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裏鬼門(後編)

5.

 高橋少将の屋敷は、都心にありながら静かな佇まいを保つ重厚な洋館だった。門をくぐると広々とした庭が広がり、丁寧に手入れされた花壇が来客を迎えてくれる。


 伊達と橘が応接室に通されると、執事が現れて深々と頭を下げた。少将は仕事で不在だったが、執事は誠実な態度で二人に応対した。

「これまで内密にしておりましたが……実は一月ほど前、庭の花壇で羊の首が埋められているのを見つけました。」


 思いがけない言葉に、伊達の表情がわずかに動き、橘も驚いて身を乗り出した。

「羊の首? それだけですか?」

「いえ、半月ほど前には、今度は猿の首が同じ場所で発見されました。警察に通報すべきか悩みましたが、旦那様に余計な心配をかけるのはどうかと思いまして……」

「その後、何か変わったことは?」 

 伊達が重い口調で問うと、執事は首を横に振った。

「特にはございません。ですが、お嬢様の件が起きた今となっては、あの時通報しておけばと悔やんでおります。」

 不安げな表情の執事に、伊達は軽く頷き、礼を述べて屋敷を後にした。


 無言で並んで歩く伊達と橘。風が涼しく、街路樹の葉がさわさわと揺れていた。やがて橘が口を開く。

「怨恨か何かか? 羊に猿って……わざわざ動物の首を埋めるなんて、まともな神経じゃない。」 

 動物好きな橘の声は、どこか沈んでいた。

「ひつじ、さる……」 

 伊達がぽつりとつぶやき、次の瞬間、目を細めて言った。

ひつじさる……裏鬼門か。」

「坤? それ何?」

 橘が何のことか分からないという顔を見せた。


「易経では、坤は南西を指す。裏鬼門は、鬼が出入りする門とされる不吉な方角だ。」 

 伊達の説明に、橘は眉をひそめ軽く身を震わせた。

「ふうん……つまり呪術絡みってわけか。気味が悪いな。」


6. カフェに到着した伊達と橘は、河村に現状を報告した。河村はホットココアを口にしながら、黙って話に耳を傾けていた。

「怨恨というより……これは呪術の線かもしれん。まだ確証はないが。」 

 伊達の声は低く、場の空気を引き締めた。

「呪術ですか……」 

 河村は一瞬考え込み、ぽつりとつぶやいた。

「裏鬼門に仕掛けたのなら、対となる鬼門にも何かがあるかもしれません。」 

 そう言うと席を立ち、軽く礼をした。

「警察に照会をかけてきます。しばらくお待ちを。」

 河村が戻るまで、伊達と橘は無言で待っていた。しばらくして、河村は戻ると落ち着いた調子で言った。

「少し時間がかかるようです。まあ、待ちましょう。」 

 そう言ってメニューを開き、ホットケーキとあんみつを注文した。


「余裕だな、河村。」 

 橘が苦笑混じりに言うと、河村はにこりと微笑んだ。

「こういう時こそ甘味です。頭を働かせるには糖分が必要ですから。」

 しばらくすると店員がやってきて、河村に声をかけた。

「山田様、お電話が入っております。」


 戻ってきた河村の表情は、先ほどと打って変わり、鋭さを増していた。

「対角線上の地点で牛の首と、剥製ですが虎の首が見つかる事件がありました。」

「裏鬼門の次は……丑寅か。」

 伊達が唸るようにつぶやき、河村は頷いてメモを取り出した。

「警察は容疑者を絞り込みました。今から動きます。」

「どこへ?」

 橘の問いに、河村は静かに答えた。

「犯人探しです。」 

 河村は注文した甘味には手をつけず、席を立った。


7.

 三件目の容疑者宅に到着したのは、夜も更けた頃だった。そこは郊外の古びた邸宅の一角で、公安にマークされている革命家のアジトとされている場所だった。


 河村は塀に手をつき、ひょいと身軽に飛び越えた。その動きを見て、橘がぼそりと呟いた。「これ見ちゃって、俺たち、口封じされないかな?」

「さあな。」 

 伊達の声には、少し呆れが混じっていた。

 

 しばらくして偵察に出ていた河村が戻ってくる。

「……当たりです。」 

 その一言に、伊達と橘は身構えた。

「どうする?」 

 伊達が問いかけると、河村は一瞬迷うような仕草を見せたが、屋敷から大きな物音が聞こえた瞬間、すぐに決断を下した。

 「どうやら迷っている暇はなさそうですね。中には男が三人、それと人質の娘です。」 

 そう言うと、河村はすぐさま走り出し、門をくぐって庭に入った。


8.

河村は短剣を振りかざし、窓ガラスを割って中に侵入し、伊達もその後に続く。

 「人質を傷つけるわけにはいかない。速攻で。」 

 河村が短く指示を出し、一人目の男に向かって突進した。

 その動きは、まさに訓練を積んだ軍人のものだった。河村は瞬く間に一人を制圧し、伊達が続いて二人目を倒した。


 だが、残る一人が高橋の娘に近づき、ナイフを構えた。遅れて到着した橘が、娘と男の間に飛び込む。

「おい、危ないぞ!」 

 伊達が叫ぶ間もなく、男はナイフを橘に向けて振り上げた。

 その瞬間、河村はすでに男の背後に回り込んでいた。彼の反応は雷のように速く、ナイフの刃を後ろから素手で掴んだ。手のひらから血がにじむが、彼は痛みを押し殺して、相手を制圧することを優先した。


 河村は刃を握ったまま、男の腕を引き寄せ、もう一方の手で腕関節をねじり上げた。ナイフは男の手から離れ、床に落ちる。

 間髪入れず、河村の左手が男の首筋へ伸びる。右手は手首を押さえ、左腕で背後から頭を締めつけた。容赦のないその動きに、男は一瞬で抵抗力を失った。


 河村の右手は深く切れていた。血が滴り落ち、床に広がる。伊達と橘が心配そうに駆け寄ると、河村は淡々と告げた。

「後は片付けますので、お嬢様をお願いします。」

「手の傷、大丈夫なのか?」 

 橘が問うが、河村は首を軽く振った。

「神経までやるほど愚かではありません。それより、お嬢様を早く安全な場所へ。」

 二人が娘を連れて去っていくのを見届けた後、河村は右手を見下ろし、自嘲気味につぶないた。

「……自分も甘くなったものだ。」


9.

 数日後、河村は右手に包帯を巻いたまま東京魔術倶楽部に現れた。知人に問われると、いつものように淡い笑みを浮かべながら答える。

「草刈り鎌で怪我をしましてね。軍人がこんな情けない話で、お恥ずかしい限りです。」

 少し離れた場所でそれを聞いていた伊達は、小声でぼそりと漏らした。

「何が草刈り鎌だ。」


 やがて知人との会話を終えた河村が、伊達と橘のもとへ歩み寄り、小さく声を落として言った。

「報奨金が出ました。どうです、お二人も甘いものでもご一緒に?」

 伊達と橘は顔を見合わせ、肩をすくめた。またあの砂糖まみれの儀式かと。

「また甘味か。……まあ、付き合ってやるか。」

 橘がオッケーのサインを出すと三人は連れ立って、倶楽部に併設されたホテルにあるカフェの奥まった席へと向かった。


 席に腰を下ろすと、河村は迷いなく店員を呼び止めた。

「このあいだ食べ損ねましたからね。ホットケーキとあんみつ、それからチーズケーキとコーヒーをお願いします。」

 橘はメニューを片手に苦笑しながら河村を見た。

「一品、増えてるぞ。さすがに食べすぎじゃないのか?」

「傷の治癒には糖分が不可欠ですから。こういう時くらい贅沢してもいいでしょう? お二人は飲み物だけで?」


 注文を終えると、河村はポケットから小さなメモ帳を取り出し、テーブルに置いた。

「そういえば、事後談を聞きたいですか?」

「話せる範囲でいい。」

 伊達が静かに答えると、河村はページを開きながら語り出した。


「呪術の効果はさておき、アジトからはかなりの資料が見つかりました。たとえば……地図と文献。それによれば“対象を破滅させる儀式”とされていました。」

 橘が身を乗り出す。

「破滅って……誰を?」

「個人ではなく、場所。地図を見て気づいたかもしれませんが、狙いは陸軍省でした。」

「陸軍省?」

 橘が驚きの声をあげる。


「高橋家の屋敷は、陸軍省を中心にした地図上で、裏鬼門にあたる位置にあります。そこに“坤”──羊と猿を埋めることで、結界を組もうとしたのでしょう。」

「裏鬼門を抑えて、災厄でも呼び込むつもりだったのか?」

「その通りです。古い呪術では、鬼門と裏鬼門を押さえることで、土地そのものに呪いをかけられるとされています。」


 伊達が低くつぶやく。

「つまり、高橋個人ではなく、軍そのものが狙われていたわけか……」

「ええ。憲兵に連行された仲間が獄中死したようで、連中は本気でした。資料の緻密さと、用意された動物の数を見れば分かります。」

 橘が肩をすくめる。

「よくそんなもん集めたな……。俺ならその金で温泉旅行に行くけど。」

「私なら、火薬と銃器を買いますけどね。」

 河村は淡々とした口調で言った。


 ちょうどその時、店員が注文の品を運んできた。ホットケーキにはたっぷりのシロップとバター、あんみつは涼やかな寒天と小豆が盛られ、チーズケーキは重厚な香りを漂わせている。


 橘はふと、静かに、しかし少し嬉しそうにホットケーキを切り分けている河村の横顔を見つめた。

「……あの日、血だらけでナイフ掴んでた河村と、今こうしてスイーツ三昧してる河村。どっちが本当なんだ?」


 フォークを止めることなく、河村は微笑んでチーズケーキを口に運んだ。

 その表情は、まるで何も聞かないでくださいというように見えた。

河村少佐の裏の顔を描きたかったんです。

整形外科医が、ナイフ掴むのカッコ良くないですか?

次回の言い訳にもご注目ください。


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