな体がどれだけ頑張ったのか、橘には痛いほど伝わってきた。

「桜子さんも、これで少しは救われるだろうな。」


 橘は空を見上げて一つ息を吐くと、そっとタマを抱えたまま中院家へと戻っていった。後日、巫蠱の壺は神職の手で処分され、タマの亡骸は桜子の手で丁重に弔われた。


6.

 事件がひと段落した後、東京魔術倶楽部のラウンジで桜子が橘に感謝の言葉を述べていた。落ち着いた彼女の表情からは、タマを失った悲しみを乗り越えようとする強い意志が垣間見えた。


「橘様、本当にありがとうございました。タマはきっと、家族を守ってくれたのですわね。」

「ええ。タマは最後まで立派でした。」

「それでは、私はこれで失礼いたしますわ。」 

 桜子は礼儀正しく一礼すると、そっと扉を閉めて部屋を後にした。


 しばらくして、廊下の奥から控えめな足音が近づいてきた。そして扉が開く。

「失礼するよ。」

 物静かな声とともに、伊達が顔を覗かせた。片手にはいつもの書類鞄、もう片方には「五色豆」と書かれた紙袋を提げている。


「京都の講義はどうだった?」橘の問いに、伊達は淡々と答えた。

「盛況だったよ。君のほうこそ、迷い猫の件は片付いたのか?」

「まあな。」

  橘が短く答えると、伊達は軽く頷き、袋を差し出した。


「君や倶楽部の皆で食べてくれ。」

 橘は苦笑しながらそれを受け取った。

「伊達が土産なんて珍しい。何か心境の変化でも?」

 橘の軽口に、伊達は肩をすくめた。

「いや、特に深い理由はない。」

 その答えに橘は

「俺に気をつかったんだろ。」

 と嬉しそうに笑った。

橘単独で頑張る回です。

やればできます!あと優しいでしょ?


「草刈り鎌で手を切った」少佐はお休みです、はい。

伊達先生が買ってきた土産、戦前はなかったやつで、指摘して頂き変更したエピソードありです。

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